幕間:旅立ち前の省察

 またここにいる。長く困難な旅——いや、かなり困難な旅の準備をしているところだ。うっかり作り出してしまった危険が何なのか、まだ分かっていないというのに。


 出発前夜というのは、いつも妙な考えが浮かんでくるものだ。


 前世の俺は、体を動かすタイプの人間じゃなかった。外出するのは、十三歳の妹を学校まで迎えに行く時くらいだった。道中がいつも心配だったからだ。通りの危険、知らない人間、交通量。兄として当然気にかけることだ。


 今、(当然のように)冬音を上に乗せて横になりながら、気づいてしまった。俺は妹を一人にしてしまったのだ。あの子を。俺の可愛い妹を。母親と二人きりにして。横断歩道を渡る時に周りを見なかったなんて、そんなくだらない理由で。


 母は、長男が怠け者じゃなくて喜んでいた。あの時、家を出る前に最後に話した時、そう言ってくれた。妹の面倒を見るために、コンフォートゾーンから出ようとしていることを誇りに思う、と。


 そして俺は、あのクソみたいな道路を横断中に死んだ。


 死んだ時、俺はまだ十七歳だった。まあ、厳密に言えば今もその年齢なんだが、この体は新しい。以前のものとは違う。長旅に慣れていて、もっと頑丈だ。もし前世の体のままだったら、カオティック・ステーションの宿屋からほとんど出られなかっただろう。いや、少なくともここまで辿り着けなかったはずだ。


 外見は比較的似ている。同じ黒髪。同じ目。だが、それ以外の部分は違う。以前の弱点はもう持っていない。視力も悪くない——この世界に転生した時、眼鏡は消えていた。座りっぱなしの生活習慣から来る慢性的な疲労もない。


 それでも、毎週突然季節が変わることに慣れたわけじゃなかった。今、王都にいる今は、気候が比較的安定している。夏の暑さで汗まみれで目覚めたと思ったら、翌日には雪が降っているなんてことはない。


 小さな勝利だ。


 妹は、俺がいなくても大丈夫だろうか?


 その疑問が突然現れ、胸に重しのように居座った。


 あの子は俺を若くして失った。十三歳。兄を失うには若すぎる。


 もしかしたら、俺のパソコンを使って俺のことを思い出そうとするかもしれない。パスワードを知っているのはあの子だけだ。俺がいない時にゲームができるように教えたんだ。


 待て。


 パスワードを知っているということは……デスクトップにアクセスできるってことだ。


 俺のファイルに。


 俺の草稿に。


 ああ。


 ああ、まずい。


 でも、あのフォルダは複数のサブフォルダに守られていて、それぞれ違うパスワードがかかっている。「個人プロジェクト」→「執筆」→「開けるな」→「マジで開けるな」→「恥ずかしい草稿」。


 二度と見ないように徹底的に隠したかったんだ。自分のエゴを傷つけないために。あるいは、あの酷い出来に気づいた後に残されたわずかなプライドを守るために。


 でも妹のことを考えると……もし本当に何かを見つけたいと思ったら、どうにかして見つけ出すだろう。あの子はそういう粘り強さを持っていた。


 ………あの草稿、読んじゃったのかな……………


 その考えが、後から来る恥ずかしさで俺を満たした。


 でも、もう戻れない。それは事実だ。謝ることもできない。説明することもできない。バカな兄貴が自分のクソみたいな作品に転生したなんて、言えるわけがない。


 ただ願うしかなかった。妹が俺のことを、実際よりも良く覚えていてくれることを。


 時々、ここで幸せなのか分からなくなる。


 この世界はめちゃくちゃだった。矛盾だらけで論理が破綻した、完全なカオスだ。毎日、思春期の俺が作った世界設定の新たな惨状が現れる。そして今、一ヶ月かけて貴重なチーズを護衛するという、下手すれば自殺行為になりかねない任務に出ようとしている。


 でも……


 冬音を見た。小さな子犬みたいに寝息を立てている。呼吸は柔らかく、規則正しい。そして……笑っていた。


「……爆風……ダイキ……」と呟いた。


 夢の中で俺の名前を呼んでいる。


 次に弓月を見た。鎧を着けたまま、完全にリラックスして瞑想している。瞑想中でも姿勢は完璧だった。


 気づかないうちに、口元が緩んでいた。


 そうだ。俺はここで幸せだ。


 本当に幸せなんだ。


 彼女たちが変わった。いや、俺が彼女たちと一緒に変わった。恐らく両方だろう。


 前世では決して手に入らなかったものを見つけたんだ。目的。仲間。俺が彼女たちに頼っているのと同じくらい、彼女たちが俺を頼りにしてくれる存在。


 とにかく、旅に出なければならない。センチメンタルな考えに浸っている場合じゃない。今の俺には責任がある。


「おはようございます、ダイキさん」


 弓月の声が俺を思考から引き戻した。目を開けているが、まだ瞑想の姿勢のままだった。


「おはよう」俺は微笑んだ。「朝の調子はどう?」


「ずっと考え事をしていました」


「考え事?何を?」


「あなたと冬音がいなかったら、私の人生は予測可能で退屈なものだったかもしれない、と」彼女の声には珍しい内省的な響きがあった。「家のパン作りの伝統に従って。競技会に出て。いずれは政略結婚をして」


「政略結婚?」


「貴族の家ではよくあることです。両親はすでに候補者に言及していました」彼女は肩をすくめた。「皆……適切でした。相応しくて。退屈な」


「それで冒険者になったのか?」


「はい。もっと何かが欲しかった。予測不可能な何かを」彼女は真っ直ぐ俺を見た。「そしてあなたに出会いました」


「予測不可能、確かに俺を表してるな」と認めた。


「君たちがいなかったら……」俺は続けた。正直になる時だと感じて。「多分ギルドのシャワー室に住み着いて、窓がちゃんと閉まらないあの家で暮らしてただろうな。カオティック・ステーションのあの町に閉じ込められて、少しずつ狂っていく。だから、二人がいてくれることに心から感謝してる」


 弓月は俺の視線をじっと受け止めた。そして、今まで見たことのないことが起きた。


 頬の片方が赤く染まった。片方だけ。左側だけ。右側は変わらないまま。


 この世界では、頬を赤らめるシステムすらバグってるらしい。


「ダイキ……」彼女は静かに言った。「ありがとう。あなたは完璧です」


「そんなことない——」


「最後まで聞いてください。あなたは予測不可能です。時々不器用で。誰もが当たり前だと受け入れていることに疑問を持つ。行く先々で混乱を引き起こす」


「これ、褒め言葉に聞こえないんだが——」


「でも、いい問題です」彼女は遮った。「あなたは良い問題をもたらす。良い問題のおかげで、良い結果が生まれる。今回のチャンスもそう。あの貴重なチーズを手に入れる本物の可能性。あなたがいなければ、私たちはここまで来られませんでした」


「君たちがいなかったら、俺は死んでた。多分初日に爆発ガエルに潰されてたな」


「それも事実ですね」


 互いに微笑み合った。


「もう一つ、君の言う通りだ」俺は言った。「もしギルドに直接聞いていたら、せっかちに動いていたら……今頃牢屋の中だろうな。いや、もっと酷いことになってたかも」


「溶岩を投げつけられていたかもしれません」弓月がユーモアとも取れる口調で付け加えた。


「その通り」


 そのまま考えを口に出そうとした瞬間、何かが俺の顎に触れた。


 冬音の杖の先端だった。


「ダイキさん……」まだ半分眠そうに呟いた。「喋りすぎ。静かにして。寝たいの」


「今起きて、俺に黙れって言うためだけに?」


「うん、そう〜 風の力が私に授けた……っていうか……私みたいに強力な魔法使いには休息が必要なの……」あくびをした。「……強力なことをするために」


 そしてそのまま続いた。魔法、風、爆発、そして俺が草稿に絶対書いてない鳥の話など、どんどん支離滅裂になっていく言葉の数々。


「フユネ」


「んー?」


「俺が喋りすぎだって言ったよな。お前、今起きてからずっとノンストップで喋ってるんだが」


 処理中の沈黙が一瞬あった。


 そして、まるで最初から起きていたかのように、ぴょんと飛び起きた。


「力を使ってこのチームを山まで飛ばす準備万端!」


「絶対やらせない」俺は優しく彼女の手から杖を取り上げた。


 頬が即座に膨らんだ。


「ダイキ、意地悪!杖返して!」


「どこにも『飛ばさない』って約束するまでダメ」


「でも速いよ!」


「死ぬけどな」


「細かいこと!」


「重要な細かいことだ」


 ついに彼女は大げさにため息をついて、手を差し出した。


「わかった。約束する。推進魔法は使わない」


 杖を返すと、即座にぬいぐるみのように抱きしめた。


「さて」俺は立ち上がって伸びをした。「行くぞ。旅に出る時間だ。そしてもしかしたら、もしかしたらだが、あの貴重なチーズを手に入れられるかもしれない」


 窓に向かい、目覚めつつある王都を眺めた。


「あの屋敷を手に入れたのは、もっと大きな何かの始まりだった気がする」


 本当にそうだった。そんな予感がずっとあった。


 多分、草稿には「主人公が家を手に入れた時、物語が始まる」とか「特定の条件を満たすまでメインイベントは発生しない」とか書いたんだろう。深く考えずにパクった、どこかで見た物語のお約束。


 だから、あの目標を達成しなければ魔王を倒せないんじゃないかと思うようになった。


 屋敷。


 全てが本当に始まる場所。


 まあ、当時の俺は屋敷を手に入れるのがこんなに大変だとは思ってなかったけど。ほとんど自殺行為に近い。


 でも、フユネと、特に弓月がいれば、きっと上手くいくはずだ。


「もっと強い奴が出てこなければいいが」と呟いた。


「何て言った?」フユネが聞いた。


「いや、何でもない。将来起こりうる問題について考えてただけだ」


「悪いこと考えちゃダメ!悪い運を引き寄せるよ!」


「この世界では、悪運は最初から設計に組み込まれてる気がするんだが」


 弓月が立ち上がり、朝のストレッチを始めた。


「一ヶ月の旅の準備はいいか?」俺は彼女に聞いた。


「いつでも」


「フユネは?」


「竜巻の準備万端!」


「それ、質問の答えになってないけど、まあ、その意気込みは嬉しいよ」


 荷物をまとめた。そんなに多くはない。着替え。大切なパン(虎の任務の後、ほぼ三つ分になった)。キャラバンの詳細が書かれたギルドの書類。そして武器。


 ああ、俺はまだ木の剣だけどな。


「一ヶ月か」自分に言い聞かせるように言った。「一ヶ月間、チーズの護衛。何が悪くなるって?」


「統計的には、色々と」弓月が答えた。


「修辞疑問だったんだが」


「修辞疑問には現実的な答えが必要です」


「いつからそんなルールが?」


「今から」


 フユネが笑った。「二人とも変〜 でもそういうとこ好き〜」


「ここにいる全員変だよ」俺は言った。「それがポイントだ」


 ヴァレリウスが指定した集合場所に向かって宿を出た。


 そこまで悪くないかもしれない……。


 嘘だ。多分大惨事になる。


 でも少なくとも、俺たちの大惨事だ。


「ねえ、ダイキ」歩きながらフユネが言った。


「ん?」


「ありがとう。全部」


「なんで今?」


「だって危険な旅に出るから。もし何かあったら……知っててほしかったの。私、幸せだって。あなたに出会えて。このチームにいられて」


 弓月が俺の反対側で静かに頷いた。


「お前ら、ドラマチックすぎだろ。何も悪いことは起きない」


「さっき大惨事になるって言ったじゃん」


「管理可能な大惨事だ」


「それ、矛盾してる」


「この世界の全てが矛盾してるんだよ」


 三人で笑った。王都の通りを歩きながら、多分俺たちを殺すであろう任務に向かって。


 でも一緒だった。そしてそれが、どういうわけか全てを耐えられるものにしていた。


 ……妹はこれを認めてくれただろう。ようやく、ただ存在するんじゃなくて、生きてるって言ってくれたはずだ……。


 その通りだった。


 このカオスで矛盾だらけの世界に来てから初めて、他のどこにもいたくないと思った。


 ここが俺の家だ。


 彼女たちが俺の家族だ。


 もし自分の世界に戻れたら、妹を抱きしめた後、真っ先にあのファイルを探すだろう。パスワードで守られたフォルダの奥深くに埋めた、恥ずかしい草稿。世界からではなく、自分自身から隠したあの草稿。


 俺の家になった草稿を。


 だって、ここにいるんだ。自分の酷い世界設定の中で生きている。無頓着に書いた矛盾の間を歩いている。未解決のまま放置したプロットホールに躓いている。この世界は、馬鹿げた日々を通して、どんな創作指南書も教えられなかったことを教えてくれる。世界設定は装飾じゃない、建築なんだと。


 そして俺は砂の上に建てた。


 でも、知らないうちに別のものも建てていた。フユネを作った。弓月を作った。


 そしてそれが全てを変える。


 確かに、この世界は物語として破綻している。地理は意味不明だ。歴史は穴だらけだ。でもその亀裂の間から、本物の人間が育った。粗末な草稿に生まれるべきじゃなかった人たち。それでもどういうわけか、俺が丁寧に書いたどんなものよりも現実的になる方法を見つけた。


 彼女たちは教えてくれた。間違いの中にも真実があることを。不完全なものが本物であり得ることを。時には、物語で最も美しいものは、決して計画しなかったものだということを。


 誰にでもそんな草稿がある。でも俺は不運にも——あるいは幸運にも——自分の草稿に閉じ込められた。自分の間違いが物理的な形を取るのを見ることになった。手を抜いた全ての部分、飛ばした全ての調査、決して来なかった「後で考える」の代償を払うことになった。


 欠陥だらけの草稿は、それに住まなければならない時、残酷な教師になる。


 でもこれも言っておく。認識には救いがある。自分の間違いをはっきり見ることが、それを正す第一歩だ。そしてここに閉じ込められていても、若さゆえの無能の廊下を毎日歩いていても、今なら何を違うやり方でするか正確に分かる。


 完璧を目指すことじゃない。自分の作品を見つめて認める勇気を持つことだ。「これはもっと良くなれる。俺はもっと良くなれる」と。


 だからもし、しまい込んだ草稿があるなら——辻褄が合わなくて諦めた世界設定、大陸サイズの穴がある物語——削除するな。逃げるな。


 作家であることは、最初から完璧に書くことじゃない。戻る勇気を持つことだ。恥ずかしいファイルを開くことだ。容赦なく、でも残酷にならず、誠実さと思いやりのバランスを保って見つめることだ。


 過去の自分にこう言うんだ。「ここで失敗した、ここも、ここもだ。でも今の俺にはどう直すか分かる」と。


 君の草稿は待っている。そして俺と違って、君はいつでも戻れる。


 そのファイルを開け。


 学んだ全てを価値あるものにしろ。


 これら全て、日記に書きながら自分に言い聞かせた。自分を励ます方法だったんだと思う。自分の間違いに何か目的があったと信じ込ませるために。そして誰が知る——もしかしたらいつか、この言葉が自分の壊れた草稿の中で生きている誰かに届くかもしれない。


 皮肉なことだ。でもこの世界では、皮肉こそが常態だ。

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