第44話 多田哲司が其処に立っていた
やっとのことで客達が立ち去り、楽器や音響装置が仕舞い込まれて、エレキコードも綺麗に巻き取られた。パーティー料理の仕出人たちがバンに乗り込み、駐車場係をしていた男たちが帰って、使用人たちもそれぞれ自分の部屋に引き取ってしまった時、麗子もその大きな別荘の最上階へと階段を登って行った。酔っ払って足が少しふらついた。
ベッドルームに続いている廊下に出ると、フレンチ・ドアがバルコニーに向かって開いていた。八月の夜の野性的な紫色が立ち込める海が見え、ゆったりとした波のうねりが聞こえた。
多田哲司が其処に立っていた。
麗子は彼のことを、ちょっと危ないかな、と思いながらも、其処に立ったまま彼を見詰めた。自分が彼をそれほどにも怖れていないことに気付いて少し驚いた。
彼は腕組みをしてバルコニーの手摺に寄りかかっていた。
「あなた、其処で、何をしているの?」
哲司が答えた。
「あなたを待って居たんですよ」
「度胸が良いのね、坊や」
「だって、あなた、酔っ払って、凄くしんどいんでしょう?」
彼が更に続けた。
「そうでしょう?介抱してあげますよ」
そう言いながら哲司は長身を折り曲げて少し屈むと、麗子の腋の下に身体を入れ、彼女を抱きかかえるようにしてゆっくりと歩き出した。
「有難う。少し酔っちゃったかなぁ・・・あたし」
抱きかかえてベッドまで歩き、哲司が薄い夏の掛け布団を捲った時、麗子は躓くようにベッドに倒れ込んだ。仰向かせて靴を脱がせ、布団を掛けよとした時、彼女の両腕が哲司の首に巻きついた。哲司の身体が引っ張り込まれるようにして麗子の上に負い被さった。直ぐに唇が重なり、荒い息遣いで二人は着ている衣を剥がし合った。哲司の身体が麗子の中へ巻き込まれ、一カ所鋭く快感が身体を突き抜けて二人は性急に走り出した。後は二十歳と二十六歳の若い男女の迸りだった。若い哲司の激情と老長けた麗子の誘いで何度も何度も昇り詰めては引き、引いては昇り詰めて行った。二人は息も絶え絶えに、へとへとになってやっと肉体を引き離した。
翌日、哲司は麗子の別荘に引っ越して来た。
麗子は使用人たちの思惑など気にも留めなかった。彼等が気付かぬ振りをしながらも、実は古い倫理観の見方で二人のことを眺めて居るのは既に感じていたが、彼女は構うことはなかった。
昼過ぎに桜井祥子が前触れも無くやって来た。飛び込み台に水着のブラジャーがぶら下がり、二人がプールに入っているのを見た時には、いささか戸惑ったようだが、祥子は共犯者が良くやるようにニヤリと微笑しながら、真直ぐにプールサイドのバーの方へ歩いて行き、自分でドリンクを拵えて飲んだ。
一週間後、哲司が二階で昼寝をして居る時、祥子は麗子に言った。
「素敵じゃないの、彼。あなたはこれくらいのことはしても良いのよ。アメリカの青年と愛し合った時には、外国人は駄目だ、と両親に否定され、その後の日本人との恋愛は、家柄が違う、と言って反対された。そう言った親や家の為に我慢して来たごたごたを考えれば、自分が楽しいと思えることならどんなことでもすれば良いのよ。あなたにはそれを出来る権利と環境が在るのだから・・・」
麗子が応えた。
「この夏はずうっと素晴らしいことだらけなの」
祥子が言った。
「そう、それが何よりじゃない」
八月も終わりに差し掛かっていた。
麗子は夜になると、時々、叔母の花江のことを考えるようになった。それは、昔、家族が集まるとよく話題になった叔母とその若いツバメのことであった。家族の者がそのことを語った時の様子を思い出すのである。
確か、十年ほど前の頃だった。
或る晩、父が言っていた。
「花江がああいう生き方しか出来ないのが、問題なんだよな」
叔母の花江は五歳年下の若い恋人を持っていたのだった。
私の男は私よりも六歳も年下じゃないか。非難された叔母より未だ若いツバメなのだから、私の男は・・・
祥子が言った。
「だって、男はいつでもやって来たことじゃない?五十歳の男が二十歳の娘を連れて歩くことはしょっちゅうあることでしょう。どうして女が同じことをしちゃいけないって言うのよ」
「でも、私は男がう~んと若い娘と居るのは、いつも不快だったわ」
「解かるわよ、その気持」
祥子が言った。
「でも、多分今なら、そういう男たちの気持も解るでしょう?」
「ええ。多分、ね」
確かに二十歳の哲司は麗子をすっかり若返らせてくれた。殆どのことは一緒にすることが出来た。スイミング、テニス、ダンス、それにセックスも・・・
夜遅く二人でキッチンのテーブル前に座り、冷蔵庫からクッキーやアイスクリームを出しては夜食するのが楽しかった。彼が好きな馬鹿げた3Dゲームが面白かったし、突然、別人のように振る舞ったり悪ふざけをしたりする哲司の少年っぽさが麗子にとっては好もしいものであった。
彼は当然ながら、若いなりの粗雑さや無神経さも沢山持っていた。例えば、床の上にバスタオルを放り投げたままにしておくとか、脱いだ服をそのまま積んで置くとか、ボリューム一杯にしてロックの曲を聴くとか、そういった事柄だった。
これまでも麗子は、注意したい、説教したい、と思ったことは何度か有った。が、その度に、これじゃまるで姉か母親じゃないか、と自分に言い聞かせては、辛うじて我慢して来た。
麗子が哲司のことでとりわけ好きなのは、彼の途轍もなくロマンティックなところだった。
深夜、手を繋いでビーチを歩き、砂の上で抱き合い、愛し合う。そんなことが出来る相手であるのが無性に嬉しかった。
軽井沢の街端に在る映画館へ入って最後部の座席に座り、ティーン・エイジャーのように、映画を観ながらネッキングに熱中する、そんなことが出来るのが楽しかった。
朝、目覚めると、枕元には、いま切り取ったばかりのバラで拵えた花冠を手にして彼女を見詰めている男が居る、そんな風にしてくれる相手がこの上なく素晴らしかった。
「世界を股にかける商社マンになって、日本の商品を世界中に売りまくって歩くんだ、俺は」
そんな彼の夢に耳を傾けるのも楽しくて愉快であった。尤も、そんなことになれば彼は紛れも無く彼女の元から居なくなってしまうだろうが・・・
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