白旗の骨格
理宇
第1話 白旗
11月8日 朝 7時
バサッ。
地図の束が床に落ちた。
参謀が目を見開く。
「閣下、今なんと言いました?」
将軍が目を背ける。
「降伏の準備をせよと言ったのだ」
声は震えていた。
だが、将軍の手は黄ばんだ白い布を強く握りしめていた。
戦線が崩壊していた。
軍が壊滅寸前だった。
三十万の兵が、三万になっていた。
その三万も、散り散りになって、沈黙していた。
敵はまっすぐ司令部に向かっていた。
鋼鉄の戦車を先頭に、
五十万の機甲軍団が、濁流となって殺到しようとしていた。
祖国との通信は途絶えた。
いや、一文だけ将軍に届いた。
「全滅せよ」
……最終命令だった。
「白旗をあげると仰るのですか?」
参謀が詰め寄る。
「そうだ。
そうすればみんな生きて帰ることができる」
将軍は目を背けながら話す。
「正気ですか?
敵が生きて返すとでも?
全員虐殺されますよ」
「何を言うか」
将軍が参謀を見る。
「私は敵をもはや敵と思っていない。
友人だ。
彼らはあっぱれな武人だ。
会う場所が違えば最高の友人だったとも思う。
いや、これから友人になるんだ。
そんな連中が我々を虐殺するはずがない」
ひどく真剣な口調で将軍は言った。
参謀はめまいがするようにフラリと一歩下がった。
「現実が、見えていないようだ……。
我々が何をしたのか、覚えてないのですか?
奪い、燃やし、なぶり殺しにした。
降伏して、すがってきた捕虜たちを私たちはどうしましたか?
残虐なことをしてきた。
そしてその命令を出したのはあなただ。
あなたは最後まで戦う責任がある」
「なに?
私にすべて責任があるとでも?
お前はいつだって私の隣にいたではないか。
関係無いとは言わせんぞ!」
「もちろん私も共犯です。
だからこそ、
私はあなたと共に地獄に落ちる覚悟をしていました。
なのに白旗?
敵が友達?
冗談はやめてください」
「冗談ではない。
お前と違って、私には責任がある。
もう終わらせたいのだ。
この負け戦を終わらせたい。
悲惨だ。
無惨だ。
私は戦争が嫌いだ」
参謀は言う。
「戦争を導いた人間の言葉じゃない。
責任を感じているようには思えません」
「なにを?!
私は責任をとって自決しても良いと思っているんだぞ!」
将軍は腰から拳銃を抜いて、
ドン、
と机に置いた。
沈黙する参謀を見て、将軍は鼻息を荒くする。
「申し訳がたたない!
自決せねば国家に対して申し訳がたたないと言っているのだ!」
参謀は腕を組む。
「それを私に言って何をご期待ですか?
部下として私が止めることをご希望ですか?
いいえ、
誰も止めません。
邪魔しません。
どうぞ心置きなく頭を撃ち抜いてください。
それだけの責任があなたにある」
目を見開く将軍。
それを見て、
どうぞやってください、
というふうに首を傾ける参謀。
「キサマいい加減にしろ!」
将軍は拳銃を参謀に向けて引き金を引いた。
乾いた銃声。
弾は大きく外れて壁にめり込んでいた。
参謀は腕を組んだまま目を細める。
沈黙。
はぁ、
参謀がため息をつき、
床に落ちた地図を拾い、
机に広げる。
そして指さす。
「閣下。
北東の第7地区で独立混成旅団『白淵(ハクエン)』の編成を計画しています。
撤退してきた工兵連隊と歩兵連隊の兵士たちを中心に、
学徒兵、
看護隊、
婦人会、
僧侶までもが、
武器をとって最後の抵抗をしようとしています。
教師たちは児童に竹槍を作らせ訓練しています。
精神病院では患者に敵の見分け方を教えています。
みなが総力をもって最後まで戦うつもりです!」
将軍はそれを聞くうちにみるみる顔が赤くなった。
「せ、精神病院って、お前は正気か?!
敵は機甲軍団だぞ?!戦車だぞ!?
重量三十トン時速五十キロで突進してくる鉄のバケモノだ!
一両二両じゃない!
千両だ!
鋼鉄の波だ!
何もかも一瞬で平らになる!
その前で学徒兵?!
婦人会?!
ガキに竹槍を持たせるだと!?
竹槍でどうする?!
どうする気だ!」
しかし、参謀は何も答えられない。
遠くで、低い地鳴りのような音が一度だけ響いた。
将軍はため息をつく。
「もういい。
冗談はやめてくれ。
そんな連中、
寄せ集めの残飯だ。
恥だ。
絶望的だ。
聞くだけで吐きそうだ。
もはや武人同士の戦いではない。
私は、そんなことを指示していない。
すぐに中止しろ、この馬鹿者が」
「私は!」
参謀が声を張る。
背筋を伸ばし、将軍を真っすぐに見据える。
「私は戦闘可能な者をかき集めて!
そこに合流し!
司令官となって!
最後まで戦うつもりです!」
「いい加減にしろ!」
将軍は立ち上がる。
「愚かだ!
何も意味がない!
お前は士官学校で何を学んだのだ!!」
将軍は怒鳴って机を叩く。
鉛筆がカラカラと音を立てて転がり、
参謀も叫ぶ。
「降伏しないことを学んだ!!」
カランと音を立てて鉛筆が床に落ちた。
沈黙。
参謀は声のトーンを落とす。
「閣下。最後の忠告をさせてください」
「なんだ」
「あなたはこれに加わるべきだ。
最後まで戦うことこそが誇りだ。
幾度もそう言って、
そのたびに部下たちを犠牲にしたあなたこそ、
白淵独立混成旅団の、
最後の指揮官にふさわしい」
将軍はそれを聞いて、
ギュッと目を瞑り、
それから力なく首を振った。
将軍は息切れしたように話す。
「くどい、くどいよお前は。昔から。
そして軽いんだ。
お前の言うことはあまりに軽い。
今になって分かる。
勇ましい言葉ほど、軽いものは無い。
私は……、本当に戦争が嫌いだ。
軽い言葉ほどもてはやされる。
軽やかさにみな心を惹かれる。
私の、この白旗の重さと違ってな」
将軍は握っていた白い布に目を落とす。
参謀は鼻で笑った。
「そうでしょうとも、
白旗は重い。
あなたはその重さに耐えられますか?」
「耐えるとも」
「私はそうは思わない」
言うか迷ったが参謀は続けた。
「あなたは弱い」
そして時計を見た。
「もう行きます」
参謀はそう言って去った。
敬礼もしなかった。
二度と戻らなかった。
11月8日 8時
司令部において「降伏準備」を決心
同日 10時
「降伏準備命令」を全部隊へ送信
同日 16時
白旗を掲げた使者を派遣
翌11月9日 5時
敵側から局地停戦の打診が届く
停止命令が届いた一部の部隊が射撃中止、白旗掲揚
同日 12時
敵側が集結点を指定
投降した兵たちが歩いて集結点を目指す
翌11月10日 午前
中核の1万人が集結点に到達、武装解除、身元登録を開始
同日 午後
遅れた部隊が次々に到達
集結点に計2万人が到達、収容が始まる
白淵独立混成旅団には、
降伏命令の伝達がされなかった。
11月11日
司令部筋の降伏処理がほぼ完了する。
伝達が遅れた部隊なども大部分が数日中に投降あるいは逃走した。
11月15日
白淵独立混成旅団は民間人を含めて5千人が戦闘を継続。
その半分は銃を持っていなかった。
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