第2話 潮来到着、悪友と確保



 ​新大阪駅を文字通り「飛び出し」てから数時間。


 東海道新幹線を乗り継ぎ、在来線を乗り継ぎ、道頓堀こけるは、ついに目的の地・JR潮来いたこ駅に意気揚々と降り立った。


 ​ 季節は初夏。大阪のそれとは違う、どこか水の匂いを含んだしっとりとした空気が、こけるの頬を撫でる。


「着いたで! ついに着いたったわ! 水郷・潮来!」


 ​こけるはプラットホームで大きく伸びをすると、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。


(クンクン……ああ、間違いない。この湿り気、この芳香……)


 彼の脳内では、その空気がすでに「美女の吐息」に変換されている。


「これは『お嫁さん』の匂いがプンプンするで!

 ワイを待つ乙女たちの、甘い香りが充満しとるわ!」


 ​駅の改札を抜け、観光案内所でもらったパンフレットを片手に、こけるは「あやめ祭り」が開催されている「水郷潮来あやめ園」へと小走りで向かった。


 彼の足取りは、まるで宝の山(お嫁さんパラダイス)を目前にした海賊のように軽い。

 ​園内は、パンフレットの写真以上に壮観だった。


 一面に見事な菖蒲あやめが咲き誇り、紫や白のグラデーションが目に鮮やかだ。

 観光客も多く、老夫婦から家族連れ、若いカップルまで、多くの人々がのどかな水郷の風景を楽しんでいる。


「ほほう。なかなかの賑わいやな。……ふむ。

 しかし、あれは違う、こっちも違う……」


 ​こけるは、鋭い(と本人は思っている)目つきで、川辺をキョロキョロと見渡す。

 彼の目的はただ一つ、テレビで見た「嫁入り舟」だ。


(テレビでは、白無垢の花嫁さんが舟に乗っとった。 つまり、あの舟に乗ってる=『お嫁さん』や。その舟が、ワイみたいなイケメンの『婿』を探して、この水路をぐるぐる回っとるに違いない!)


 ​こけるの壮大すぎる勘違いは、すでに妄想の域に達していた。

 彼が探しているのは、花嫁行列ではなく、いわば「お嫁さんの回転寿司」のようなシステムだったのである。


「おっ! あれか!」


 ​こけるの視線が、水路に浮かぶ一艘の小舟を捉えた。

 しかし、それは彼が期待した「嫁入り舟」ではなく、観光客を乗せて水路を巡る「さっぱ舟」だった。

 船頭さんが巧みに竿を操り、観光客がのんびりと水上散歩を楽しんでいる。


「ちっ……あれはただの観光舟か。まあええわ、本命はあっちの舟着き場やな」


 ​こけるが視線を移した先、少し大きめの舟着き場で、人だかりができていた。

 その中心に、一人の女性が立っている。

 スラリとした長身に、知的なスーツを着こなし、まるでキャリアウーマンが休日出張に来たかのような雰囲気だ。

 彼女は水面や周囲の地理を、何かを調査するかのように鋭い目つきで見つめている。


(キタ……!)


 ​こけるの全身に電撃が走った。


(なんやあの美女! キリッとした知的な雰囲気! 涼しげな目元! まさにワイのタイプや!)


(あれが茨城の『お嫁さん』候補か! きっと、婿選びに真剣なあまり、あんな鋭い目つきで男を吟味しとるんや!)


 ​こけるは慌てて服の襟を正し、無駄に髪をかき上げた。

 そして、獲物を狙うハンターのように、しかし足音は猫のように忍ばせ、スッと女性に近づいた。

 間合いは2メートル。完璧な距離だ。


 ​彼は、人差し指をスッと立て、陰陽師らしい(と本人が思い込んでいる)神秘的なポーズを決めた。


「お姉さん!」


「……何かしら?」


 ​女性……大江戸 英里香おおえど えりかが、怪訝な顔で振り返る。

 その視線があまりに冷たかったため、こけるは一瞬ひるんだが、懐の『ヘソクリ・E』が彼に勇気を与えた。


​「その咲き誇る菖蒲あやめもええけど、お姉さんの方がよっぽど『見頃』や!」


「はぁ?」


「ボクの『お嫁さん』に、ならへんか? 浪速の陰陽師が、あんたの未来、占ったるわ!」


 ​英里香の顔が、凍り付いた。

 ドン引き、という言葉が生ぬるいほどの、完璧な「不審者を見る目」だった。

 彼女が「警察呼びますよ」と口を開きかけた、まさにその瞬間だった。


 ​ビシャァッ!!


​「へぶっ!?」


 ​鈍い音と共に、強烈な発酵臭がこけるの鼻腔を襲った。

 何かが、こけるの後頭部にクリーンヒットしたのだ。

 粘り気の強い、無数の粒を含んだ、茶色い物体が。

 それは、こけるの(自称)イケてる髪型を無惨に蹂躏じゅうりんし、襟足から首筋へと不快に垂れていく。


​「つぶっ!? ねばっ!? な、なんやこれ!?」


 ​こけるは、後頭部に手をやり、指についたソレを見て絶叫した。


「な、納豆!? なんで納豆が空から!? テロか! 茨城のテロなんか!?」


 ​こけるがパニックになりながら振り返ると、そこには……


「こ・け・る」


 ​地獄の底から響くような、しかし、世界で一番聞き慣れた低い声。

 鬼もかくやという形相で腕組みをし、仁王立ちする恋人・舞鶴 海里がいた。


 その手には、空になった「わら納豆」の包みが、まだ湯気(?)を立てて握られている。


「い、茨城名物『納豆式神』や。よう粘る(しつこい)やろ? あんたの、そのしょうもないナンパみたいにな」


「式神ちゃう! ただの納豆やんけ! しかもあったかいやつ!」


「アホ。投げつける直前に霊力で『人肌』まで温めといたったわ。その方が粘着力(ダメージ)上がるやろ」


「いらん心遣いや!」


 ​こけるが海里の登場に狼狽うろたえていると、その混乱に拍車をかけるように、明るい声が響いた。


「おー! こける! 来てたのか! って、うわっ、納豆まみれ! 汚ねえ!」


 ​ガシッ!


 納豆まみれのこけるの肩に、遠慮なく腕を回してくる男。

 短く刈った髪、がっしりとした体躯。英里香によく似た精悍な顔立ち。


 英里香の兄であり、こけるの悪友……警視庁のキャリア、大江戸 嵐おおえど あらしだった。


「ひぃっ!? あ、嵐まで! なんでおんねん!」


「よう! 海里ちゃん! 久しぶりだな!」


 嵐の能天気な挨拶に、海里が「どうも」と小さく会釈する。

 ​さらに、嵐の隣から、小柄な少女がひょっこりと顔を出した。


 ゴスロリ風の奇妙な服を着こなし、その頭上には小型のドローンがホバリングしている。独特な言葉遣いの少女……潮来 由利凛いたこ ゆりりんである。


「おお、こける! 嵐の言っていた『アホな友人』が来るとは、お主のことじゃったか!」


「アホ!?」


わらわの地元・潮来へようこそ、なのじゃ! その姿、まさに茨城の洗礼、なのじゃ!」


 ​こけるの顔が、納豆の茶色を通り越して真っ青になる。


 包囲網は完璧だった。


 ​最初に我に返ったのは、目の前で起きた「納豆テロ事件」に呆然としていた英里香だった。

 彼女は、兄(嵐)に冷たく言い放つ。


「……兄さん」


「ん? なんだ英里香」


「この、納豆まみれの不審者が、あなたの『悪友』? ……最悪よ。日本の警察官僚の交友関係として、最低だわ」


「ひどい!」とこけるが抗議するが、英里香は完全に無視した。


 ​海里は、こけるの頬をむにゅっと、しかし万力のような力でつねり上げる。


「いひゃい! いひゃいれふ!(痛い! 痛いです!)」


「ウチを誰や思てんねん。あんたのGPS見たら、案の定『潮来』直行や。そんでピンときたわ」


「ぴん!?」


「由利凛の実家がここやから、もしかしたら嵐さんらも来てるかも思て連絡したら、案の定ビンゴや。全員集合や」


 ​海里はつねっていた手を離すと、嵐たちに向き直った。その顔は、すでに「清算」の表情になっている。


​「さて、皆さん。お騒がせしました」


 海里は、こけるの懐から、納豆で少ししっとりした『ヘソクリ・E』の封筒を抜き取った。


「罰金や。この納豆代(特上わら納豆)と、ウチの大阪からの交通費、ぜーんぶ、こいつの『ヘソクリ・E』でお支払いしますんで」


「おおっ!?」


「皆さん、今夜のメシ、期待しとってください。もちろん、一番高いやつで」


 ​嵐が、ニカッと太陽のように笑った。


「おっ! さすが海里ちゃん! 話が分かる! よーし、今夜は常陸牛だ!」


 由利凛も、ドローンを回転させながら歓声を上げる。


「A5ランクの肉なのじゃ! わらわ、アンコウ鍋も所望するのじゃ!」


 英里香までもが、こほんと咳払いを一つ。


「……べ、別に、お腹が空いてないわけでもないし……(ゴクリ)」


 ​「えっ!? えっ!? ワイのヘソクリ・Eが!? 全員分のフルコースにぃぃぃ!?」


 ​こうして、こけるの「お嫁さんパラダイス計画」は、懐かしい(そして最も厄介な)悪友たちとの再会と共に、開始数時間で納豆まみれで確保されたのだった。


 こけるの悲鳴は、のどかなあやめ園に虚しく響き渡った。




 ※ 作者より


 私の作品、【 邪神が転生 ! 潮来 由利凛と愉快な仲間たち 】

https://kakuyomu.jp/works/16818622171901642393


 その数年後の作品、【 ツンデレお嬢様弁護士は奮闘中! ~法と人情で悪を裁く! ~ 】

https://kakuyomu.jp/works/16818622173709519416


 とのクロスオーバーをしています。


 こける も 海里も【邪神が転生 ! 】から生まれたキャラクターでした。


 茨城県民の日記念と云うことで、コラボ記念作品として書いてみました。


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