第2話 歌声


 数日後、一次審査合格の通知書が届いた。

 お父様もお母様も、喜ぶというより、ほっとした様子だ。アマンダルム公爵家の令嬢としては、一次審査くらいは通っておいてほしかったのだろうね。マナーと魔力検査はそれなりに手応えはあったんだけど、筆記は自信がなかったと話すと、むしろあの筆記試験で半分も解けたことに対して驚かれた。学園の卒業生でも半分も解けないだろう、とのことだ。思っていたよりかなり厳しく設定されていたみたい。


 ちょっと本気で目指してみようかな、なんて。本物のプリンセスロードを目にして、思いを強くしたというのもあるけれど、とにかくやるなら全力でやろう、と考えるようになったんだ。


 そして次は二次審査を受けることになったんだけど……。

 かつてお母様も二次審査を経験したことがあるらしく、詳しく聞いてみたら、顔を青くして、あの時のことは思い出したくないわ、とだけ教えてくれた。いったい何をされるのだろう。

「リズは当時の私より優秀だもの。きっと二次審査も大丈夫よ。だけど、辛くなったらいつでも辞めて帰ってきていいですからね」

 優しく言うお母様だけど、辛いことがあるのね……。


 なんと二次審査は半年間も、王宮に泊まり込みで行われるらしい。朝から晩までがっつりスパルタ教育で、プリンセスロードとしての振る舞いを学ぶのだ。すべての教育課程を終えることができたら、それでようやく『候補生』という立場になるそうだ。ただ、候補生に選ばれるというだけでも大変な名誉らしく、そこをゴールと定めている令嬢も多いらしい。


「もし王子妃を狙うなら、候補生でも十分チャンスはあるのよ」

 お父様はちょっと苦い顔をしたけれど、お母様は乗り気みたい。

 王宮で暮らすことになるんだったら、王子とも出会う機会があるかもしれない。私もそれほど乗り気じゃないけど、知識としては知っておかなきゃと思って、王子について両親に聞いてみたわ。


 現在、王子と呼ばれる存在は三人いる。


 第一王子殿下は、私よりひとつ年上の十一歳。豪胆で苛烈な性格でカリスマも備え、堂々とした振る舞いはまさに王族としての風格を備えていると評判だ。武に優れ、騎士団に混じって訓練を受けているそうで、すでに頭角を表しつつあるとのこと。


 第三王子殿下は、私より一つ年下の九歳。人好きのする性格で容姿も可愛らしく、皆に愛されて育った天使のような方。学力については天才児と謳われ、すでに学園卒業レベルの学力を身に付けているそうだ。膨大な魔力も保持し、魔法師団の研究所からの期待も大きいらしい。


 そして後回しにされた第二王子殿下だけど、あまり評判がよろしくない、と。弱気で人見知り、成長も遅いらしく、私と同い年の十歳なのに、なんと、ようやく文字を習い始めたレベルだそうだ。


 そして王太子はまだ決まっていないとのこと。三人のうちの誰かになるそうだが、第一王子殿下は母君が側室で立場がそれほど強くない。かといって正妃の長子である第二王子では不安視するものも多く、第三王子も正妃の子であるが、兄二人を差し置いて、というのも問題が多い。というわけで、王太子の座を巡って議論が繰り返されている状況だ。

 だけどもし今回新たなプリンセスロードが誕生し、王子妃に迎えた者が三人の中から出たら、王太子の選出に大きな影響を与えるだろうと言われている。そんなわけで、今回の選考はいつにも増して注目されているのだ。


 なんだか権力争いに巻き込まれそうで怖いわね。でもお父様のご様子だと、当家としては王子妃の座にはこだわってる感じはないっぽい。政略結婚なんてしなくていい、っておっしゃってくださって安心したわ。


 ***


 合格通知が届いてから1週間後、私達合格者は再び王宮に招集された。


 一次審査の時にはあれだけたくさんいた令嬢たちだけど、残ったのはこの部屋にいるたったの十二名のみだ。かなり絞り込まれたのね。あの日一緒のテーブルだった彼女たちはどうやら選ばれなかったみたい。ちょっと残念かも。


 私達はこれからこの王宮に居を移し、毎日教育を受けることになった。家の使用人を連れてくることはできず、王宮の侍女が付けられた。だけど世話をしてくれる、というより監視、観察が主な目的のような気がする。朝起きてからの一挙手一投足について小言が飛んでくるのよ。食事にも毎回必ず指導者が付き、料理を味わうこともできない。教室への移動中もじっくり見られ、歩幅やつま先の角度まで指定されたわ。

 これらはあくまで生活における指導であって、マナー講習は別に時間を作って行われる。その時の指導の厳しさったら。背筋や指先が伸びてるかどうかなんて基本は当たり前で、呼吸の長さや扇の所作、笑みを浮かべるときの瞼の動かし方なんて指導もあったくらい。


 意外だけど、学科の授業は結構楽しかったわ。各分野の専門家が集い、一対一で各人に合わせた教育が施されているのだ。だから他の令嬢と顔を合わせる機会はあまりないの。ちょっと他の子と仲良くなりたかったなって思ってたから、そこだけはがっかりしちゃった。


 最初の一ヶ月ですでに三人の令嬢が辞退を申し出た。それからも何人も脱落者が出て、指導も日に日に厳しくなってゆく。私も例外ではなく、とうとう耐えきれなくなって涙をこぼす日々が増えてきた。


 ある日、マナー講習の時間を終えて次の教室へ行かなくちゃならないのに足が動かなくなった。

 行きたくない。鼓動が激しく脈打って、一歩を拒む。その頃には移動の監視もゆるくなっていたので、目を盗んで、どこかの庭の植え込みの陰に逃げ込んだ。


「ぐずっ……うえっ、帰りたいよぅ」


 とうとう弱音を吐き出してしまった。

 だめだ。公爵令嬢として、また選考中の身としても、誰にも弱音を漏らしているところなんて見せられない。わかっているけど涙は止まらず、ぐっと顔を伏せて息を潜めながら泣いた。


 ――少しの間そうしていたら、植え込みの向こうから、誰かがやってくる気配がした。


 やめて……来ないで!

 お願い、向こうへ行って!

 こんなところ見られたら、その場で失格になってしまうかも……!


 心の中の祈りが通じたのか、その気配は少し手前の木の向こう側で止まった。そしてこちらを気にするようにちらちらと顔を覗かせた。


 私と同じくらいの背丈の、男の子だった。


 男の子は私のことを気にしているようで、木の陰からこちらをじっと見ている。

 こちらに来ることはなかったけど、私も涙が止まらないのでそっちを向くこともできず、相変わらず顔を隠して縮こまっていたわ。そんな居心地の悪い時間が少し続いて、そしたら……。


「ラーラーラーラ、ラーラーラ」


 突然男の子が歌い出したの。


「ラーラーラーラ、ラーラーラ」


 な……何かな? もしかして、私を元気づけようとしているのかしら。一生懸命な感じがちょっと可愛らしいと感じてしまった。それに、どこかで聞いたようなこの歌。そうだ、たしか文字を覚えるときの歌、だったような。私達より小さい子が歌う……。


 歌声が、なんだか心地いい。

 この植え込みの陰で、ずっと聴いていたい。

 しばらくの間、その歌声に身を委ねていたら、少しずつ心が落ち着いてきた。


 そうだ。私はこんなところでうずくまっていたらだめなんだ。

 立ち上がって、男の子にペコリ、と頭を下げて走り出した。いつの間にか、涙は止まっていた。


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