第4話 人骨
12月20日 8時
壁を塗る。
白い壁を白く。
9時
今日で何日目だろう。
一、二、三……
あれ
一、二……
何を数えていたんだったか。
壁が白い。
10時
廊下の角。
真っ白い猫が座っていた。
将軍が近づく。
猫は壁を見つめている。
そして、
スッと壁の中に消えた。
溶けるように。
将軍は壁に触れる。
冷たい。
固い。
ただの壁だった。
遠くでピアノと電子音の音楽が流れていた。
12時
中佐が訪問してきた。
宣伝部隊の隊長。
「ごきげんよう閣下」
中佐はニコニコして言った。
「さてさて、調子はどうですか?」
「毎日壁を塗っているが……」
「素晴らしい!勤勉さは民族性ゆえですな」
ハッハッハと笑う中佐。
「何しに来たんだ」
「それはもちろん撮影の依頼ですよ。
あなたの自白映像は国家元首も注目しています。
どうですか?もう認めて楽になりましょうよ」
「考えたのだが……」
「何でしょう?」
「私が認めねばならん部分もあると思う」
「つまり一部は認めると?」
「そうだ、都市への砲撃については確かに私も悪かったと思う。これに関しては認める」
「その代わりにここから出してくれないか?取引としては成立するはずだ」
中佐は顎に手をあてて、天井を見ながら
「うーん」
と唸った。
そしてパッと将軍の方を見て言った。
「ダメですね!」
「なぜだ」
「捕虜虐殺、強制労働、焦土作戦、都市包囲作戦、食糧の略奪と餓死、民間人の不当な殺害」
中佐が指折り数える。
「どれか一つでもピースが欠けるとこの作品は完成しない。あなたには全てを無制限に自白する責任がある」
「あなたのせいで100万人死んだのだから」
「まて!数字が増えているじゃないか!そんな無制限に非を認めるなんてことはできない!」
「でも、あなたが命令しましたよね?」
決まり文句のように言う中佐。
「私は真面目に仕事をしただけだ」
「そう、ですか」
やれやれ、と言った風に去ろうとする中佐を将軍は呼び止める。
「待て」
「私をいったいいつまでここに閉じ込めておくつもりだ!」
中佐はおおげさに肩をすくめる。
「わかりません。
それは先生が決めることですから」
「では、療養に努めてください!」
「なに、またすぐ来ますよ」
そう言って中佐は去った。
15時
窓の外。
庭で、看護婦たちが木の周りに集まっていた。
看護婦たちは、
木に包帯を巻いていた。
幹に。
枝に。
白い包帯でぐるぐると巻いていく。
木が真っ白になっていく。
20時
疲れ切った表情の真っ白い看護婦たちが通り過ぎた。
ふと、この精神病院の制服ではないと思った。
振り向くと誰もいなかった。
そういえば、足音がなかった。
22時
白い墓 白い雪 白い息 白い眠り
12月21日 8時
壁を塗る。
白い壁を白く。
10時
壁を塗りながら将軍は思う。
今が踏ん張りどころだ。
中佐は焦っているはずだ。
この病院でいつまでも私がぴんぴんしていれば、
ここは効果が無いとまた別のところに移動させるだろう。
あるいは、
戦争が終われば、私の自白映像など価値が無くなるだろう。
とにかく気を強く持って過ごそう。
将軍は一生懸命壁を塗った。
白い壁を白く。
11時
廊下を歩いている。
あれ、さっきもここを歩いた気がする。
それとも昨日だったか。
それとも明日だろうか。
わからない。
白い壁、白い床、白い天井。
13時
廊下で、悲鳴と音がした。
キャッ、
ドン、
という鈍い音。
将軍が振り向く。
患者の一人が、看護婦を殴っていた。
看護婦が倒れる。
顔を抑えてうずくまる。
鼻から血。
赤い血が、白い床に落ちる。
ポタ、
ポタ、
ポタ。
白い床に、赤い染み。
他の看護婦たちが駆けつける。
屈強な男の職員たちが、
患者を取り押さえる。
その時。
精神科医が現れた。
倒れた看護婦を見る。
床の血を見る。
「掃除しろ」
敵国の言葉。
冷たい声。
精神科医のものだった。
「すぐに」
他の看護婦たちが慌てて雑巾を持ってくる。
血を拭く。
でも、染みが残る。
精神科医が近づく。
しゃがむ。
染みを見る。
指で触れる。
「まだ、赤い」
看護婦たちが震える。
「白くしろ」
「は、はい」
看護婦たちが必死に拭く。
でも、染みは消えない。
「ペンキだ」
「はい!」
一人が走る。
ペンキを持ってくる。
白いペンキ。
「塗れ」
看護婦が床に塗る。
白い床が、真っ白になる。
染みが消える。
精神科医は満足そうに頷く。
しかし目は鋭いままだった。
それを見ていた将軍に、
精神科医が気づく。
フワッと微笑む。
「こんにちは、将軍」
いつもの精神科医だった。
背中に冷たいものが流れた。
14時
患者の一人が、紙を折っていた。
白い紙を、白い鳥に。
何十羽も。
机の上は白い鳥で埋め尽くされていた。
18時
精神科医が訪ねてきた。
チェスをしながら、雑談をする。
「そういえば」
精神科医が言った。
「録音、聞きましたよ」
将軍は、駒を持つ手を止めた。
「録音?」
「降伏勧告の」
精神科医は微笑む。
「良い演説でしたね」
将軍は、息を呑んだ。
「心に響きました」
精神科医は続ける。
「『私のように』という言葉」
「とても、誠実だと思いました」
将軍は、うつむいた。
「でも、放送されなかった」
「ええ、残念です」
精神科医は言った。
「あれは、届くべきでした」
沈黙。
しばらくチェスを続ける。
将軍が聞いた。
「あの白いペンキだが、ずいぶんあるな。
なくならないのか?」
精神科医は言った。
「よくお気づきで将軍。
広い視野がある、流石だ」
精神科医は続ける。
「ご安心ください。
材料は大量にあります」
「ほう、白いペンキは何で作れるんだ?」
「人骨です」
精神科医はペンキを見る。
「白いペンキは、
人骨で作れます」
視線をペンキに向けたまま続ける。
「今の時代。
人骨ほど余っているものはありません。
人間はバタバタ死にます。
うんざりするくらい死にます」
死体が、山になります。
捕虜が群れのまま、凍ります。
潰れた家のなかで一家が、腐ります。
親とはぐれた子が、餓死します。
関係のない人達が理由をつけて、殺されます。
怪我人は傷口が腐り、頭が狂って死にます。
薬が尽きた病人が、絶望しながら息絶えます。
飢えた者たちは自分を食い、列を作ったまま倒れていきます。
戦場で、
街で、
病院で、
家で、
塹壕で、
道端で、
便所で、
台所で。
――死体が転がっています。
学生たちが手をつないだまま転がっています。
看護婦が泥にまみれて転がっています。
主婦がエプロンをしたまま転がっています。
僧侶が銃を掴んで離さずに転がっています。
子供が竹槍を握りしめて転がっています。
病院の患者たちが苦悶の表情で転がっています。
最後まで戦った末に自決した指揮官が、
頭を破裂させて転がっています。
「うんざりするほど死にます。バタバタと。
どこもかしこも、
骨。
骨。
骨。
人の骨ほど余っているものはありません。」
ペンキを見ていた精神科医が、スッと将軍の目を見る。
そしてニコッと笑って人差し指を立てる。
「頭のいいやつがいるんですよ。
この骨でペンキが作れる。
真っ白いペンキが作れる。
そう考える人間がね」
精神科医は将軍の肩を叩く。
勇気づけるように言った。
「安心してください将軍。
骨は有り余っています。
この病院を百回、千回塗り直すだけの、
ペンキを作ることができますよ」
将軍はただ俯いて、手をギュッと握っていた。
21時
部屋で。
将軍は横になっていた。
人骨。
ペンキは人骨で作れる。
将軍は手を見る。
白いペンキが、爪の間に。
これは、
人骨なのか?
12月22日 8時
将軍はよく眠れなかった。
自分に言い聞かせた。
「あれは嘘だ。脅しだ。」
ペンキを見る。
白い。
普通のペンキだ。
匂いを嗅ぐ。
無臭。
普通のペンキだ。
触る。
ぬめり。
普通の…ペンキだ。
「普通のペンキだ」
看護婦が通りかかった。
将軍は聞いた。
「このペンキは、臭いか?」
看護婦は首を傾げる。
敵国の言葉で何か言う。
聞き取れない。
でも、看護婦は笑顔だった。
普通の笑顔。
「普通のペンキだ」
何度も繰り返す。
12時
廊下の角。
白い女性が、座っていた。
ムシャムシャと何かを食べている。
無音。
将軍は近づいた。
女性の手には、
白い何か。
肉?
いや、
人間の腕だった。
ギョッとして尻もちをついた。
女は消えていた。
15時
精神科医がチェスをしに来た。
文学なんかの話をしばらくしてから、
将軍が、
これは何かのついでだが、
といった雰囲気で聞いた。
「人骨ペンキ、あれは私をおどかしただけだろう」
精神科医は答える。
「ほう」
とだけ。
将軍は身を乗り出した。
「だってここのペンキは真っ白いし無臭だ。
私も軍人だ。
人骨なんかいくつも見てきたんだ。
人骨ってのはもっと黄ばんでるし臭い」
「お詳しいですね」
精神科医が微笑む。
その様子に将軍は安心した。
「ふん、まったく騙されたわ
嘘をつきおって」
嘘、
という言葉に精神科医は突然、
真顔になる。
瞬きをせずに、
ジッとこちらを見ている。
身を乗り出していた将軍が、引いた。
「将軍」
立ち上がって将軍に顔を近付ける。
将軍は後ずさろうとして、椅子に阻まれる。
精神科医の顔に濃い影が落ちて、
目だけが真っ白く光っている。
「私は、患者に、嘘を、つかない」
そう言った。
将軍の額を汗が流れた。
精神科医はフッとまた笑顔に戻る。
「患者との信頼関係は医療の要です」
壁の時計を見る。
「おっと、時間だ。それではまた今度」
精神科医は扉の前で振り返る。
「チェス、楽しみにしていますよ」
にこやかに言って去った。
17時
壁を塗る。
白い壁を白く。
将軍は思った。
昨日、参謀と話をした。
いや、違う。
参謀はもういない。
でも、確かに話した。
ペンキの缶の中から、声が聞こえた。
そうだ、ペンキが話していた。
あれは昨日だったか。
それとも今朝だったか。
12月23日 7時
将軍の手は震えるようになった。
よく眠れなくなった。
食欲も失せて、
吐き気を抑えながら食べるようになった。
白いパン。
白いスープ。
白い皿。
白い朝食。
すべてが白い。
白い制服を着た看護婦が、将軍を観察するように見る。
そして敵国の言葉で何か言う
多分、
「大丈夫?」
将軍は答える。
「大丈夫だ」
嘘だった。
8時
壁を塗る。
白い壁を白く。
10時
壁を見る。
誰が塗ったんだろう。
まだ濡れている。
ああ、そうか。
自分が塗ったのか。
いつ塗ったんだったか。
筆を見る。
手に、白いペンキ。
そうか、今塗っているのか。
11時
中庭で、看護婦たちがシーツを干していた。
風が吹くたび、白が波打った。
まるで、降伏の旗の群れのようだった。
15時
壁を塗っていた。
ふと顔を上げると親子がいた。
母親と少年。
少年が丸い円盤のようなものを持っていた。
対戦車地雷だった。
廊下の奥の電球が明滅する。
地面が揺れる。
徐々に巨大な何かが姿を現わす。
戦車だ。白い戦車がこちらに近づいてくる。
廊下の壁を歪ませてこちらにゆっくりと前進してくる。
しかし無音だ。
そして、それを見て少年が地雷を持って立ち上がろうとする。
しかし、後ろで母親が少年の服の端を掴んでいてなかなか立ち上がれない。
戦車はもう眼前まで近づいていた。
と、次の瞬間服の端を掴んでいた母親が、
少年から地雷をひったくって戦車に飛び込んだ。
爆発した。
無音。
母親の髪の毛が一房飛んで、少年の顔に張り付いた。
少年は絶叫した。
おかあああさあああああん!!!!
将軍は耳をふさいで目をギュッと瞑った。
目を開くと戦車も少年も消えていた。
16時
「私は!」
突然の大声に将軍はびくんと震えた。
振り返ると、参謀がいた。
「私は戦闘可能な者をかき集めて!
そこに合流し!
司令官となって!
最後まで戦うつもりです!」
ふざけるな、この大馬鹿者が
将軍は怒りがこみ上げてきた。
こいつを殺す。
殺して私も自決する。
腰を探った。
拳銃があった。
引き抜く。撃った。
バン。
参謀が倒れる。
倒れた参謀に撃ちまくる。
バン、バン、バン。
やった。やったぞ。
白淵は救われる。
近付いていく。
近付いて、見たら。
子供だった。
子供が竹槍を握りしめて転がっていた。
白い血を流して。
将軍は、頭に銃を押し当てた。
カチ、カチ、カチ。
空だった。
それでも引き金を引き続ける。
カチ、カチ、カチ、カチ。
視界に看護婦が入ってきた。
心配そうに色素の薄い目が将軍を見つめていた。
看護婦が将軍の頬に手を当てる。
「大丈夫?」
「大丈夫だ」
将軍の手にはただ刷毛が握られていた。
12月23日 17時
壁を塗っている。
ペンキを見る。
白い。
でも、一瞬、黄色く見えた。
「いや、白だ」
また見る。
白い。
でも、中で何かが動いている気がする。
「気のせいだ」
筆を動かす。
壁に、文字が浮かび上がる。
助けてくれ
将軍は飛び退く。
再び見る。
何も書いていない。
「幻覚だ」
また塗る。
また文字が浮かぶ。
痛い
消える。
また浮かぶ。
寒い
消える。
お腹が空いた
「やめろ!」
将軍は叫ぶ。
19時
真っ白い少年が壁に手をついていた。
そして
頭を壁に打った。
無音だった。
「おい」
将軍は言った。
少年はもう一度壁に頭を打ち付ける。
「やめろ!」
将軍がかけよる。
再び少年が壁に頭を強く打ち付ける。
強く打ち付ける。
強く打ち付ける。
将軍が近寄った時には少年の頭はひしゃげていた。
目を背けた。
そして、消えた。
将軍は思った。
私もそうすべきでは。
申し訳がたたない。
降伏した上に、敵の宣伝映像に出て自らの罪を自白するなど、
とてもできない。
死ぬべきだ。
将軍は壁に頭をとんと打った。
痛かった。
無理だ、と思った。
涙がじわりと滲んだ。
生きたい。
少年の何倍も生きたが、
まだ、生きたい。
「どうにかならんか」
ひとりでに口から出ていた。
「真面目にやってきたじゃないか」
「なぜ、こうなったのだ」
子供のころから真面目が取り柄だった。
真面目に勉強した。
いい学校にも行った。
軍人だった父親の言う通りに士官学校に入った。
優秀な成績で卒業した。
軍に配属されてからは誰よりも働いた。
将軍になってからも、ほとんど家に帰らずに働き続けた。
強制労働、焦土作戦、封鎖作戦、処刑、捕虜殺害
全て、真面目に戦争をした結果だった。
不真面目だったことは無かった。
降伏すら、真面目だった。
どうすれば部下たちを救えるか考え抜いてのことだった。
もし不真面目であれば、一人で逃走した。
「なぜだ」
なぜ、こんなところまで来てしまったのか。
子供のころから真面目が取り柄だった。
今だって、真面目に壁を塗っている。
ずっと真面目にしてきたじゃないか。
「私は、どうしたらよかったんだ」
将軍は壁に頭を押し付けて、
泣いた。
12月23日 22時
夢を見た。
大きな白旗を振っている。
しかし、重い。
「なぜこんなに重いんだ」
見上げる。
白旗に、何かが掴まっている。
骸骨だった。
一体、二体、三体…
どんどん増える。
しかし、白旗から手を離すことはできなかった。
必死に降り続ける。
やめることはできなかった。
参謀が言った
「白旗は重い。
あなたはその重さに耐えられますか?」
「無理だ、もう耐えられない」
その自分の声で将軍は起きた。
汗をかいていた。
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