第2話:ボタンを落とした日、恋が始まった。
「はぁーー卒業だぁ〜。」
少女は机に突っ伏したまま、卒業証書を眺めながら気だるそうに言った。
「さっき、誰か化粧ぐしゃぐしゃにして泣いてた人がいたけど?」
友達がからかうように言う。
「うるさい! さっき泣いてたのはあんたでしょ!」
前の席の友達が言い返した。
「ねえねえ、さっきの野球部の人、なんて言ってたの?」
隣の友達が身を乗り出してくる。
「第二ボタンくれたけど、受け取らなかった。」
少女──綾音は淡々と言った。
「はいはい、レベル高っ。」
前の席の友達が突っ込む。
「忘れないでよ? 綾音にはもう“好きな人”がいるんだから。」
隣の友達が綾音の肩をつつく。
「まぁ……別に秘密じゃないし。」
綾音は照れたように笑った。
「で、小棠(たん)は本当に同じ高校に行くの?」
「もちろん!」
ゆるく巻いたロングヘアの少女──棠が、笑顔で近づく。
「綾音ちゃんが高校でいじめられたら困るでしょ?」
棠は綾音を見下ろし、優しく微笑んだ。
「わ、わたし、背伸びたもん!」
綾音は立ち上がるが、頭がちょうど棠の胸に当たる高さだった。
「うーん……でも、私は162センチあるし?」
棠は綾音の頭を撫でる。
「綾音って、ほんと可愛いよね〜!」
他の二人の友達がハモった。
「もうっ!」
そのあと、担任とのお別れを済ませたあと、クラスの誰かが提案した。
「打ち上げ行こー! みんなでご飯!」
綾音は少し遅れて歩いていた。
彼女は電話をしていたからだ。
「一真(いっしん)くん、明日ね! 遅れないでよ!」
後ろから友達が走ってくるのが見えて、綾音は慌てて言った。
「えー! 綾音、誰と電話してるの?」
「もし遅れたら……許さないから!」
そう言って綾音は通話を切った。
「聞かなくてもわかる。一真くんでしょ。」
棠がにやにやしながら言う。
「本当に遅れても、どうせ許すくせに。」
「わ、わたしは……っ!」
綾音は言い返そうとしたが、両手を上げたまま力なく下ろした。
「……そうだけど。」
「ねぇ棠、綾音はあとどれぐらい片想い続けると思う?」
別の友達が面白がって聞く。
棠は綾音を一度見て、少し考えた。
「そんな長く続かないよ!」
綾音が先に答えた。
「ははっ。」
棠は笑う。
「ほんとにそうなるといいね。」
「みんなは、好きな人とかいないの?」
綾音が左右を見ながら聞く。
「いても、あなたみたいに毎日考えてないよ。」
棠が代わりに答える。
「それ、好きって言わない!」
「綾音の財布に、一真くんの写真入ってるでしょ?」
「……うん。」
「スマホの待ち受けも、彼だし。」
「…………」
「で、カバンにも、彼にもらったキーホルダーつけてる。」
棠も追い打ちをかける。
「そ、そんなに……?」
綾音は俯く。
「ばれてるよ、全部。」
みんなが恋バナをして盛り上がる中、綾音の話題も自然と出てくる。
別れの寂しさより、笑いが増えていった。
「じゃあみんな、またね!」
みんながそれぞれの方向へ歩き出したあと、綾音はふいに胸が苦しくなった。
「ねえ棠……また会えるかな、あの二人に。」
綾音は小さな声で呟いた。
夕日が柔らかく差し込んだ。
「近くの高校だし、帰省すれば会えるよ。」
棠は優しく答えた。
「それよりさ、同じクラスになれるか心配しなよ。」
「うん……一真くんと同じクラスになれたらな……」
「藤堂(とうどう)・綾音!」
翌日、綾音は早く起きて外出の準備を始めた。
「どれにしよう……」
床には服が散乱している。
困った綾音は真尋(まひろ)にメッセージを送った。
「真尋、起きてる?」
『どうしたんですか? 綾音姉。』
「一真くん起きたかな?」
『まだ。起こしてこようか?』
「違う!聞きたいことがあるだけ!」
『いいよ!』
綾音は洋服の写真を何枚も送る。
「どれなら一真くん、好きかな……?」
すぐに既読がつくが、返事がこない。
そして──
『今日に合うのは、ワンピース。』
「ほんとに?」
綾音は送った写真の中のワンピースを見る。
『安心して。綾音姉なら、何着ても可愛いです。』
「……っ! 一真くんが、そう言ったの?」
『そうですよ? “綾音は何着ても可愛い”って。』
綾音は心臓が止まりそうになった。
「ほ、本当に?」
『信じられないなら聞いてください。今起きましたよ。』
綾音は即座にメッセージを返した。
「や、やめて!! 聞かないで!!」
『冗談ですよ、綾音姉。』
「もうっ! 真尋、いじわる!」
そんなやり取りをしていたら、時間ギリギリになり、慌てて家を出た。
「一真くん!」
綾音は駅の外で一真を見つけ、駆け寄った。
「おはよう。」
一真は軽く手を上げた。
「ごめん! 靴の紐が切れちゃって……!」
「大丈夫。俺も今来たとこ。」
「もし靴を変えなかったら、遅れたのは俺だったな。」
「そ、そういうことにしとく!」
「休んでから行こう。」
一真が自販機に向かおうとすると、綾音は慌てて腕を掴んだ。
「大丈夫、少し休めば……!」
「じゃあ、座ろう。」
一真が軽く彼女の腕に触れ、ベンチに導いた。
少しして、二人は並んで歩き出した。
信号の前で綾音が何か言おうとした瞬間──
一真の手が綾音の前に伸びた。
「青になった。」
綾音は驚いて胸を押さえる。
「もう一歩で危なかった。」
「……っ!」
「ごめん。次は腕を引く。」
「……うん。」
綾音の声はほとんど聞こえないほど小さかった。
歩いている途中、綾音が突然言った。
「甘いもの、食べたい!」
近くの看板を見て、指をさす。
「“与旅相遇(トリップカフェ)”……漢字の店か?」
「行ってみよ!」
「いいよ。」
「いらっしゃいませー!」
厚めのメイクの店員が笑顔で迎える。
少し圧が強い。
席についた綾音は横にある観葉植物を見て言った。
「これ、生け花?」
「そうですよ〜。」
店員が去っていくと、一真がメニューを開きながら言った。
「“橘 凜(たちばな りん)”……名前、珍しいな。」
「ねえ、一真くんって丘上に行くんだよね?」
「うん。どうして?」
「ふふーん。実は、わたしも!」
「知ってる。綾音のお父さんとお母さんから聞いた。」
「……え、そこ驚かないの?」
「綾音、元々賢いし。受からないほうが驚く。」
綾音は口を尖らせた。
「……でも、ちょっと嬉しいかな。」
「え?」
「学校で退屈しない。」
光が差し込んだ一真の横顔は、優しくて、美しくて。
「じゃあ、わたし……教室に会いに行ってもいい?」
「ダメ。」
綾音は固まった。
一真は続ける。
「外に長くいられない。」
「少しくらい……いいじゃん……」
綾音が不満そうに呟いた瞬間。
一真の手が綾音の頭を優しく撫でた。
「また時間ある時に、買い物付き合うよ。」
「じゃあ……家まで送ってくれる?」
「仕方ないな。」
綾音はぱっと笑顔になり、並んで歩いた。
「あれ……何か渡したかった気がする……」
カバンを探しても見つからない。
「いっか。大事なものじゃなかったはず。」
一真と綾音が店を出たあと。
橘凜がテーブルを片付けながら、指先であるものに触れた。
「……ボタン?」
掌にのった小さなボタンを見つめる。
「千紗ちゃん。」
凜は珍しく真面目な声で言った。
「もしかして、さっき……恋が生まれた瞬間、私たち見ちゃったのかも。」
千紗は一瞬固まり──
「夢みんな。片付け終わらなかったら化粧没収するよ。」
「それは……困る。」
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