8章. 封印の夜(六日目朝〜)

8−1. 静かな朝

 朝――のはずだった。

 けれど、窓の外には“朝”そのものがなかった。

 霧は夜の膜をそのまま貼りつけたように厚く、光の方向も色も分からない。僕たちは時計を見ることでしか、六日目を知ることができなかった。


「……点呼する」

 桐生 隼人が名簿を握りしめ、静かに読み上げた。

 返事が体育館の天井に淡く反響する。その回数を、僕は指先で数える。


 十九。

 ――停電の起きた昨夜と同じだ。

 桐生の顔も、美咲の肩の力も、わずかに緩んだ。


 昨日まで、この体育館には二十四人がいた。

 五日目の夜、停電の瞬間に五人――笹本里美、平田祐樹、佐藤詩、佐藤奏、黒川慎太郎が同時に姿を消した。

 全員が、声の一つも残さず。


「……五人、戻ってきてないな」

 浜田先生の一言で、再び静けさが満ちた。


 体育館の床には十九枚の毛布が並ぶ。

 夜が明けても埋まらない空白。

 “そこに存在した気配”だけを持ったまま、形は失われてしまった。


 美咲が僕の方を見た。

「……探しに行こう」

 その声は震えているのに、意志ははっきりしていた。


 桐生が頷く。

「学校の中を確認するぞ。十九人全員で動くのは危険だ……だが、最初は距離の近い場所からだ」


 そう言って、体育館の扉を開いた。

 冷えた空気が流れ込み、僕たちは足を踏み出した。


 六日目の廊下は、昨日までの校舎とは別物だった。

 照明は点いているのに、光が溶けていく。

 霧の白が窓の向こうで膨張し、距離の感覚を奪う。

 靴音を立てるたび、廊下がほんの少し沈むように感じた。


 最初に向かったのは体育倉庫だった。

 体育館に隣接しているぶん、異変が起きているなら真っ先に影響が出ていてもおかしくない。


 扉を開けた瞬間、鉄と埃の匂いが流れ出した。

 懐中電灯の光の先――跳馬の側面に黒い“影”が貼りつくように残っている。

 矢島 亮。

 その名前を思い浮かべた瞬間、喉の奥が熱くなる。


 影は、誰かが途中で削りかけた彫刻のように輪郭が乱れ、内部が欠けていた。

 近づくと、その隣――鉄棒の支柱に、平田祐樹が絡みつくような姿勢で固まっていた。


 筋肉の線はそのままなのに、表面は金属に近い冷たさを帯びている。

 掴もうと伸ばした腕の位置から、その“最後の動き”まで想像できた。


 跳馬に残った矢島の影は、そこへ“先に吸い込まれた”跡のようだった。

 平田は、それを止めようとして伸ばした腕のまま固まりかけている――そんな位置関係だった。


「……助けようとしたんだね」

 美咲が言った。声が震える。


 白石がゆっくり首を振る。

「分からない。でも、これは……途中で止められた形だ」


 誰もその場を長く見ていられなかった。

 桐生が「次だ」と小さく言い、僕たちは倉庫を後にした。


 次に向かったのは旧昇降口だった。

 六つある校舎の出口の一つで、封鎖されている場所だ。

 体育館からもっとも近い“外へのつながり”でもある。


 廊下の突き当たりまで進むと、遠くから黒い染みのようなものが見えた。

 近づくにつれ、それが“影”の形をしていることに気づく。


 黒川 慎太郎だった。

 床に、人の輪郭のまま沈み込み、タイルと一体化している。

 光が当たるたびに黒が震える。呼吸しているように。


 僕は息を呑んだ。

 これは“展示”だ。

 誰か――神代が、六日目に向けて作品を並べはじめたんだ。


 白石が小さく言う。

「……二つ目だね」


 そのまま僕たちは校舎の内側へと移動した。

 階段を上がり、薄暗い廊下を抜けると、美術室の扉が見える。


 扉を開けると、絵の具の匂いが濃く漂ってきた。

 光が当たるキャンバスの表面が、まだ湿っているように輝いている。

 その中央――


 笹本 里美が絵の中に沈んでいた。

 瞼を閉じ、まるで浅い眠りに落ちているように。

 でも、その肌の端が絵の具へ溶け込むように滲んでいる。


 筆跡が揺れる。

 気のせいではなかった。

 ほんのわずかに、表面が“乾いていない”のだ。


「……吸われてる」

 白石が呟いた。

「描かれたんじゃない。取り込まれたんだ」


 僕は胸が締めつけられた。

 あれほど動き回っていた笹本の声も気配も、もうどこにもない。


 最後に向かったのは理科室だった。

 美術室から少し離れた位置にあり、廊下の冷たい空気がそこだけ重くなっている。


 理科室の扉を開けると、青白いガラス棚の光が広がった。

 棚の中――透明な液体の中に、双子の姿があった。


 佐藤 詩、佐藤 奏。

 抱き合ったまま静止し、髪が液体の中でわずかに揺れている。

 泡がゆっくりと昇り、それが二人の輪郭に触れるたびに光が反射した。


 白石がガラスに触れた。

 返ってきたのは、冷たい自分の指の温度だけだった。


 その光景を前にして、ふと、昨夜のことが脳裏をよぎった。


 佐藤の双子は、確かに手を繋いでいた。

 誰もがそう思っていたし、疑いもしなかった。

 「一人にならない」――その条件は、満たしているはずだった。


 けれど。


 奏は前を見ていた。

 詩は、何かに気づいたように、振り返ろうとしていた。


 同じ場所にいながら、

 二人は同じものを見ていなかった。


 その瞬間のズレが、

 今、目の前の形になっている気がした。


「……五つが揃った」

 桐生が呟いた。


 体育倉庫の彫刻。

 旧昇降口の影。

 美術室の絵画。

 理科室の標本。

 そして体育館で消えた五つの空白。


 六日目の朝は、こうして始まった。

 僕たちはまだ十九人。

 けれど、校舎の“展示室”としての顔は、すでに明らかだった。


 六日目――

 これは、ただの確認ではない。

 “作品に並べられた世界”の中を歩く日だ。

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