File4.黒電話の誇りと、異世界への通話について

「九十九さん、次の案件なんですが」


事務所のデスクで、咲耶(さくや)が分厚い封筒を抱えて困り顔をしている。 雪女の案件が片付いたばかりだというのに、彼女のデスクには既に新たな『転生申請書』の山が築かれていた。


「どうしました? また無理難題な要望(オーダー)ですか」


「いえ、逆なんです。ご要望は切実なんですが、このクライアント様、ご自身が『何になりたいか』が分からないそうで……」


咲耶が差し出した書類には、古風な達筆でこう記されていた。

『希望:誰かの役に立ちたい。ただ、それだけです』


「ふむ。具体性のないオーダーは一番厄介ですね」


「ですよねぇ。でも、ご本人はとっても真面目そうな方で」


その時、事務所の扉が控えめにノックされた。 現れたのは喪服のような黒いスーツを着た初老の紳士だった。 その姿は半透明で、どこか昭和の哀愁を漂わせている。 今回のクライアント、付喪神(つくもがみ)の『黒電話』氏だ。




「私は、もう一度誰かの声を届けたいのです」


ソファに深く腰掛けた老紳士は静かに語り始めた。 彼は昭和、平成、令和と三つの時代を生き、ある一家の玄関で吉報も凶報も全てを伝えてきた。 だが携帯電話の普及と共に沈黙し、先月持ち主だった老婆が亡くなったことでついにその役割を終えたという。


「遺品整理で私は不燃ゴミとして出されるはずでした。ですが、お孫さんの健太君が私を拾い上げてくれたのです」


「ほう。捨てられずに済んだのなら幸せなことでは?」


オサキが茶を出しながら問う。


「いいえ。それが辛いのです」


老紳士は悲痛な面持ちで首を振った。


「健太君は私を『レトロなインテリア』として新しいマンションの棚に飾りました。埃を払い、磨いてくれる。とても大切にしてくれています。 ですが……私は電話なのです。 線も繋がれず、ただ眺められるだけの余生は……『道具』としての私にとって死んでいるのと同じなのです」


愛されているからこそ、役に立てない自分が惨めになる。 それは実直な道具ゆえの深い絶望だった。


「事情は理解しました。現場へ向かいましょう」


俺は立ち上がった。


「あなたが『インテリア』として生きるか、それとも『通信機』として新天地(異世界)へ旅立つか。その答えは、現在の所有者(オーナー)であるお孫さんの中にあります」




案内されたのは都心の瀟洒(しょうしゃ)なマンションだった。 モダンなリビングの飾り棚に、その黒電話(本体)は鎮座していた。 周囲にはお洒落な観葉植物や洋書。確かにそこにある彼は異質で、けれど不思議と空間に馴染んでいた。


家主の健太が仕事から帰ってきた。 彼は疲れた様子でネクタイを緩めると、ふと飾り棚の黒電話に目をやった。 そして苦笑しながら、その受話器にそっと触れた。


「ただいま、ばあちゃん」


その一言に、隣にいた老紳士(付喪神)がハッと息を呑む。 健太は受話器を上げることなく、黒電話のダイヤル穴を指でなぞった。


「今日もしんどかったよ。昔はさ、このダイヤル回す音うるさいなって思ってたけど。今聞くと、なんか落ち着くんだよな」


彼は黒電話を「通信機」としては見ていなかった。 亡き祖母との思い出を繋ぐ大切な「依り代(メモリアル)」として見ていたのだ。


「うぅ、いいお孫さんじゃないですかぁ」


咲耶がハンカチで目頭を押さえる。


「このままここにいましょうよぉ。愛されてますよぉ」


だが、老紳士の表情は晴れなかった。 彼は健太の背中をじっと見つめ……そして俺に向き直った。 その目には強い決意の光が宿っていた。


「九十九様。私の心は決まりました」


「聞きましょう」


「私は転生したい。いえ、しなければなりません」


彼は愛おしそうに自分の本体(黒電話)を見つめた。


「健太君は私を通して『過去』を見ています。優しい彼は私がある限り、亡くなったお祖母様への思慕と寂しさに囚われ続けてしまう。 彼は前を向かねばならないのです。私という『過去の遺物』に話しかけるのではなく、生きている人間と未来の話をしなければならないのです」


それは、愛する持ち主の未来を想うからこその、別れの決断だった。


「承知しました」


俺はその高潔な意志(プライド)に敬意を表し、頷いた。


「あなたのその『声を届ける』機能と、『誰かの想いを繋ぎたい』という熱意。それを求めている世界が一つあります」


俺は咲耶に指示を出した。


「咲耶さん。案件番号404、『群島国家アトラス』の資料を」


「は、はい! えっと、ここですね。 『島々が遠く離れて点在し、魔法による通信手段も不安定なため、国家間の連携が取れずに孤立化が進んでいる世界』……です!」


「うってつけだ」


俺は老紳士に告げた。


「その世界には電気も電波もありません。ですが魔力を通す『ライン(有線)』を海底に敷く技術は芽吹き始めている。 足りないのは、そのラインの先で確実に声を変換し、届ける『端末』です」


老紳士の目が輝いた。


「そこに行けば、私はまた誰かの声を届けられますか。 『ありがとう』や『愛している』を、遠く離れた誰かに繋ぐことができますか」


「ええ。あなたはその世界の『通信革命の父』となるでしょう。 ただし、二度と健太君には会えなくなりますが」


「構いません」


老紳士は静かに微笑んだ。


「私の願いは道具として全うされること。健太君の未来に幸多からんことを」




翌朝。 健太が目を覚ますと、飾り棚の黒電話は消えていた。 泥棒が入った形跡はない。ただ、電話があった場所に一枚のメモが残されていた。


『長い間、ありがとうございました。 私は新しい仕事を見つけました。遠い空の下で、また元気に働きます。 だから健太君も、どうかお元気で』


それは俺が代筆したものだが、文面は老紳士が考えたものだ。 健太はそのメモを呆然と見つめ……やがて窓の外の青空を見上げた。 寂しさはあった。だがその表情は、昨日よりも少しだけ晴れやかに見えた。


「そっか。働くのか。 じっとしてるの嫌いだったもんな、ばあちゃんも、お前も」


彼はメモを大切に手帳に挟むと、力強く伸びをした。


「さて、俺も頑張るか」




事務所に戻った俺たちに、オサキが報酬の品を持ってきた。 黒電話が転生する直前、その体からこぼれ落ちた黒曜石のように輝く小さな欠片だ。


「九十九さん、今回の報酬です。 クライアントより『遠雷(えんらい)の受話器片』を頂戴しました」


「効果は?」


「この石を耳に当てると、『どれだけ遠く離れた場所にいる相手』の声でも、相手が自分の名前を呼んだ時だけ鮮明に聞き取ることができるそうです。 さらにこちらから呼びかければ、一度だけ相手に声を届けることも可能とか。 まさに想いを繋ぐ石ですね」


「なるほど。緊急時のホットラインとして使えるな」


俺はその黒い石をポケットに仕舞った。 異世界へ旅立った彼は、今頃海を越えて誰かの声を届けているだろう。 そのベルの音が新しい世界で、希望の音色として響いていることを願って。


「さて、感傷に浸る暇はないぞ。咲耶、次の案件は?」


「あ、はい! えっと、次は……あわわ、大変です!」


咲耶がタブレットを見て、また慌てふためいている。


「次のクライアント様……『法律』も『常識』も通じない、とんでもない暴れん坊たちが来てます! 事務所の備品が壊される前に早くなんとかしないと……!」


どうやら次はしんみりした空気など吹き飛ばすような、手荒な連中のようだ。 俺はネクタイを締め直し、不敵に笑った。


「いいだろう。どこのどいつだ?」

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