告白チケット 一度きりの告白が、世界を変える―
ソコニ
第1話「チケットをください」
1
朝のホームルームが始まる前、教室は異様な熱気に包まれていた。
「見た? 昨日の夜中、オークションサイトで告白チケットが八百万で落札されたって」
「マジ? うちの親、絶対そんな金出してくれないわ」
「でも八百万って安い方じゃない? 藤崎先輩のチケット、去年一千二百万だったって聞いたよ」
窓際の席で、早坂鈴音は机に突っ伏したまま、クラスメイトたちの会話を聞いていた。
告白チケット。
この学園に入学した生徒全員に、一枚だけ発行される特別なカード。そのカードを使わなければ、誰にも告白することは許されない。一生に一度きり。やり直しは効かない。そして、そのチケットの価格は、家庭の資産状況によって変動する。
鈴音の家に届いた請求書には、こう書かれていた。
『早坂鈴音様 告白チケット発行価格:15,000,000円』
千五百万円。
母子家庭で、母親がパートを三つ掛け持ちしている家に、そんな金額を用意できるはずがなかった。
「鈴音ちゃん、大丈夫? 顔色悪いよ」
隣の席の友人、麻生ユイが心配そうに覗き込んでくる。
「うん、ちょっと寝不足で」
嘘だった。昨夜、母親と二人で、あの請求書を前に泣いたのだ。
「ごめんね、鈴音。お母さん、こんな金額……」
母の涙を見て、鈴音は決めた。告白なんて、しない。チケットなんて、買わない。
でも。
教室の窓越しに見える中庭で、バスケ部の朝練をしている先輩の姿が目に入った瞬間、胸が締め付けられた。
神崎蒼太先輩。
三年生で、バスケ部のキャプテン。爽やかな笑顔と、誰にでも優しい性格で、学園中の女子から慕われている。
鈴音は、一年生の頃から、ずっと彼に憧れていた。
でも、告白できない。
チケットがないから。
2
昼休み。
食堂は学食を買う生徒たちで混雑していたが、鈴音はいつもの隅の席で、コンビニで買った百円のパンを齧っていた。
「ねえねえ、聞いた? 二年の桐谷さん、告白チケット使ったんだって」
「え、マジで? 誰に?」
「神崎先輩。でも振られたらしいよ」
鈴音の手が止まった。
桐谷さん。学年で一番の美人で、家も裕福。彼女ならチケットの価格も安かったはずだ。その彼女でも、蒼太先輩に振られたのか。
「やっぱ神崎先輩、高嶺の花すぎるわ」
「つーか、告白チケット制度ってホント意味わかんない。なんで恋愛に金払わなきゃいけないの?」
「親が決めたルールだし。従うしかないじゃん」
鈴音はパンを飲み込めずに、食堂を出た。
廊下を歩いていると、告示板の前に人だかりができていた。
「今月のチケットオークション、もう始まってる!」
「やばい、絶対見なきゃ」
鈴音も興味本位で覗き込むと、デジタル掲示板には、リアルタイムで更新されるオークション情報が表示されていた。
『現在の最高額入札:告白チケット(男子生徒A) 18,500,000円』
『残り時間:23時間47分』
千八百五十万円。
鈴音の倍以上だ。
「誰だろ、この男子生徒A。絶対イケメンだよね」
「金持ちの家の子が、さらに金出して買うとか、格差エグすぎ」
鈴音は掲示板から目を逸らした。
見てはいけないものを見た気がした。
3
放課後。
鈴音は、バスケ部の練習を遠くから眺めていた。体育館の窓越しに、蒼太先輩がシュートを決める姿が見える。
告白したい。
この想いを、伝えたい。
でも、チケットがない。
胸が苦しくなって、鈴音は体育館から離れた。
気づけば、校舎の屋上に向かっていた。
ここは、普段は施錠されているが、なぜか今日は鍵が開いていた。重い扉を押し開けると、夕日が眩しかった。
誰もいない屋上。
鈴音は、フェンスに手をかけて、街を見下ろした。
遠くに見える高層ビル群。きらびやかなネオンサイン。あの街のどこかに、何千万円ものチケットを簡単に買える人たちが住んでいる。
そして、鈴音のような、買えない人間もいる。
「なんで、こんな制度があるんだろう」
呟いた瞬間、涙が溢れた。
「告白したいのに。好きって言いたいのに」
声が震える。
「なんで、お金がないと、好きって言えないの」
膝から力が抜けて、その場にしゃがみ込んだ。
「チケットを、ください……」
誰に言うでもなく、祈るように呟いた。
その時。
「じゃあ、俺のチケット使えよ」
背後から、声がした。
4
鈴音は慌てて振り返った。
そこに立っていたのは、見覚えのある男子生徒だった。
長身で、少し無造作な黒髪。制服のブレザーを脱いで肩に掛けている。目つきは鋭いが、どこか優しげな雰囲気を纏っている。
名前は、確か——
「氷川透真……先輩?」
三年生。鈴音と同じクラスではないが、噂では学年トップの成績で、家も裕福な名家の息子だと聞いている。
なぜ、彼がここに?
「泣いてたろ。聞こえた」
透真は、ポケットから何かを取り出した。
透明なカード。
夕日を透かすと、虹色に光る。
告白チケット。
「これ、使えよ」
差し出された。
鈴音は、呆然と立ち尽くした。
「え……でも、これ、先輩の……」
「いいよ。俺、使う予定ないし」
透真は、あっさりとそう言った。
「そんな、ダメです! これ、先輩の一生に一度の……」
「だから、いいって」
透真は、鈴音の手を取って、無理やりチケットを握らせた。
「お前、好きな奴がいるんだろ? だったら、これで告白しなよ」
鈴音の手の中で、チケットが体温で温まっていく。
「なんで……なんで、私に……」
「理由なんてないよ。ただ、泣いてる奴見たら、放っとけないだけ」
透真は、そう言って笑った。
屈託のない、少年のような笑顔。
「じゃあな」
そのまま、透真は屋上を去ろうとした。
「待って!」
鈴音は慌てて叫んだ。
「お礼、させてください! せめて、名前を——」
「名前はもう知ってるだろ。じゃ」
透真は手を振って、階段を降りて行った。
残された鈴音は、手の中のチケットを見つめた。
透明なカードの表面には、小さな文字で『氷川透真』と刻印されている。
夕日がチケットを照らし、虹色の光が鈴音の涙に反射した。
「なんで……」
呟いた。
「なんで、あなたは……」
理由が分からなかった。
なぜ、彼は自分のチケットを、見ず知らずの後輩に渡したのか。
鈴音は、チケットを胸に抱きしめた。
これで、蒼太先輩に告白できる。
でも、なぜか、喜びよりも、別の感情が胸を満たしていた。
罪悪感。
そして——もっと複雑な、名前のつけられない感情。
5
その夜。
鈴音は、自室のベッドで、チケットを握りしめたまま眠れずにいた。
スマホの画面には、学園の生徒専用SNSが開かれている。
氷川透真の名前を検索すると、いくつかの投稿が出てきた。
『氷川先輩、マジで金持ちらしい。親が大手企業の役員とか』
『でも本人は全然金持ちアピールしないよね。逆にストイックっていうか』
『告白チケット、確か三百万くらいで買えたはずだよ。羨ましい』
三百万円。
鈴音の千五百万円に比べれば、遥かに安い。
でも、それでも大金だ。
それを、なぜ、彼は私に?
鈴音は、ベッドから起き上がって、机の引き出しを開けた。
そこには、蒼太先輩の写真が入っている。文化祭の時に、遠くから撮った盗撮まがいの一枚。
「神崎先輩……」
告白できる。
このチケットを使えば。
でも、今夜、なぜか先輩の顔よりも、透真の笑顔が頭に浮かんでくる。
「じゃあな」
あの、屈託のない笑顔。
鈴音は、チケットをもう一度見つめた。
透明なカードが、月明かりに照らされて、幻想的に光っている。
「ありがとう……透真先輩」
小さく呟いて、鈴音はチケットを大切に引き出しにしまった。
まだ、告白はしない。
その前に、やらなければいけないことがある。
透真先輩に、ちゃんとお礼を言わなければ。
そして、聞かなければいけない。
なぜ、あなたは、私にチケットをくれたのか——。
6
翌日。
鈴音は、朝から透真を探していた。
三年生の教室に行っても、彼の姿はなかった。
「氷川? ああ、アイツ最近よく屋上にいるよ」
クラスメイトがそう教えてくれた。
鈴音は、昨日の屋上に向かった。
扉を開けると、案の定、透真がフェンスに寄りかかって空を見上げていた。
「透真先輩」
声をかけると、透真は振り返った。
「ああ、お前か。もう告白したの?」
「まだです。その前に、ちゃんとお礼を言いたくて」
鈴音は、深々と頭を下げた。
「昨日は、本当にありがとうございました」
「だから、いいって。気にすんな」
透真は、相変わらずあっさりしている。
「でも……先輩は、もう告白できないんですよね? それって——」
「別にいいよ。俺、誰も好きじゃないし」
その言葉に、鈴音の胸がチクリと痛んだ。
「誰も……好きじゃない?」
「うん。恋愛とか、興味ないんだ」
透真は、そう言って笑った。
でも、その笑顔は、昨日よりも少しだけ、寂しそうに見えた。
「だから、お前が使ってくれた方が、チケットも喜ぶと思うよ」
鈴音は、何も言えなかった。
本当に、この人は、誰も好きじゃないのだろうか。
それとも——。
「じゃ、頑張れよ。告白」
透真は、そう言って屋上を去ろうとした。
「先輩!」
鈴音は、思わず叫んでいた。
「私、まだ……先輩のこと、何も知りません」
透真は、足を止めた。
「だから、教えてください。先輩のこと」
振り返った透真の目が、一瞬だけ、驚いたように見開かれた。
でも、すぐにいつもの無表情に戻る。
「知ってどうすんの」
「分かりません。でも……知りたいんです」
鈴音は、真っ直ぐに透真を見つめた。
「先輩が、なぜ私にチケットをくれたのか。本当の理由を」
沈黙。
風が、二人の間を吹き抜ける。
透真は、少しだけ困ったように笑った。
「しつこい後輩だな」
「すみません」
「でも……嫌いじゃないよ、そういうの」
透真は、フェンスに寄りかかって空を見上げた。
「なら、ちょっとだけ話してやるよ。俺の、クソみたいな話」
鈴音は、隣に並んだ。
夕日が、また二人を照らしていた。
昨日と同じ場所。
でも、何かが、決定的に変わり始めていた。
【第1話終わり】
次回予告:
透真の口から語られる、衝撃の真実。
彼は本当に「裕福な家の息子」なのか?
そして、チケットに隠された、もう一つの秘密とは——。
第2話「彼の秘密」に続く
この物語の世界観、キャラクター、チケット制度のすべてはフィクションです
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