第3章 始動 (6)
校内新聞は、必ず教師の“検閲”を通される。もしそこに『謎の美少女スーパー・バイオリニスト降臨!わが校のエース敗北!』なんて書こうものなら、即刻ボツにされるに違いない。
思えば一年前。翔くんの事故――いや、事件の記事が没にされたのも、当然と言えば当然だった。学園にとって都合の悪いものは、力ずくで握りつぶされる。そのやり方は古臭いが、強固で打ち砕くのは困難だ。
だが、希望はあった。新聞部のパソコンには検閲で落とされた“没記事”がアーカイブとして残されていたのだ。さなえはそれを探しだし、そして見つけ出した。
一年前、学園内で亡くなったのが、唯先輩の弟であるという事実を。そして学校側の対応に不審な点が数々あることも。
――それが、新聞部記者としてのさなえの執念だった。
今や新聞部の活動の主戦場は、紙ではなくネットの世界に移っている。匿名性と拡散力。それは武器であると同時に、大きなリスクも孕んでいる。だからこそ、部長の手腕ひとつで活動の存続が左右される。危うさと可能性の狭間に立つ場所だった。
だから、そう軽々しく翔くんのことを出すわけには行かない。今出せば、その情報の存在を知られてしまう。また都合の悪い情報として徹底的に痕跡を消されるかもしれない。慎重に慎重を期するべきだ。
けれど。『並谷翔子を学園祭のゲストに!』という空気を醸成できたのも、ネットの力あってのことだった。誰もが気軽に“いいね”を押し、コメントを重ね、噂が波紋のように広がっていく。それは “検閲”には届かない、別の回路。
おもむろにスマホを取り出し、『並谷翔子特集』のページを開いてみた。
――自分が撮った写真が、ずらりと並んでいた。
ステージ上で弓を振り下ろす瞬間。光を受けてきらめく髪。観客を圧倒する瞳の強さ。
でも、これ。大丈夫なんだろうか。ちゃんと許可を取ったんだろうか。心臓のあたりがひやりと冷たくなる。
――いや、これは“並谷翔子”の写真だ。町田唯のプライベートじゃない。そう自分に言い聞かせる。
それでも、ひとつだけ。
首筋に小さなほくろが映り込むほどにズームアップしたカット。あれは提出しなかった。……正解だった。
あれは、ぼくだけの秘密にしておこう。
――もっとも、唯先輩には一度、見られちゃったんだけど。
◇
放課後の廊下。いつものように生物部へ向かう足取りは、今日は妙に弾んでいた。だって、明日は――“デート”。
まあ、厳密には佐藤先生と“幻の美人秘書”が同席するダブルデートだ。仕掛けられた形だと分かっていても、心臓は勝手に高鳴ってしまう。正直、あとの二人はどうでもいい。唯先輩と一緒に出かけられる。それだけで充分だ。
ふふふっ、とひとり口元がゆるむ。鞄のポケットでスマホが震えたのは、その時だった。ブブッ、と短く。
「おっと……」画面を開くと、そこに表示されたのは“唯先輩”の名前。
――「新聞部のホームページ、見たからね」
一瞬で背筋が冷たくなる。そのまま、つづけざまに新着。
――「あした、楽しみね」
いや、待ってください先輩。どう聞いてもこれは“違う意味”にしか受け取れません。僕の背中を走るのは、期待と恐怖の中間にあるぞわっとした戦慄。
喉がからからになりながら、指先が震える。それでも何とか打ち込んだ。
――「はい。ぼくも楽しみです」
送信完了の表示。すぐに既読が付く。さらに続くメッセージ。集合場所、時間。細かく指定された内容が画面に流れ、最後にひとこと。
――「覚悟しといてね」
「……は、はい」声に出してしまった。送信完了の表示。すぐに既読がつく。
手のひらにじっとりと汗。心臓がどくんと強く鳴る。
今からでも、新聞部に頼んで『並谷翔子特集』の写真、削除してもらった方がいいかもしれない。あの首筋のカットが出てたら……いや、出てはいないはずだけど……。
頭の中を、ありとあらゆる“もしも”が駆け巡り、足取りは急に重くなっていった。
生物準備室の空気は、今日もひんやりと湿っている。……けれど、ふと違和感があった。
「……あれ?」
棚の上、掃除用具の位置が昨日とは明らかに違う。水槽の砂利は新しく洗われたように白く光り、ピンセットや餌の袋も整えられていた。中を覗くと、カメの餌が新しく補充された痕跡。
誰かが入った?いや、きっと。
唯先輩だな……。
あの人は、きっと今日も授業を抜け出してここに来ていたんだろう。そして飼育作業を終えてから、夜はあのジョージ・スコットマンの元で深夜までレッスン。……一体、何のためにこの学校に籍を置いているんだろう。
弟の復讐のため?……そう思っていた。けれど――それだけではないような気もする。
さなえが仕掛けた校内キャンペーン。『並谷翔子を学園祭に!』その声は、唯先輩の耳にも届いているはずだ。彼女はどう思っているんだろう。
明日、その話ができるだろうか。いや、できるだろうかじゃない。聞かなきゃいけない。
そう心の中で繰り返したその時――。
ガラガラッ。引き戸が大きな音を立てて開いた。
「――あ、いたいた。風間くん」
振り返ると、そこに立っていたのは佐藤悟先生。
不意を突かれて、胸がどきりと跳ねる。……なんだ、唯先輩じゃないのか。
「……え?」思わず間の抜けた声が出てしまった。
「あ……えっと。先生。こんにちは」
声がわずかに裏返ってしまう。明日、一緒にコンサートに行く約束をしているのに――。実際には、ほとんど会話らしい会話をしたことがない相手だ。そのせいか、生物準備室に流れる空気はやけにぎこちない。
佐藤先生も腕を組んで所在なげに立ち、「あー……えっと。部活中だよね。邪魔していい?」と、妙によそよそしい。
……なんだ、この雰囲気。
怪訝に思っていると、先生は小さくうなずいて口を開いた。
「明日、よろしくね」
……。それだけのためにわざわざ来たの?いや、挨拶に来ただけってこと?
「それと……あの子。町田さん?沙織からはちょっと聞いただけで、実はあんまりよく知らないんだよね」
今、“沙織”って言ったぞ。この二週間でそこまで親しげに呼ぶようになったってことか。……ふん。
「その、秘書さんからは……なんて聞いてるんですか?」少し刺のある調子で切り込んだ。
佐藤先生は一瞬、言葉を探すように間を置いてから答えた。
「創造・進学コースに変わった生徒がいる。町田という」そこで区切る。
「それから?」
「それから……『この学園を左右するかもしれない、重大な秘密を知っている』って……」
どくん、と心臓が鳴った。――重大な秘密。唯先輩のことを、どこまで掴まれているんだろう。
もしかして、先生はその答えを僕から引き出そうとしている?不安がよぎる。
その気配を察したのか、佐藤先生は慌てたように手を振った。
「ああ、いや。君が知っていることは……それは明日の、その……デート?そこでは話題に出さないで欲しいんだ」
「え?」
「詳しくは話せないけど、こっちはこっちで動いている。だから……頼む」
そう言って、頭を下げる佐藤先生。教師は教師で、何か裏で都合があるんだろうか。
だが、続いた言葉は。身を少し屈めて、声を抑え――。
「やっぱりさ、楽しみたいじゃない?せっかくのデート。野暮はよしてさ。俺も今回、沙織に勝負をしかけたいから……ね?頼むよ?」
……はい、大変な買いかぶりでした。緊張感も一瞬で吹き飛ぶ。
結局、この人が頭を下げた理由は――唯先輩のことでも、学園の秘密でもなく。“幻の美人秘書”にいいところを見せたいがため。
……ため息が、自然と漏れそうになった。
それにしても、この人……ほんとに教師なのか?俗っぽさが服を着て歩いてるような感じ。威厳とかカッコよさなんて、かけらもない。いや、始業式の壇上、自己紹介で「免許持ってたの忘れてた」なんて自分で言ってたくらいだし……。
これまで、どんな仕事をしてたんだろう。もしかしてクビになったんじゃ……って、さすがにそれは失礼か。いや、でも。
「じゃ、明日。よろしく。……君も、あの子と上手く行くといいな」
軽い口調でそう言って、佐藤先生は準備室を出て行った。引き戸が閉まる音が、やけに大きく響く。
――“あの子と”。それって、ぼくと唯先輩が上手く行くといいな、ってことだろうか。
あれ。もしかしていい人なのかも。ちょっとだけ、そんな風に思ってしまった。
……って、ぼく。ちょろすぎか。
気づけばひとり、声を押し殺して笑ってしまう。これ、さなえやちせに見られたら確実に「キモっ」って突っ込まれるやつだ。
……いやいや。今はとにかく唯先輩のこと。なぜか頭の中に、最近の日課である筋トレ風景が唐突に浮かぶ。お姉ちゃんが「そーれ唯先輩! さなえちゃん! ちーせちゃん!」ってダサすぎる掛け声を張り上げるあの場面。
耳の奥でその声がリフレインして、思わず頭をぶんぶん振ってかき消した。
「……よし」
掃除も終わった。カーテン越しの夕陽に背中を押されるように、準備室を後にした。
◇
帰り道は楽な下り坂。風を切るたびに、筋肉痛で重い脚さえ軽くなるような気がする。「ほんと、家から近い高校でよかったー」思わず声に出しながらブレーキを軽く握り、頬をなでる風を楽しむ。
その時、遠くに見えた背の高い人影。――あれ、涼太じゃないか?
家の前をそのまま通り過ぎ、自転車のペダルを踏んで彼のもとまで走る。
「おーい!」
声をかけると、振り返った涼太の髪型が、なんだか見慣れない感じに。……こいつ、美容院に行ったな。前よりきちんと整っていて、それでいてふわっとおしゃれっぽい。頭はいいし、背も高いし、その上おしゃれにまでなったら……ますます勝ち目がないじゃないか。
「今帰りか、大変だな。Aセグは」部活にも顔を出さないところを見ると、きっと今まで勉強していたんだろう。
「まあな。……けど、やりたいことに集中できるってのも良いもんだぜ」
「やりたいこと?」思わず聞き返す。勉強が“やりたいこと”なんて、信じられなかった。
「俺は生物のことだけ考えていられれば、それでいいんだ」
……ああ。そうだった。涼太は筋金入りの生き物好き。さなえから「先生」なんて呼ばれるくらいだし。
「ところで……Aセグに上がった時。涼太、何点取ったの?」
問いかけると、涼太は一瞬きょとんとした顔をして――すぐに真面目な表情になる。
「……おまえ、Aセグに来たいのか?」
ドキリとする。「ああ、……いや、なんとなく」口ごもるしかない。
「なんとなく、じゃ通用しない」
ばしっと跳ね返されるように、はっきりと告げられる。胸にぐさりと刺さる。
「ごめん。あのさ。……例えば理数に行こうと思ったら、何をすればいい?」勇気を出して、まっすぐに伝える。
涼太は一瞬考えるように目を細め、すぐに答えた。
「まずは理系科目で95点、取れ。それから他の科目は90点以上。できれば数学か理科のどっちかで100点を取るつもりでな」
具体的。やっぱり、涼太は頼りになる。
今まで一度も取ったことのない点数。それを全科目で。しかも理数は95点以上、できれば100点。
――無理だろ。
胸に浮かんだのはその絶望的な感覚だった。思わずため息がこぼれる。
「なーに、たった一回取ればいいんだぜ?」
涼太は肩をすくめて、さらりと言う。軽い調子なのに、不思議と重みがある言葉だった。
確かに……まだ二学期は始まったばかりだ。それに、まだ一年生。三年分の範囲が一気に出題される大学受験に比べれば、やりようはある。
――そう考えると、涼太の言う通りかもしれない。
それでも。今まで真剣に勉強なんてしたことのない自分には、やはり高すぎる壁に思えた。
「……なんだったら、教えてやろうか?勉強法」
不意に涼太が口にした言葉に、思わず顔を上げる。
「いいのか? ……お前だって忙しいんだろ?」
「そっちが放課後に時間を取れるなら、こっちは自習の時間に合わせられる。そこでなら付き合えるぜ」
おお。……マジか。なんて心強い申し出だろう。
しかし涼太が使っているのはAセグの校舎。
「別にこっちの教室に入るのは禁止されてない。周りの目が気になるなら図書室でもいいよ」
さらりとした言い方に、逆にぐっと胸を掴まれる。
そうだ。ここは友人にすがるべきだ。このタイミングで頼らなくて、いつ頼るっていうんだ。
「……うん。ありがとう。月曜、早速いいかな」
声に力がこもる。
いつまでも重荷に感じているわけにはいかない。まずは一週間。集中して、涼太から“勉強法”を教わってみよう。
胸の奥に、久しくなかった緊張感と高揚が入り混じっていた。
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