第7話 布石


「なんだ、機嫌良さそうじゃん」

 

 酒場には既にジャックが来ていた。

 ハイドの姿を認めると、軽く手を挙げて存在を示す。

 指に銀細工を纏わせた赤髪の男は、そうでなくてもよく目立った。

 

 ハイドは口に浮かべた笑みの形を崩すことなく、ジャックの席へ歩み寄る。

 

「まぁね、良いことがあったんで」

 

 帽子と外套を外しつつ、通りすがりの店員を呼び止め、エールを頼んだ。

 席に座すと、早速ジャックが身を乗り出してくる。

 

「良いことって、なに? 俺、暇だったからさ、そういうの飢えてんの」

 

 その問いには、笑って返すだけ。

 良いこと……ドラキュラ伯爵の住まいが分かったことは、順を追って話すつもりだ。

 今宵はまだ早い。

 

 エールが机に置かれると、ハイドは手袋を脱ごうと指先を摘んで……小さく顔を顰める。

 指先の鍛錬の跡が、痛みで疼いていた。

 

 脱ぐのは、やめておくか。

 目の前の男にも、変に気取られたくないし。

 そのままグラスを持ち上げる。

 

「良いことはあったけれど……不安もあってね」

 痛みについ引っ張られたのかもしれない。

 思わず弱音を吐きそうになった。

 

 目の前の、まだ出会って二度目の青年に。

 

 いけない、とハイドは口を噤む。

 彼は不思議な男だった。

 親しげな空気に、つい心を許してしまいそうになる。


「えーなになに?」


 それでも良いから聞かせてよ。

 ジャックは無邪気に問うが。

 

 応じる必要はない。

 ハイドは一口、グラスの中を煽るだけに留めた。

 

「なに?不安って??」

 

 ジャックがなおも食い下がるが、当のハイドは肝心なところで、沈黙したままだ。

 ジャックは乗り出した上体を引き、つまらなそうに頬杖をついた。

 

「なんだよ、全然話さないじゃん」

 

 ジャックがこの前の仕返しとばかり、足の爪先でハイドの脛を蹴ろうとする。

 が、それを見越してハイドはあっさりと避けた。

 ジャックから舌打ちが漏れる。

 

「つまんねぇの」

 

 ジャックが口を尖らせた。

 まるで幼子のような仕草に、ハイドは苦笑する。


 本当に妙な男だな。

 路地裏で女を解体するようには、全く見えない。


 今夜は彼と、より親密な関係を築くために、会うと約束したのだ。

 ならば悩み相談は、人間関係の構築に手っ取り早いか。

 ハイドは考えを改めた。

 敢えて、こちらの弱みを晒す方向に舵を切る。

 

「それなら言うけど」

 

 ハイドは指をとんとんと、机に打ちつけた。

 

「遺体の死因を、それらしく誤魔化せる方法……知ってます?」

 

 男性遺体の乳房の中へ異物を混入し、縫合する。

 その遺体を、検死で「女性だ」と言わせたい。

 今の縫合技術では到底無理だし、たとえ上達したとしても、検死医の目を騙せるかは心許ない。

 

 さて、どう出るか。

 知っていようといまいと、これでジャックとの距離は縮まるはずだ。


 特に期待もせず、ハイドはグラスを傾けた。

 ところが返ってきたのは、意外な答えだった。

 

「死因? 検視官で良いの?」

 

 おや?


 ハイドは視線をジャックへ合わせる。

 ジャックは頬杖をついたまま、続けた。

 

「検視官なら、心当たりあるけど? それでいい?」

 

 それでいいどころか……


 ハイドは、ジャックの前のグラスが空であることに気付く。

 

「ちょっと君、もう一杯飲まない? 奢りますよ」

 

 店員へ手を挙げるハイドに、ジャックは正解の手応えを感じ、口の端を上げる。

 

「……で? それはグラス1杯分くらいには信憑性あるんでしょうね?」

 

 彼に同じものを、と店員に告げてから、ハイドはジャックへ向き直る。

 ジャックは頬杖を解き、こくりと頷いた。

 

「むかし、世話になった人の話になるけど……そいつがいつも誰か殺すときは」

「ちょっと」

 

 ハイドは一旦ジャックの発言を切る。

 

「突然すごい過去を引き出すから、驚くじゃないですか」

「え? そう?」

「ちょっと聞くけど、その世話になったという人との関係性は?」

 

 ジャックはぽかんと口を開け、視線を宙に漂わせる。

 例の、彼が考えるときの仕草である。

 

「……せんせえと……生徒??」

 

 精一杯考えてそれなら、もういい。

 話を進めよう。

 

「で? その方が、誰かの命を散らすときは?」

 

 話が戻ってきたことで、ジャックもまた意識を戻す。

 

「前の日に、いつもその検視官と呑んでたよ」

 

 そこでジャックは一旦言葉を止めた。

 視線がハイドを通り越した先を見つめる。

 背後を振り返れば、そこにはグラスを持った店員がいた。

 ジャックの前へ新たなグラスを置き、離れるのを確認してから、再び彼は口を開く。

 

「どうも金次第で、死因を変えるらしいね。

 ホワイトチャペルの管轄だから、ここら一帯の“死に方”は、そいつ次第って言ってもいい」

 

 それは大変有力な情報だ。

 是非駒として持っておきたい。

 

「……ねぇ、その人、今はどこにいます?」

 

 ハイドが問うと、ジャックは人差し指をある方向へすっと差した。

 

 咄嗟に目をやる。

 カウンター越しに、背を丸めて佇み、グラスをあおる中年の男。

 

 白髪の混じった茶色の髪は、遠目にも傷んでいる。

 地肌の透けと落ち窪んだ眼窩は、積み重ねた不摂生の賜物だろう。

 四十代にも見えるが、実年齢はもっと若いかもしれない。

 ポケットに刺さったペンはひび割れ、メモ用紙は赤黒く滲み、日頃の勤務態度がよく知れる。

 

 ただひとつ男を評価する余地があるとすれば、その眼光だった。

 如何にも死体を見慣れており、仕分けに余念がない隙のなさが伺える。


 ……仕分けの仕方は、打算で歪んでいるようだが。

 

 男は一見するとただ飲んでいるだけだが、その肩の震え、黒い指先を舐めつつ何度も紙をめくる仕草――

 ジャックの言う“金で死因を変える”男だと、直ぐに腑に落ちた。

 

 ハイドの視線が鋭さを増す。

 店内の音が遠ざかり、世界が少しだけ静かになったように感じた。


「絶対俺のこと馬鹿にしてんだよ、あのクソ」

 

 男はグラスを一気に空けると、カウンターに紙切れと一緒に叩き付けた。

 もう一杯、そう言いながら。

 マスターが、このくらいにしといた方が、と諭しても、それを振り払うかのように再度グラスを叩きつけた。

 

「畜生、いつかこの街ごと焼けちまえ……」

 

 やむを得ず、マスターはグラスへボトルを傾けた。

 注がれる褐色の液体を見ながらも、まだ男は不満を漏らす。

 

「誰が好き好んで、こんな土地に納まるかっての……

 絶対いつか吠え面かかせてやる」

 

 ハイドはジャックへ視線を戻した。

 

「……彼が検視官?」

 

 ジャックが頷く。

 

「そうそう、こいつが検視官。イカれてるけど仕事は早い」

 

 それならばと続ける。

 

「検死医に心当たりはある?」

「そいつは今はいないけど、検視官の飲み友達だよ。

 いつかここに来るんじゃね?」

 

 なるほど。

 この酒場で布石を揃えることは可能らしい。

 

 ハイドはそれまで鋭かった視線を柔和にし、にこりと笑んだ。

 

「いやぁ、君はどうやら切れ味が良いだけのナイフではなかったようで」

「どゆこと?」

 

 こっちの話、とハイドは一言述べた。


 ◇


 さて。

 目の前のナイフは、どうやら情報も持ち合わせている多機能ナイフらしい。

 

「君が思った以上にデキる男だと認めるために、もう一個聞いても良いですか?」

 

 え!とジャックが自らを指差す。

 

「デキる男……!?」

「質問に答えられたらね?」

 

 ハイドが胸ポケットからペンを取り出した。

 紙、紙……と、上着を叩くが、何の音もしない。

 

「これで良い?」

 ジャックがポケットから、何やらごわついた紙を取り出した。

 ――飴の包み紙だ。

 がしゃがしゃ鳴らしながら、1枚、2枚、とテーブルに並べる。

 

「…………」

 

 ハイドは思わず、口をポカンと開けた。

 紙から立ち昇る甘い香りに、呆れたようにやれやれと肩を竦める。

 

「なんで捨てないの……」

「ダメ?」

 

 いや、今夜だけは良しとしよう。

 

 ハイドは1枚を手に取り、シワだらけの紙を伸ばしてから、そこへペンを走らせる。


 柔和な輪郭、神経質な眉、切長の瞳。

 ひとつひとつはありきたりな部位であるはずなのに、纏まれば不思議な雰囲気の顔立ちに仕上がる。

 これは、あの金髪碧眼――ドラキュラ伯爵の姿であった。

 

「わぁ、パンチ誌みたいじゃん」

「どうも」

 

 ハイドは紙をジャックの前へ差し入れる。

 

「質問。こんな雰囲気の娼婦は見たことありますか?」

「え?」


 ジャックは紙をつまみ直し、似顔絵を見つめる。

 

「……これ、創作じゃねえの?」

「とにかくそれに似た女性、います?」

 

 ハイドはジャックを試すように見た。

 さぁ、どんな返答が来るか。

 

 ジャックは紙を反対にしたり、翻してみたり、ひらひらと扇いだりしながら、んー?と唸る。

 

「いや、居ないな……こんな上玉の女、居たら俺が拝み倒して付き合うわ」

「居ない? 本当に? 雰囲気でも良いですよ?」

 

 ハイドが尚も食い下がるが、ジャックは首を左右した。

 

「娼館だとしても居ねぇよ」

 

 ハイドは深く息を吐いた。天を仰ぐ。

 

「あー、やはり居ないか……」

「顔を潰して、いちから作り直した方が早いかもなぁ?」

 

 不穏な発言をしながらも、

 それが悪いこととも思わない様子で、ジャックはけらけら笑った。

 

「顔が潰れてる奴なら、ちょうど知ってるし」

「へぇ……」

 

 変わった娼婦もいるものだな。

 

 ハイドの焦点は酒場の天井を彷徨い続ける。

 何やらよく分からない形のシミを見つけ、なんとなくぼんやりと見入っていた…………


 が、次の瞬間。

 

 ハイドの目がはっと見開かれ、即座に首が元の位置を向く。

 突然の動きにジャックが驚き、身を引いた。

 

 ハイドはにたりと笑うと、手を伸ばしジャックの襟元を掴んだ。

 そのまま卓越しにこちらへ引き寄せ、無理矢理ジャックの上半身を乗り上げさせる。

 

「な、なに……」

 

 予期せぬ目の前の男の動きに怯えているのか、

 ジャックが目を見開き、瞳を揺らしていた。

 

 ハイドは冷たく目を細め、ジャックの頭へ手を置く。

 

「冴えてるじゃないか、褒めてあげる」

 

 本当に、便利な小刀だな。

 

 赤髪の毛束の中に指を差し入れ、掻くように撫でつける。

 ジャックは戸惑いながらもされるがままになっていた。

 というより、逆らえない。

 

 目の前の男の翳りが急に増し、底冷えするような感覚に押しつぶされそうになる。

 ジャックは息を呑んだ。

 

「ねぇ、早速だけど、その顔の潰れた女性を紹介してくれませんか?」

 

 ハイドがぱっと手を離す。

 勢いづいて、ジャックの腰は椅子の上に落ちた。

 ようやく解放されたと、胸の鼓動を早める。

 

「い、良いけど」

 

 ジャックは冷や汗を袖で拭った。

 

「……でも、何考えてるんだ? お前……」

 

 それには答えない。

 ハイドはいつもの笑みを浮かべるだけである。


 ◇


 ハイドとジャックは酒場を後にし、

 とある薬局から道を一本挟み、外階段を登った場所にいた。

 

「……なぜここに?」

 

 ハイドが首を傾げながら、ジャックを見る。

 ジャックは「あれ」と下を指差した。

 ガラス窓から、薬局の灯りが漏れている。

 

「その娼婦は大体この時間、あそこへ軟膏を買いにくるんだよ」

「軟膏?」

 

 見たらわかる、とジャックは階段の手摺りに上半身を預けて呟いた。

 仕方ない、待つか。

 

 ハイドはジャックの横に並び、煙草へ手を伸ばす。

 マッチで火をつけ咥えれば、途端に手持ち無沙汰となり、二人の間に沈黙が落ちた。

 

 夜の静けさが、耳に痛い。

 煙を吸い、吐くその音が、妙に大きく聞こえる。

 

「……なぁ」

 

 不意にジャックに呼びかけられ、ハイドは視線だけを投げた。

 

「なんで俺に話しかけたの?」

「……なんです、急に」

「だってさ」


 ジャックは少し間を空けて、続けた。

 

「初めてだったから。

 ……誰かに、声をかけてもらうなんて」

 

 そう?とハイドは手摺りに背を預ける姿勢をとり、

 煙草の灰を落とした。

 その質問には、まだ答えられない。

 

 君は俺の凶器だよ、なんて。

 

「初めては言い過ぎでしょ」

「ええ?」

 

 ジャックは視線を上にあげる。

 夜空が、銀色の月灯りが、彼の瞳に浮かんだ。

 またいつもの通り、何かを頑張って考えている。

 まるで、これまで生きてきた中の思い出を探るかのように。

 

「……いや、初めてだわ」

「……そう?」

 

 ハイドは煙草から煙を吸い、少し溜めた後、吐き出す。

 

「……まぁ少なくとも、私も初めてですよ。

 夜に、こんな外で待たされるのはね」

「ちょっと待てってば、もうすぐだから」

 

 ジャックは手摺りに腕をべたりと乗せ、その中へ顎を埋めたまま、下の薬局を見張り続ける。

 

 この青年は、一緒に居てやるだけで随分と懐く。

 裏を返せば、人との距離の正しい詰め方を知らないのだろう。

 初めて会ったときにも感じたが、まるで小さな子どもが、そのまま大人の姿を模ったような男であった。

 

 ハイドは考える。

 これなら言い方次第で、どこまでも利用できるだろう。

 

 再び煙草を咥えたところで。

 

「あ!!」

 

 突然のジャックの叫びに、思わずハイドは口から煙草を外し、咽せる。

 

「な、なに」

「来たぜ!」


 ジャックは手摺りに置いていた肘を跳ね上げ、手のひらをかけたまま地を蹴る。

 そのまま手摺りを乗り越えた。

 

「え!!」

 

 つまり彼の体は階段の外側へ、落ちて行ったのだった。

 ハイドは慌てて手摺りの上に胸を乗せ、下を覗く。

 

 そこには石畳の上に膝を曲げて着地し、平然と先を駆けるジャックの姿があった。

 

「ちょっとちょっと」

 

 ハイドは煙草を路地に捨てて踏み消し、ジャックを追って階段を駆け降りる。

 

 階下に着くと、ジャックの消えた方向へ足を速めた。

 ハイドの呼吸が弾む。

 

「なんなの!離しなさいよ!?」

 

 言い争う声が聞こえる。

 

「アンタ、あの床屋に居たガキじゃ……!」

「おおい、こっちこっち」

 

 薬局の前でジャックが女の肩を抱き、ハイドを呼んでいた。

 辿り着く頃には、ハイドはぜえぜえと肩で息をしていた。

 

「と、突然走り出すなんて……」

「だってコイツ、いつもこそこそして警戒心強くてさー」

 

 当の女は、動揺のあまり体を震わせている。

 

「なに!? なんなの!? お願い離して、帰して……」

 

 騒ぎになると面倒だ。

 

「すみません、乱暴で……ちょっとお話したいだけで」

 

 ハイドは女の顔を見上げ――目を見開いた。


 両頬から顎にかけては爛れ、まるで皮膚が滑り落ちたかのような出立ちをしていた。

 鼻はおそらく、元々はその形ではなかったに違いない。

 さもなくば、あまりに脱落が激しい。

 辛うじて残った目元から、元は美しかったであろう片鱗は窺えた。

 

 ジキルの医学書の一節が頭を過る。

 これは、梅毒の症状が進行したものだ。

 

「なんだよ、そんなにこの顔が珍しいかよ!」

 

 女は目に涙を浮かべる。


「いいよ、見せ物にでもなんでもなってやるよ! だから……」


 差し出された手が震えた。

 

「金を……金をくれよ」

 

 軟膏を買う金を。

 女は嗚咽混じりに言う。

 

「あれを塗れば、私は治るんだ。元の顔に戻って、そうすれば娘と会えるはず」

 

 興奮しているようだ。

 ハイドは財布から紙幣を1枚抜くと、咄嗟に女へ握らせた。

 

「軟膏はこれから買うところ?

 だったら邪魔してすみません、これで許してもらえます?」

 

 ハイドはジャックの頭を小突いて、女から身を離させる。

 女は肩を払い、ジャックを睨み付けた。

 

「このクソガキ、よくも乱暴にしてくれたね」

「ああ?」

 

 なかなか喧嘩っ早い女だ。

 ジャックもジャックで、煽られれば乗ろうとする。

 

 よせ、これ以上騒ぐな。

 

 ハイドはジャックと女の間に身を滑らせ、女の体を反転させた。

 

「ほら、貴女の行き先は薬局でしょう?

 用事が終わったら、私の元へ帰って来てくれますか?」

 

 渋る女の姿。

 しかし先程与えた紙幣はしっかりと握られている辺り、金には貪欲だ。

 

 良いだろう。

 彼女はエリザとは違い、この先何度も会うことはない。

 金を用いた短期的な関係で済ませよう。

 

「今夜は貴女と過ごしたい」

 

 ハイドは財布で彼女の肩を軽く叩いた。

 そして、耳――だと思われるところへ口を寄せ、囁く。

 

「あの乱暴な小僧は帰しときますから、ね?」

 

 それなら……と、女は頷いた。

 

「よかった。名前を聞いても?」

 

 彼女は爛れた唇を開いた。

 

「キャスリン……キャスリン・エドワーズ……」


 ◇


 キャスリンが薬局へ入るのを見守ってから、ハイドはジャックの頬をギュッと詰まむ。

 

「あだ!」

「何してくれてるんですか。こういうのは第一印象が命でしょう」

 

 おかげでどんな交渉でもできたところ、

 金という手段しか選ばざるを得なかったではないか。

 

「悪かったって」

 

 ハイドが手を離すと、ジャックは頬をさすった。

 悪気のなさそうな姿に、ハイドは怒りを少し薄める。

 

「……まぁいいですよ。次で挽回できたらね」

「次?」

 

 ジャックの顔がぱっと輝く。

 まだこの男の隣に立てると、喜んでいるかのような表情だった。

 

「明後日、同じ時刻に、一旦酒場で落ち合いましょう。

 その後、セント・キャサリン・ドックへ行きます」

「え?あんなとこ、何しに行くの?」

 

 首を捻るジャックを見て、尤もだとハイドは内心で呟いた。

 

 これまでドラキュラ伯爵のことは、ジキルの記憶の中でしか見たことがない。

 一度自分の目で見て、身体的な特徴を整理しておきたかった。

 

 ……彼の場合は、カルー卿より凝った加工が必要になるだろうから。

 

 ジャックにも、ドラキュラ伯爵の実物は是非見ておいてもらいたい。

 実際に伯爵の“ハンドメイド“を担うのは、彼の予定である。

 

「酒場で似顔絵を見せたでしょ?あの美人に会いたくないです?」

 

 ええ?と彼が目を見開く。

 

「あの顔、存在するの?」

 

 ふ、とハイドが笑みを溢した。

 

「約束してくれます?」

 

 これに対し、ジャックは大きく頷いた。

 

「俺、お前の言うことなら大体聞くよ」

 

 彼は本当に素直だ。

 手を振って別れていく背中を見ながら、ハイドは思う。

 

 ただ、あまりに従順が過ぎることが気になる。

 裏切られる可能性も加味しておかねば。

 

 ハイドはジャックへ手を挙げ応えながら、そう思った。

 

 駒になるのか、それとも足を引っ張るのか……

 それはこれから、すぐに分かる。

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