1から10のあいだで、きみに出会う

Haluli

第1巻:0から1になる距離

第1話:制服の文字と、ポケットのボタン

この物語の始まりは——

周りを拒みながらも、本当は誰かに溶け込みたかった少年から始まる。

そして、それは中学校の卒業式の日だった。

「では、卒業生の皆さん。中学校の課程を修了したことを祝い、

これからの未来が、より充実したものになりますように。」

校長の最後の言葉と同時に、卒業の歌が体育館に流れた。

涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらクラスメイトたちは抱き合い、

互いの制服にペンでメッセージを書いていく。

少年は、ただ静かにその光景を見つめていた。

卒業アルバムの最後の空白ページを開く。

本来なら何も書かれていないはずのスペースは、

ぎっしりと書き込まれたメッセージと名前と連絡先で埋まっていた。

「ねぇ、記念アルバムなんか見てる場合じゃないでしょ!」

背中を軽く叩かれ、少年——**一真(かずま)が振り向くと、そこには小学校で同じクラスだった紗良(さら)**が立っていた。

「どうしたの?」一真が訊く。

「みんな、あそこで寄せ書きしてるのに、なんでここで一人で見てんの。」

紗良は一真の背中を押して、クラスの輪の中に送り込んだ。

「一真が制服にもサインしてほしいってさー!」

紗良がわざと大きな声で叫ぶ。

「え、そうなの!?」

「順番ねー!」

「オレも書く!」

クラス中が一真に押し寄せていく。

普段は無表情な一真の口元にも、かすかに笑みが浮かんでいた。

クラス全員が書き終えると、今度は別のクラスの生徒たちも集まってきた。

「ちゃんとみんなと仲良くしてるじゃん。」

紗良が笑いながら言う。

ようやく解放された一真の頬には、拭いたばかりの涙の跡が残っている。

「次は私ね!」

紗良はペンを持ち、一真の腕を掴むと、

空いているところを探してゆっくり書き始めた。

「終わったら、一真にも私に書いてほしいからね。」

「あぁ。」

一真はくすぐったそうに身をよじる。

「動かないでよ。字が曲がる!」

「…無理。そこ、くすぐったいんだって。」

書き終えたメッセージは、一真の胸のあたりにあった。

「小野紗良 未来がうまくいきますように。」

「ねぇ帰りは歩き?」

紗良が尋ねる。

「ああ。そっちは?」

「友達と集まるけど——」

そこで友達に呼ばれ、紗良は走っていった。

同じように、一真もまたクラスメイトに呼ばれた。

集合写真を撮り終えたあと、

一真は深く頭を下げた。

「…ありがとう。みんなと同じクラスでよかった。」

その瞬間、涙が一気に溢れた。

家に帰ると、一真は制服を脱ぎ、

書かれたメッセージを一つ一つ指でなぞった。

「ありがとう……」

太陽の光が部屋に差し込み、

整然とした本棚と、散らかった机。

貼り付けられた付箋の数が、彼の努力を物語っていた。

その時、スマホが鳴った。

『もしもし、一真哥?』

画面に表示された名前は——

綾音(あやね)。

「卒業、おめでとう!」

「そっちも。」

「明日、文房具を買いに行きたいの。時間ある?」

「……多分。」

「じゃあ、駅で十時! 遅刻したら許さないから!」

通話が切れ、静寂が戻った。

一真は机の上の写真立てを見た。

『君の妹は、今日も元気だよ。』

そう呟いて、パソコンの電源を入れた。

しかし、何度ゲームを始めても視線は窓の外へ向かう。

青空が、なぜか切なかった。

— その瞬間、一真は制服を掴んで家を飛び出した。

「間に合う……はずだ。」

息が上がるほど走り続ける。

校舎に着き、教室の扉を開ける。

そこに――誰もいなかった。

「遅かった……か。」

ぽつん、と教室の真ん中で涙がこぼれる。

「卒業、おめでとう……」

声にならない声が、空の教室に落ちた。

そのとき。

ひんやり——とした冷たさが頬に触れた。

「やっぱり一真だ。」

横を見ると、紗良がスポーツドリンクを差し出していた。

「……なんでここに?」

「部活に戻る前に、顔を見に来ただけ。」

紗良は隣の席に座り、静かに言った。

「泣きたいなら泣きなよ。誰も笑わない。」

二人の距離が、ふっと近づく。

「耳、赤いよ。」

「あんたが近いだけ。」

「ねぇ、一真。

学校、もうちょっと歩かない?」

「……いいよ。」

——もし時間が止まるなら。

今がいい。

紗良はそっと、自分の制服の第二ボタンが無くなっていることに気づく。

——それは、一真のポケットにある。

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