匿名掲示板に告白を書き込んだら、翌日から全校が応援団になっていた ―― 孤独な私が、学園中に見守られていた理由

ソコニ

第1話「匿名で書き込んだ恋」

 『告白は一度しか許されない学園 シリーズ』



屋上の、風が一番強く吹く場所。

 春川皐月はいつもそこで弁当を食べる。フェンスに背を預け、膝を立てて、コンビニのおにぎりを頬張る。イヤホンから流れるのは、歌詞のない環境音楽。人の声が、言葉が、聞こえない世界。

 空は青い。風は冷たい。そして、誰もいない。

 完璧だ。

 皐月は右のイヤホンを外し、校舎の方を一瞥した。ドアの向こうから笑い声が漏れる。誰かの誕生日らしい。キャーキャーと黄色い声。プレゼントの箱を囲む輪。

 イヤホンを押し込む。世界が、消える。

 スマートフォンを取り出す。ホーム画面には通知ゼロ。LINEのトーク一覧は母親とのやりとりだけ。『夕飯カレーでいい?』『うん』。それが三日前。

 ブラウザを開く。ブックマークの一番上。

 『白鷺学園 匿名掲示板』

 この学園には、創立以来続く伝統の掲示板がある。完全匿名制。IPアドレスすら記録されない。学園公式が運営しているくせに、教師も生徒会も内容に介入しない。

 だから、本音が渦巻いている。

 『3年の佐藤マジうざい』『昨日の体育祭、2-Bの応援マジ泣けた』『誰か数学のテスト範囲教えて』

 皐月はスクロールを続ける。指が止まる。

 スレッドタイトル『【恋愛相談】明日、告白します』

 開く。

 『ずっと好きだった人がいる。でも勇気が出ない。誰にも相談できない。だから、ここに書く。明日、氷室先輩に告白します』

 投稿時刻は三時間前。レスは五十件を超えている。

 『応援してる!』『氷室先輩って3-Aの?』『スレ主頑張れ超頑張れ』『結果教えてね』

 皐月は、おにぎりを喉に詰まらせた。

 咳き込む。涙が滲む。息が、できない。

 やっと呼吸を取り戻して、もう一度画面を見る。

 氷室先輩。

 氷室蒼。

 三年A組。生徒会副会長。成績優秀、容姿端麗、性格温厚。クラスの垣根を越えて慕われる、学園のプリンス。

 皐月が、一年の頃から密かに想い続けている人。

 誰かが、氷室先輩に告白する。

 明日。

 胸が、痛い。

 おにぎりが、不味い。

 スマホを握る手に、力が入る。

 ――私だって。

 皐月は立ち上がる。フェンスに掴まって、空を見上げる。

 ――私だって、好きなのに。

 でも、言えない。言えるわけがない。友達もいない。誰にも相談できない。氷室先輩とは同じクラスですらない。廊下ですれ違っても、彼は皐月の存在に気づかない。

 それが、現実。

 それでも。

 指が、動いた。

 スマホを開く。匿名掲示板。新規スレッド作成。

 タイトル欄に、文字を打ち込む。

 『明日、氷室先輩に告白します』

 本文。

 『ずっと好きでした。でも、友達もいない私が告白なんて、笑われるだけかもしれない。それでも、後悔したくない。だから、明日、放課後、告白します。誰も知らない、この場所に書くだけ。それでも、少しだけ、勇気が湧く気がする』

 指が、震えている。

 喉が、渇いている。

 心臓が、うるさい。

 投稿ボタン。

 タップする。

 ――送信されました。

 画面が切り替わる。自分のスレッドが、掲示板の一番上に表示される。

 三秒後、最初のレスがついた。

 『応援してる』

 五秒後。

 『頑張れ!』

 十秒後、レスは十件を超えていた。

 『スレ主、絶対うまくいくよ』『氷室先輩優しいから大丈夫』『結果教えて!』『私も昔、匿名でここに書いて告白成功した。あなたもいける!』

 皐月は、スマホを抱きしめた。

 涙が、こぼれた。

 一人じゃない。

 そう思えた。

 たとえ匿名でも、誰かが応援してくれている。

 それだけで、少しだけ、世界が優しくなった気がした。


 翌朝。

 皐月は、いつもより三十分早く家を出た。誰もいない教室で、一人、息を整える。

 昨夜、掲示板のレスは三百件を超えていた。『スレ主どこの誰だろう』『でも応援したい』『明日が楽しみ』

 読んでいるうちに、眠れなくなった。

 ドキドキと、ソワソワと、怖さと、期待と。

 全部が混ざって、朝を迎えた。

 教室に、生徒が入ってくる。いつもの顔ぶれ。皐月には誰も声をかけない。皐月も、誰にも声をかけない。

 それが、日常。

 一時間目が始まる。古文。教師の声が遠い。

 二時間目、数学。黒板の文字が、頭に入らない。

 廊下が、やけに騒がしい。

 「ねえ、見た?」

 「うん、すごいよね」

 「スレ主、誰だろう」

 皐月は、ペンを落とした。

 拾う。手が、震える。

 三時間目、英語。隣の席の女子が、スマホをこっそり見ている。画面には、見覚えのあるレイアウト。

 匿名掲示板。

 皐月のスレッド。

 心臓が、跳ねた。

 昼休み。

 皐月はいつものように屋上へ向かおうとした。

 階段を上る。

 途中で、下級生の集団とすれ違う。

 「今日だよね、告白」

 「絶対成功してほしい」

 「スレ主、頑張れー!」

 皐月は、足を止めた。

 振り返る。下級生たちは笑顔で去っていく。

 屋上のドアを開ける。

 そこには、すでに十人以上の生徒がいた。

 「今日、告白あるらしいよ」

 「誰だろうね、スレ主」

 「氷室先輩、今日は放課後忙しいのかな」

 皐月は、Uターンした。

 階段を駆け下りる。息が、苦しい。

 廊下。

 「スレ主、マジで勇気あるよね」

 「応援したい」

 「今日の放課後、見に行く?」

 教室に戻る。席に着く。

 クラスメイトたちも、スマホを見ている。

 「氷室先輩って、彼女いないのかな」

 「いないでしょ。だからチャンスだよ、スレ主」

 皐月は、机に突っ伏した。

 おかしい。

 こんなはずじゃなかった。

 匿名で、こっそり、勇気をもらうだけのはずだった。

 なのに、学園中が、この話題で持ちきりだ。

 昼の校内放送が流れる。

 『えー、本日のお知らせです。生徒会からのメッセージがあります』

 生徒会長の声。

 『匿名掲示板にて、本日、ある生徒が勇気ある一歩を踏み出すそうです。生徒会は、その勇気を全力で応援します。皆さんも、温かく見守ってあげてください』

 教室が、どよめいた。

 「生徒会まで!?」

 「スレ主、絶対成功してほしい」

 「放課後、絶対見に行こう」

 皐月は、息ができなくなった。

 立ち上がる。教室を出る。

 廊下。

 「スレ主、どこにいるんだろう」

 「見つけたい」

 「応援したい」

 トイレに駆け込む。

 個室に入る。鍵をかける。

 便座に座り込む。

 膝を抱える。

 呼吸が、浅い。

 心臓が、壊れそう。

 スマホを取り出す。掲示板を開く。

 レスは、千件を超えていた。

 『スレ主、今どんな気持ち?』『絶対応援してる』『放課後、見守りに行きます』『スレ主を探せ運動、開始!』

 画面が、滲む。

 涙が、止まらない。

 そのとき。

 トイレのドアが開く音。

 複数の足音。

 「ねえ、スレ主ってどんな子だと思う?」

 「わかんないけど、勇気あるよね」

 「氷室先輩に告白とか、私には無理」

 「でも、応援したいよね」

 「うん」

 そして、声が揃った。

 「スレ主、頑張れー!!」

 個室の外から、大合唱。

 皐月は、震えた。

 口を手で覆う。

 声が、出そうになる。

 泣きそうになる。

 叫びそうになる。

 でも、何も言えない。

 匿名のまま、個室の中で、ただ震えている。

 外の声は、やがて遠ざかっていった。

 静寂。

 皐月は、スマホを握りしめた。

 画面には、自分のスレッド。

 千件を超えるレス。

 全部、応援。

 でも。

 怖い。

 嬉しいのに、怖い。

 温かいのに、息苦しい。

 一人じゃないはずなのに、今、誰よりも孤独だ。

 皐月は、顔を上げた。

 個室の天井を見上げる。

 蛍光灯の光が、眩しい。

 ――私、どうすればいいの。

 答えは、ない。

 ただ、時間だけが、放課後へと向かって進んでいく。

(第1話 終)


次回予告:第2話「誰も信じられない」

学園中がスレ主探しに躍起になる中、皐月は疑われない。なぜなら――「あの子が恋愛とか、ありえないでしょ」。

だが、廊下で氷室先輩とすれ違った瞬間、彼は微笑んで言った。

「掲示板、見たよ」

皐月の心臓が、止まる。

バレた?

それとも――

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