【罪】8話

 

 【8】


「だーかーら、そういうことを聞いてんじゃないの。できないじゃないわ、どうにかしなさいって言ってんの!」


 アリエスの怒号は、その部屋だけでは収まりきらなかった。魔法学校の一室から放たれた声は、廊下どころか三つ先の教室にまで届く。


 太陽は地平に口づけしはじめる時刻。しかも休校日で校内はがらんとしており、その喚呼を耳にした者はごくわずかだった。


「いや、しかし…… そうは言ってもだね、アリエスくん」


 有無を言わせない圧に、相手は椅子から転げ落ちそうにのけぞった。白髪短髪に白い長髭。困り顔で頭をかく仕草は、穏やかな人柄を思わせる。


 その人物は、魔法学校の校長クレイベル・ウルサンス・マーグレイである。副校長だったドルモアの常軌を逸した所業が明るみになって以来、あらゆる追及を一身に受けていた。


 にもかかわらず、机上で腕組みし仁王立ちのアリエスは、容赦がない。視線は上からまっすぐだ。


「あんたは校長なんだから、それくらい簡単でしょ? ちょいちょいっと書類をいじれば済むことでしょ!」

「ううむ…… しかしだねぇ」

「ちょっと、あなた。まずは机の上から降りなさい。はしたないですよ?」


 青い教官服の年配女性が、ハラハラと声を差し挟む。教室の空気がわずかに硬くなる。


「うるさいなぁ。アンタ程度がワタシに意見しないで。ワタシが用のあるのは校長よ。アンタみたいな一介の教官風情じゃないわ。引っ込んでなさい」

「な、なんですって? 今、なんて言いましたか?」


 売り言葉に買い言葉。女性教官の声が上ずる。校長はふたりを交互に見て、困惑の色を深めた。


「ふんっ」


 アリエスは女性教官から視線を切り、狙いを校長に戻す。机の端で靴先が小さく鳴った。


「ワタシは何一つ、難しいことは言ってない。そうでしょ?」

「いやね、そうは言ってもね、そんな前例はないんだよ」


 額の汗をぬぐいながら、校長はなんとか反論する。


「そんなことは知らないわよ。ワタシをこの学校に編入させなさいって言ってるの。さあ、早く」

「だから、前例が…… その、だね」


 はっきりしない態度に業を煮やし、アリエスは身をかがめた。人差し指がビシッと鼻先を射抜く。


「ああ、もう。イライラするわね!」

「なにをするかね、アリエスくん」

「前例なんかなくて当たり前でしょ。こんな事態の原因は、あのバカドルモアが生徒を洗脳して、人身売買までやっていたからよ!」


 言葉のたび、校長の鼻頭が小さく跳ねる。


「それは、そうだけれど…… 鼻をつつくのは止めてくれないかな、アリエスくん」

「な、バ、バカですって?」


 女性教官が目を丸くする。アリエスは鼻で笑い、視線をふたたび戻した。


「そんなことが“前例”になるほど頻繁に起こってたら、そっちのほうが問題でしょ。それに比べれば、ワタシの編入なんて大した話じゃないはず」


 勢い任せの屁理屈だが、堂々とした物言いに校長の判断が鈍る。部屋の空気がわずかに揺れた。


「それにね!」

「まだ何かあるというんですか?」


 女性教官が思わず口を挟む。アリエスの右手が九十度だけ滑り、彼女を指した。


「黙れ」


 その一語に、火花のような迫力が宿る。


「それに、ワタシはこの学校を卒業した記憶はないわ。卒業して去ったわけじゃない。違う?」

「ぐぅ……」


 図星を刺され、校長は言葉を詰まらせた。


「ということはね。ワタシはまだ、この学校の“生徒”でもあるわけ。生徒資格が本来は残っているの」


 女性教官と校長は顔を見合わせる。否定しきれない理屈に、視線が泳いだ。


「そこを、学校の顔を立てて“編入扱い”にしましょうって言ってるの。こっちは妥協してるのよ。いいの? ワタシは『副校長ドルモアの暴挙によって十年間監禁されていた生徒です!』って言って、普通に登校してもいいのよ。またあの事件を根掘り葉掘り蒸し返すけど?」

「うぐ……」


 恩を売るにもほどがある言い分だが、ドルモアの所業を思えば強くは出づらい。校長の肩が小さく落ちる。


「もともと首席だったアリエスくんが、いまさら編入して何を学ぶというんだね?」


 校長はため息をひとつ落とし、問いを投げた。


「確かに、魔法“だけ”なら、ボンクラ教官たちから学ぶことなんか、なにもないわ」

「な、なんですって。おとなしく聞いていれば……」


 女性教官の堪忍袋が切れ、精霊エネルギーが集まりはじめる。空気の温度が一度上がった気がした。


 アリエスも同時に収束を始め、そしてパチンと指を鳴らす。次の瞬間、女性教官の眼前でボンと小さな炎が咲いた。


 短い一幕だったが、力量差は明白だった。女性教官は唇を結び、視線を伏せる。校長はがっくりとうなだれ、深く息を吐いた。


「それで? 魔法の勉強でないなら、いったい何を学ぶつもりなんだね」

「そんなの決まってるじゃない。青春よ、青春」

 

 一瞬、校長と女性教官が、ぜんまいの切れた人形のように固まった。

 

「はぁ?」

「青春とな?」


 校長と女性教官が互いに目を見交わし、同時に声を漏らす。部屋の緊張が、一拍ぶんだけ緩んだ。


「学校はね、勉強だけを教える場じゃないはずよ?」

「確かに、あなたには“礼儀”を学ぶ必要はありそうですからね」


 女性教官がぼそりと刺す。アリエスは指を軽く鳴らし、無言の牽制で口をつぐませた。


「ワタシはね、青春を謳歌したいの。みんなと一緒に問題に立ち向かって、みんなと一緒に乗り越えて、そして誰かの役に立ちたい。今度こそ、助けてあげられる自分でいたいのよ」

「そうは言ってもだね…… 今の生徒たちとは、君は十は歳が離れている。青春どころか、話もろくに合わないかもしれん」


 外見だけ見れば、アリエスは一年生より幼くさえ見える。言葉の温度差が、部屋にうっすら残った。


 アリエスは愛らしい顔を、あからさまに曇らせた。わざとらしいほどの沈黙を、数秒置く。


「長い間、地下で拘束されていたワタシには、時々届く生徒たちの楽しげな声しかなかった。どうしてワタシがこんな目に合うの、ってずっと思ってた。ワタシの時間は十年前から止まったままよ。だから話が合うかどうかなんて、些細なこと。地下で思い描くしかなかった学校生活を、みんなと過ごしたいの」

「しかしだね……」


 なおも校長は渋る。問題児の芽は、どう見ても濃い。ためらうのは当然だった。


 情に訴える策は外れた。アリエスは肩をすくめ、最後の一押しに切り替える。


「ああ、もう。どうしても編入を認めないって言うなら、十年ぶんの利子をきっちり上乗せして、今ここで暴れるわよ。いいの?」


 校長と女性教官は視線を交わし、同じ角度で項垂れた。部屋の壁時計が、ひとつ音を刻む。


「さあ、どうするの? 早く決めないと、大変なことになるわよ」


 アリエスは、力いっぱいに脅しを投げた。声の余韻が、窓ガラスの内側で小さく揺れた。

 

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黒魔女さんからお手紙ついた 九十九沢 美勇 @tukumosawa-mihaya

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