最強陰陽師に拾われた千陽路の日々~霊より恋のほうがむずかしい~

常盤 陽伽吏

第1話

「子供……?」

 松岡家まつおかけ本家に入った依頼でやって来た村。

 慎太郎しんたろうは三、四歳に見える幼い少女に出くわした。何故、こんな凄惨な場所にいるのか、慎太郎には理解できなかった。

 この村は、村人による大量殺人という凄惨な事件が起きた現場だ。多くの村人が殺されたり、大きなけがを負ってしまい、この村に残っている人間はいないはずだった。

 一瞬、殺された子供の亡霊なのかとも思った。

 垢まみれのぼさぼさの髪と、やせ細った体。生気の感じられない瞳。

 それでも、これは生きている人間だ。

「……名前は?」

 慎太郎はそう訊ねたが、子供は怯えたように身を固くした。

 立ったまま、上からそう訊ねたことで怖がらせてしまったのかと思い、慎太郎は距離を保ったまま、膝を付いて目線を少女に合わせて柔らかな笑顔を浮かべてもう一度口を開いた。

「俺の名前は、高生たかお慎太郎。名前を教えてくれないか?」

 少女が何を言ったのかはわからない。

 口は開いたが、何を言ったのかわからないほど、小さな声だった。

 子供の相手など、したことがない。

 しかし慎太郎は辛抱強く、もう一度訊ねる。

「ゴメン。聞こえなかった。もう一度教えてくれないか?」

「……パパ……」

「え?」

「パパ……きてくれた……」

「あの……」

 人違いだと言おうとした慎太郎に、少女が駆け寄ってきた。

「パパ!」

 少女は慎太郎にしがみついてきた。

 触れたことでわかったこと。

 この子供は、村人による殺戮があった折に、両親がせめてこの子供を守ろうと山に逃がした子供だ。

 事件が起きたのが半月前。

 この半月、いったいどうやって生き延びたのかも慎太郎にはわかった。

 この子供は霊力が強い。それに伴ってか、強い守護霊がいている。

 その守護霊が陰ながら、食べられる木の実や水場をこの子供に伝えていたことを慎太郎は知った。

 そして、この子供の名前が千陽路ちひろということも。

「千陽路。よく一人で頑張ったな。偉かったぞ」

「パパ! パパ!」

 泣きじゃくる千陽路を抱き上げ、慎太郎は立ち上がった。

「一緒におうちに帰ろうな……お風呂に入って、おいしいゴハン食べて、ふかふかのお布団で一緒に寝よう。もう大丈夫だ。ホントに偉いぞ、千陽路……よく頑張ったな」

「パパ! パパ!」

 完全に慎太郎を父親と思い違いしている千陽路。

 それでもそれを否定せず、慎太郎は千陽路を抱きかかえたまま、村を後にした。


「何か、食べる物ある?」

 村の近くで待機していた祐佑ゆうすけのBMWに乗り込むが早いか、慎太郎はそう口にした。

「あの……その、子供は?」

 慎太郎が抱きかかえている小汚い子供を見て、祐佑は何事が起きたのかわからずに問うた。

「村に残されてたんだ。何か、チョコレートとかないかな?」

「申し訳ございません……そういった物のご用意は……」

「じゃあ、クルマ出して。どこか近くのコンビニかどこかに寄ってくれ」

「……はい……」

 問いたいことはあっただろうが、祐佑は慎太郎の命に従った。

 山を下り、しばらく走ってやっとコンビニに行き会った。

 その時千陽路は慎太郎にしがみついたまま眠ってしまっていたので、祐佑はクルマを駐車場に停めて買い出しに行った。しかし、子供が好む物などさっぱりわからないかったので、取りあえず、パンやおにぎり、甘い菓子や飲み物を買い求め、クルマに戻った。

「ありがとう、祐佑」

「申し訳ありません、慎太郎さま……実は、私は子供が好むものというものがよくわからず、こういったものを購入して参りました」

「いや……俺だってわからないよ。子供なんて縁なかったし……」

「慎太郎さま……その子供をどうなさるおつもりでございますか?」

「まだ決めてないけど……まさか、あんな無人の村に放っておくわけにいかないだろ? それに……この子、とんでもない霊力を持ってる」

「え?」

「凄く強い霊力を持ってるし……守護してるものもかなり高位の霊だ。だからあの事件から半月も生き延びることができたみたいだ。それに……俺をパパって言ってた……」

「その親は……どうしたのでしょうか?」

「……亡くなってる……」

 今回、慎太郎が依頼されたのは場の浄化だ。

 村に残る無念の思いを慎太郎は浄化した。

 思い起こせば、最後まで抵抗していたのは千陽路の親だったのかも知れない。それは遺された子供への執着だったのだろう。

「この子……松岡家本家で育てられないかな……」

「慎太郎さま……」

「せめて、さ……この子の両親はもうこの世の住人じゃないんだから……この子が生きていけるようにしてあげたら、きっと安心すると思うんだ……」

「慎太郎さまのお気持ちは尊いものかと存じます……ですが……松岡家本家にその血筋でない者が入るということは……」

「じゃあ、命令だ」

 慎太郎はしれっとそう言った。

 祐佑にとって、慎太郎の命令は絶対だと知ってのことだ。

「慎太郎さま……」

「この子は松岡家本家に置く。いいな?」

「……かしこまりました」

「悪いな。わがままで」

「そのようなことは思っておりません。何と言っても、慎太郎さまは松岡家本家当主でいらっしゃいます。そのお言葉は絶対でございます」

 祐佑のこの言い様に、慎太郎は淡く笑った。


 松岡家本家に到着するまで、千陽路は目を覚まさなかった。

 祐佑がやんわりと、千陽路を手渡して欲しい旨を伝えたが、慎太郎はそれを断った。

「俺が連れて行くよ。俺の部屋の隣に部屋を用意してくれ」

「かしこまりました」

 慎太郎は千陽路を抱きかかえたまま、屋敷の廊下を進む。

 先に立った祐佑が指示を出したのか、慎太郎が自身の居室の隣の部屋には布団が延べられていた。

 慎太郎がそこに千陽路を寝かせようとした時、その千陽路が目を開いた。

「パパ!」

「起きたか……お腹、空いてないか?」

「パパ! パパ!」

「うん……どこにも行かないよ……何か食べる? 千陽路」

「ちひろ、おなかすいた」

「うんうん……ほら、おいで」

 慎太郎としては手を繋ぐつもりだったのだが、千陽路は慎太郎にしがみついたので彼は千陽路を抱き上げた。

 部屋を出ると、そこに祐佑が控えていた。

「祐佑。千陽路に何か食べさせてやって」

「かしこまりました。こちらへどうぞ」

 祐佑に先導されて、庭に面した座敷へと向かう。

「ずっと、ちゃんとした物食べてなかったみたいだから、何か消化に良くて栄養のあるもの出してあげてくれないか」

「かしこまりました……雑炊など、いかがでございましょうか?」

「うん……それでいいよ」

「その後、風呂を使わせましょう」

「そうだな」

 話ながら、祐佑は食事の支度と風呂の支度を家人に指示していく。そうしながら、食事をとるための庭に面した座敷に辿り着いた。

「慎太郎さまも、何かお召し上がりくださいませ。すぐにご用意いたします」

「うん……そう言えば、腹減ったな」

「はい。すぐにご用意いたします……ああ……その子供に、取りあえず、先ほど購入したお菓子をどうぞ」

「ああ、そうだな」

 祐佑がコンビニのビニール袋から先ほどコンビニで買った菓子類などを座卓に置いた。

「千陽路。お腹空いてるだろう? 好きな物食べていいんだぞ」

 床に降ろされた千陽路が座卓に置かれた菓子類からチョコレートを選び取った。それを慎太郎が包装紙を取って手渡すと、千陽路はそれを夢中で食べ始める。

 ずっと、ちゃんとした物を食べていなかったことがよくわかる。

 あっと言う間にチョコレートを食べ終わった千陽路が、慎太郎を見る。

「もっと食べていいんだよ」

 そう言いながら、慎太郎はスナック菓子の封を開けた。

 それも千陽路は夢中で食べて、そして夢中で食べすぎたのか、咳き込んだ。

「ほら……慌てないで……お茶飲みな」

 ペットボトルのお茶を開け、手渡すと千陽路はお茶をひと息に飲み干した。

 本当に、まともに何も飲み食いをしてこなかったことがよくわかる。

 そこへ、慎太郎の膳と千陽路のための雑炊が運ばれてきた。

「千陽路。これ、食えるか?」

 慎太郎は自分が食べるより先に、千陽路に食べさせようとした。

「……」

「おいしいよ? ちょっと、熱いかな?」

 慎太郎は匙を取って、雑炊を掬って自分の口に運ぶ。

「ちょっと熱いか……」

 言って、慎太郎は息を吹きかけて冷まし、千陽路の口元に差し出した。

「食べて。千陽路」

 刻んだ野菜と卵でとじられた雑炊を、千陽路はひと口食べた。

「おいしいか?」

 千陽路は無言でうなずいた。

「うん、良かった……もっと食べな」

 慎太郎が雑炊を掬い千陽路の口元に運び、それを千陽路が食べる。

 慎太郎がかいがいしく千陽路の世話を焼いているのを見ていた祐佑が、口を挟む。

「慎太郎さまもお疲れでございましょう。私が食べさせますので、慎太郎さまもお食事をお取りくださいませ」

「後でいいよ、俺は……ほら、千陽路」

 茶碗によそわれた雑炊を、あっと言う間に千陽路は食べきった。

 そうしてやっと、慎太郎は目の前の膳に目をやる。

 カレイの煮付け。ほうれん草の白和え。和牛の陶板焼き。野菜の炊き合わせ。香の物に味噌汁と白米。

 どれであれば千陽路が食べられるかを慎太郎は考えた。

 そして、箸を取ってカレイの煮付けの骨の無い部分の身ををほぐしてその崩した身を千陽路に食べさせた。

「おいしい?」

「……おいしい……」

「こっちも食べようか……ほうれん草の白和え」

「慎太郎さまもお召し上がりくださいませ」

「食うよ。でも、今は千陽路だ。肉は重いか……祐佑。千陽路に雑炊のおかわりあげて」

「かしこまりました」

「千陽路。さっき食べたおかゆ、もうちょっと食べような」

「うん……パパは?」

「俺も食べるから、一緒に食べよう?」

「うん!」

 千陽路は食事をしたこともあってか、徐々に落ち着いてきた様子を見せた。

「ゴハン食べたら、お風呂に入ろうな」

「うん。パパといっしょ?」

「そうだな……うん、一緒に入ろう。お風呂に入って、ゆっくりしてから寝ような」

「パパとねる」

「ああ。もちろんだ」

 慎太郎はそう応じた。

 もちろん、慎太郎に子供などいないし、千陽路は縁も所縁ゆかりもない子供だ。

 しかし、慎太郎を父親と思い込んでしまうほど孤独だった千陽路を無碍むげになどできようはずがない。

 父親になったことなどない慎太郎も、自分の中に父性のようなものがあったことに驚いていたが、彼は過酷な状況を一人生き抜いた千陽路が愛おしくてたまらなかった。

「慎太郎さま、ご所望のものをご用意いたしました」

「ああ、ありがとう。千陽路、一緒に食べよう? 自分で食べられるか?」

「ちひろ、じぶんでちゃんとたべられる」

「そうか、偉いぞ、千陽路。じゃあ、ちゃんとふうふうして食べるんだぞ?」

「うん」

 匙を握って雑炊に息を吹きかける千陽路をしばらく見守っていた慎太郎だったが、ちゃんと食べられていることに安心し、自分も食事を始める。

 慎太郎の側に控えていた祐佑がホッと息を吐いた。

 祐佑からすれば、こんな見も知らぬ子供のことなどよりも、もちろん慎太郎の方が大事なのだ。

 そうしているうちに、食事が終わった。

「偉いな、千陽路。全部食べたな。もうお腹空いてないか?」

「うん」

「そうか。じゃあ、お風呂入ろうか」

「パパといっしょ?」

「うん。もちろん」

 言って、慎太郎は祐佑に視線を移す。

「風呂の支度できてる?」

「はい」

「そうか、ありがとう。あと、千陽路に何か着替え用意できるかな?」

「……ご用意できると存じますが……」

「そうか……取りあえず、間に合わせでそれ着せるよ。朝になったら千陽路が着れそうな洋服買ってきてくれ」

「かしこまりました」

「おいで、千陽路」

 慎太郎は千陽路を抱き上げて、風呂へむかった。

 正直なことを言えば、女手があればその人間に任せたいところではあったのだが、如何せん、松岡家本家は男社会で女性はいない。食事の支度や掃除などの雑務も、術者の修行の一環として行われ、すべて彼らがやる。

 そして、術者はみな男だった。

 だから、慎太郎自身が千陽路の世話を焼くという選択肢しかないのだ。

 風呂に到着し、千陽路の服を脱がせて一緒に風呂に入る。

 半月の間、風呂どころかろくに物も食べていなかった千陽路は思った以上にやせ細っていた。

「熱くないからな」

 慎太郎がぬるめの湯をゆっくりと千陽路の全身にかけていく。

「髪、洗おうか……」

 慎太郎がそう言うと、千陽路は両手で耳をふさいで下を向いた。

 きっと、いつもそうして親に髪を洗ってもらっていたのだろう。

 その、千陽路は親はもうこの世にいない。

 胸が痛くなるような思いをしながら、慎太郎は千陽路の髪を洗った。半月も洗われていない髪は、一度や二度では汚れが落ちず、慎太郎は千陽路にがんばれ、と声をかけながら丁寧に髪を洗っていく。

 やっと汚れが落ちて、慎太郎は千陽路を抱き上げ湯船に浸かった。

 しかし、千陽路は疲れていたのだろう、慎太郎に抱かれたまま、眠ってしまう。

 眠ってしまった千陽路を抱いたまま、慎太郎は湯船を出て脱衣所に行った。

 きっとすぐ側にいるはずの祐佑を呼ぶ。

「祐佑、ちょっと入って来てくれ」

「……いかがなさいましたか?」

「うん……千陽路、寝ちゃったんだ……ちょっと拭いてあげてくれないか?」

「かしこまりました」

 祐佑がバスタオルを手にし、千陽路を受け取った。

 祐佑がおっかなびっくり、千陽路の世話をするのを見守りながら、慎太郎自身身支度を整える。

「祐佑も子供は初めてか?」

「はい……」

「この服って……」

 用意されていた、幼い女の子用の洋服。

玲子れいこさまがお召しになっておられたと聞き及んでおります」

「そうか……」

 慎太郎の母であり、先代すいのただ一人の子供。翠がそれを大切に保管していてくれていたことが、なんとなく嬉しかった。

 その服を着せて、祐佑から千陽路を受け取り、慎太郎は屋敷の最奥にある自室に向かう。

 彼の部屋は代々松岡家本家当主の居室に使われていたものだったが、今は様変わりしている。この純和風な屋敷の中、唯一洋風に設えられた部屋。

 当時慎太郎が家を出た時には、もちろん畳敷きの和室であったのに、深夜になって戻るとその部屋の様相は一変していた。

 ベッドに勉強机と椅子。ソファーセットが置かれて、床はフローリングになっていたし、壁もクロスが張られていた。

 それを数時間でやってのけた松岡家本家の力を思い知った慎太郎だった。

 慎太郎は眠っている千陽路をそっとベッドに横たえた。

「慎太郎さま」

「何だ?」

「お食事をあまり召し上がっておいででいなかったように思います。何かご用意いたしましょうか?」

「そうだなぁ……せっかくだから、何かもらおうかな」

「かしこまりました」

 一旦、慎太郎の居室を下がった祐佑が、間に合わせの握り飯とちょっとした総菜とお茶を用意して戻った時。

 慎太郎は千陽路の隣で寝息を立てていた。

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