第25話 静かな旅路と不穏な街門

 鳥の声と、焚き火の名残がぱき、と小さくはぜる音で目が覚めた。


(……朝か)


 ゆっくりと伸びをする。

 昨日の夜、回復魔法のことでひと騒動あったせいか、眠りが浅くなるかと思っていたが意外とぐっすり眠れていた。


 テントの外からは、既に起きたノノが馬の様子を見に行っているのか、乾いた草を踏む足音がかすかに聞こえる。

 鼻をくすぐるのは、冷えた空気と、昨夜の焚き火が残した煙のにおい。


(さて、と)


 身体を起こしながら、昨夜の自分との約束を思い出す。

 スキルと残りのスキルポイント。 


「ステータスオープン」


 心の中で念じると、視界の前に、いつもの半透明の光の板がふわりと現れた。


(相変わらず、眺めてるだけで頭が痛くなるラインナップだな)


 スクロールしても、延々とスキル名が出てくる。

 この中から今の俺に必要なものを選び取る行為は、かなり頭を使う。


(攻撃系はひとまず剣術でいいとして……)


 空間魔法は正直めちゃくちゃ気になる内容だった。

 アイテムボックスとか、ワープとか、そのあたりの単語が説明文にちらっと出てくる。

 ただ、どれも必要スキルポイント:3とか4とか、そんな感じで、とても今すぐ手を出せる気がしない。


(今はまだ、基礎の充実を優先すべき、だな)


 そう自分に言い聞かせながら、再びスキル一覧をスクロールさせる。

 すると──目に止まった名前があった。


【心眼 Lv0/1】


(……心眼?)


 目を細める。

 スキル名だけ聞くと、「なんかカッコいいけど中身がよく分からない」の代表みたいな単語だ。


【心眼 Lv0/1】

 ・周囲の危険を察知する能力を高め、回避率およびクリティカル発生率を上昇させる

 必要スキルポイント:2

 最大レベル:1


(危険察知、回避率アップ、クリティカル率アップ……)


 説明だけ見れば、かなり優秀そうだ。

 特に、「危険察知」という単語が気になる。


(回復魔法があるとはいえ、そもそも致命傷をもらわないのが一番だからな)


 いくらヒールで浅い傷が治せても、頭をかち割られたり心臓を貫かれたりしたら、その場でゲームオーバーだ。

 そういう攻撃を「避けられる可能性が少しでも上がる」なら──。


(ポイント消費2か)


 剣術や回復魔法が1ポイントからだったことを考えると、ちょっと重めだ。

 そのぶん強力、とも言えるが。


 残りスキルポイントは6。

 ここで2を切っても、まだ4残る。

 自分の中でいくつか仮想シミュレーションを回す。


 ・この先、よく分からない強敵と遭遇したとき

 ・正体不明の魔物に奇襲されたとき

 ・誰かを庇う必要が出て来たとき


 危険察知と回避率アップは、どの場面でも腐らない。

 クリティカル率アップはおまけだとしても、悪くない。


(よし。賭けてみるか)


 心の中で軽く息を整え、「心眼」の項目に意識を集中させる。


【心眼 Lv1/1】

 残りスキルポイント:4


 表示は、あっさりと変わった。


(……ん?)


 その瞬間、剣術や回復魔法のときのような「知識がインストールされる」感覚が来るかと思っていたが──。


 何もない。


 頭の中が熱くなるわけでも、身体のどこかがカチリと噛み合うわけでもない。

 ただ、「心眼 Lv1/1」という文字が増えただけだ。


(え、これだけ?)


 思わず画面を二度見する。


【スキル】


 ・社畜の根性

 ・残業耐性

 ・報連相 Lv3

 ・剣術  Lv5/5(MAXボーナス:筋力+2)

 ・回復魔法 Lv1/5

 ・心眼  Lv1/1


 剣術のように「MAXボーナス」の表記もない。

 ステータスの数値も、特に変化なし。


(……ハズレ、引いたか?)


 思わず、そんな疑いが頭をよぎる。

 ポイント2消費でこれというのは、ちょっと切ない。


(いやいや、落ち着け。これは「危険察知」とか「回避率アップ」とか、そういう感覚的なスキルなんだろ。数字で変化が見えないからって、即ハズレ認定するのは早計だ)


 自分に言い聞かせる。

 剣術や回復魔法が分かりやすすぎた反動で、ちょっと期待のハードルが上がりすぎていたのは否定できない。


(とはいえ、インストール感ゼロだと、なんかこう……損した気分にはなるよな……)


 少しだけテンションが下がった状態で、ステータス画面を閉じた。


「アウラちゃーん、起きてるー?」


 テントの外から、ノノの声が聞こえてきた。


「起きてる。今出る」


 毛布を畳んでテントから這い出ると、朝の空気がひやりと頬を撫でた。

 焚き火はすでに小さくなっていて、ティナが簡単な朝食──スープと固めのパン──の準備をしているところだった。


「おはよう、アウラ」

「おはようございます」

「おはよう、アウラちゃん!」


 それぞれの声が重なって、少し眠気が吹き飛ぶ。


(心眼の件は……まぁ、様子見だな)


 そう結論を出し、とりあえず朝食に手を伸ばした。


 ◇


 森の中の道を、俺たちはゆっくりと進んでいった。

 木々の間から漏れる光はやわらかく、土の道には落ち葉が散らばっている。

 鳥の声、遠くで流れる小川の音、馬の蹄が地面を踏む音。

 昨日のシャドーバード襲撃が嘘のような、静かな時間だった。


「行きはちょっとバタバタしちゃったけど、帰りは平和にいきたいね~」


 御者台のノノが、振り返りながら笑う。


「このまま何も起こらずに街まで帰れたら最高ね」

「油断した頃に何か起きそうだから、怖いこと言うのやめてくれ」


 ティナに言うと、彼女は「ふふ」と肩をすくめた。


 心眼を取ったものの、今のところ特に「何か違う」という実感はない。

 視界が広がった気も、耳が良くなった気もしない。


(危険がないと発動しないタイプ……なんだろうか?)


 そういう意味では、実感がないほうが平和で良いというべきなのかもしれない。

 しばらく歩くと、木々の間から、水の光がちらりと見えた。


「あ、そろそろ川だね!」


 ノノが嬉しそうに声を上げる。


「ということは──」


 カイトが、少しだけ期待混じりの顔をする。


「お楽しみの、水浴びターイム!」


 ノノがくるりと振り返り、両手を広げた。


「行きと同じ場所だから、馬も落ち着けるし、ちょうどいいのよね」

「汗もかいてるし、私も賛成」


 ティナが頷いたが、俺はまた女性の前で裸になるのかと考えると気が重くなる。


「じゃあ、今回は順番逆にしよっか!」


 ノノがぱん、と手を叩く。


「行きのときは女の子組が先に入ったから、今日はカイトくんからね!」

「えっ、あ、はい!」


 カイトは一瞬戸惑ったあと、少し照れたように笑った。


「じゃあ、お先に失礼します……!」


 荷物から着替えを取り出し、川のほうへ走っていく。


「じゃ、わたしたちはお昼の準備しよっか~」


 ノノが荷馬車の荷台から、布袋やら小さな鍋やらをごそごそと取り出す。

 俺も手伝って、パンや干し肉、ドライフルーツなどを並べていく。


(平和だな……)


 このまま何事もなく、カイトが水浴びを終えて、女組が順番に入って──

 そして簡単な昼食を取って、再び出発する。

 そういう流れを、何の疑いもなく予想していた。

 だからこそ──。

 その「違和感」に、すぐ気づけたのかもしれない。


(……ん?)


 食料の袋を手に取った瞬間、背筋にぞわり、と冷たいものが走った。

 何かが、来る。

 理由も、根拠もない。

 ただ、「危ないものが、こっちへ向かってる」という感覚だけが、突然、頭の中に鳴り響いた。


(これ……)


 心眼。

 頭のどこかがそう告げた。


「ティナ、ノノ」


 思わず、二人の名を呼んでいた。


「ちょっと離れてくれ。何か来る」

「え?」


 ノノが目を瞬く。


「何が──」


 言いかけたその時。

 森の奥から、土を蹴る激しい音が響いた。


 ドドドドッ。


 地面に、低く鈍い振動が伝わる。

 声より先に、身体が動いていた。


「下がれ!」


 ノノの腕を掴んで、俺の後ろに引き寄せる。

 ティナも素早く一歩引き、杖に手を伸ばした。

 木々の間から、茶色の塊が飛び出してくる。

 猪だ。

 大きさは、キラーボアに比べれば随分小さい。

 しかしがっしりとした体躯に、低い鼻面、短い牙。

 額から背中にかけて、毛が逆立っている。

 それが、一直線に──俺めがけて突っ込んできていた。


(……っ!)


 視界が、妙にクリアになる。

 猪の足の動き、地面の凹凸、俺との距離、突進の角度──それらが一瞬で頭に流れ込んでくる。

 ここで真っ直ぐ避けたら、ぶつかる。

 右に避ければ、ノノのほうへ行く。

 左に半歩下がって、そこから一歩だけ後ろにずれれば──。

 こいつは、そのまま前の木に突っ込む。

 まだ起きていない未来が、脳裏に「結果」として先に浮かぶ。

 危険察知。

 心眼の説明にあった言葉が、頭の中でカチリと噛み合う。


「っ──!」


 考えるより早く、身体が動いた。

 左へ半歩、そこから後ろへ一歩。

 ほんのわずかな軌道変更。

 直後、視界の中を茶色い影が駆け抜けた。


 ドガァッ!


 鈍い音が、耳を打つ。

 さっきまで俺が立っていた位置の先にある木の幹に、猪が正面から思い切りぶつかっていた。


「ひっ……!」


 ノノが小さく悲鳴を上げる。

 猪は「ブギィッ」と短く鳴くと、頭を振り、ふらつきながらも体勢を立て直した。

 そのまま、俺たちから遠ざかる方向へ、全力で駆けて行く。

 木の間をすり抜け、あっという間に森の奥へ消えた。


「……行った?」


 ティナが杖を構えたまま、呟く。


「追ってこないわね」

「び、びっくりした~……!」


 ノノが胸に手を当てて、大きく息を吐く。


「急に飛び出してくるんだもん……! てっきり魔物かと思ったよ……!」


 俺も、息が少し上がっていることに気づいた。


(いや……)


 さっき、避けたときの感覚を思い返す。


(怖いとか、びっくりとかより先に、「こう動けば当たらない」が先に来てたな)


 演算結果だけが先に頭に浮かんで、その通りに身体を動かした、というか。


(心眼……本当に危険察知なんだな)


 画面上では何も変わらなかったし、インストール感もなかったけれど。

 こういう形で「効いている」のだと、嫌でも実感させられる。


「アウラちゃん、今の……!」


 ノノが、きらきらした目でこっちを見上げてくる。


「すごいひらりって避けてたよね!? なんか、こう……すっごい自然に!」

「さっきの突進、完全に軌道を読み切ってたわね」


 ティナも感心したように頷く。


「た、たまたまだ。偶然上手く避けられただけで……勘が働いたと言うか」

「へぇ~……」


 ノノが目を丸くする。


「でも凄くかっこよかったよ~!」

「あぁ……うん、ありがとう」


(ポイント2消費は、やっぱり無駄じゃなかったな)


 さっきまで「ハズレかも」と疑っていたが、中々やるな。

 心の中で心眼を褒めておく。


「アウラさーん! なにかあったんですかー!?」


 川のほうから、カイトの声が聞こえてきた。

 どうやら騒ぎに気づいたらしい。


「大丈夫! だからまずは服を着てから来なさい!」


 ティナが即座に叫ぶ。


「は、はいぃ!」


 情けない返事が返ってきた。


 ◇


 カイトが合流したあとに、俺たちも水浴びを済ませた。

 前と同じで恥ずかしい気持ちはあったが、なるべく見ないようにして、そそくさと終わらせる事で、行きの時よりも素早く水浴びを終える事に成功した。


 簡単な昼食を取ったあと、再び街へ向かって歩き始める。

 森の空気は、相変わらずひんやりと静かだ。

 しかし、さっきの猪のおかげで、俺の中では少しだけ「森」というものの印象が変わっていた。


(魔物じゃなくても、危険はあるんだよな)


 転生してから、どうしても「魔物=危険」「それ以外=そこまででもない」みたいな感覚になりそうだったが、現実はそんな単純ではない。

 あの猪だって、正面から突っ込まれていたら、ただでは済まなかっただろう。


(そういえば──)


 気になっていたことを、今のうちに聞いておくべきだと思った。


「ティナ」


 前を歩くティナの横に、歩調を合わせる。


「ちょっと、聞きたいんだが」

「なに?」


 ティナが顔を向ける。

 ノノとカイトは少し前方で、ノノが何か身振り手振りをして話しながら歩いている。


「さっきの猪……あれって、魔物じゃないんだよな?」

「ええ。普通の猪よ」


 即答だった。


「前に戦ったキラーボアも猪っぽかったけど、あれは魔物だって言ってただろ。動物と魔物って、見た目が似たやつもいるのか?」

「いるわね」


 ティナが頷く。


「さっきみたいに、見た目は『ただの猪』でも、中身に魔力を宿してしまった個体は魔物として扱われるわ。魔力のせいで身体能力が跳ね上がったり、異様に凶暴になったり……あとは体が大きくなったりするの」

「なるほど……」


 魔力の有無か。


 すとん、と頭の中で何かが腑に落ちる。


「でも、それだと一つ問題があるんだよな」


 正直に続ける。


「俺、魔力の有無とか、さっぱり分からない」

「……はぁ」


 ティナが、少しだけため息をついた。


「あんたって何かチグハグよねぇ」

「そうか?」


 ショックだ。


「だって回復魔法使えるなら、魔力だって感じられるでしょう?」

「いや、まぁ……そうなのかな……」


 昨日の夜に使えるようになったから、まだ良くわからないとは言えない。


「魔力って、見たら分かるものなのか?」

「見えるというより、感じるに近いわね」


 ティナが自分の胸のあたりに手を当てる。


「熱いとか冷たいとかじゃないけど、『ここに濃いものがある』っていう圧みたいなものが、魔力の強いもののそばに行くと分かるの。慣れてくると、どのくらいの強さかも、なんとなく見当がつくようになるわ」

「……全然分からない」


 潔く言う。


「まぁ、あんたの事だから今更驚いてもしょうがないわね」


 ティナはふっと笑った。


「今度、魔力の感じ方を少しずつ教えてあげる」

「頼む」


 素直に頭を下げる。


「魔物と動物の区別が付かないままだと、余計な喧嘩を売らなくて済む場面で戦う羽目になりそうだからな」

「そういう意味でも、教えがいがありそうね」


 ティナの口調に、どこか教師っぽい響きが混じった。


「ありがとう」


 心からそう言うと、ティナはほんの少しだけ照れくさそうに視線を逸らした。


「どういたしまして」


 ◇


 森の中での出来事は、その後、特に大きな問題もなく過ぎていった。

 シャドーバードの姿は見なかったし、さっきの猪のように突っ込んでくる動物もいなかった。

 夕方近くになると、森を抜けて、以前野営した辺りに出たので、そこで野営することにした。


 夜の見張りも、特に異常なし。

 俺とノノが見張りをしている間、遠くで小さな鳴き声や、草を踏む音が聞こえることはあったが、危険な気配は一度も「心眼」に引っかからなかった。


(発動しないならしないで、それが一番なんだよな)


 微妙なジレンマを感じつつも、「何も起きない」ことのありがたさを噛みしめて、眠りについた。


 ◇


 次の日。

 朝から歩き続け、夕方頃には見慣れた街道の景色が戻ってきた。


「いやー、あともうちょっとで街だね~!」


 ノノが御者台の上で、大きく伸びをする。


「みんなのお陰で、怪我もなく、荷物も無事に届けられそうで助かったよ~。ほんとありがとね!」

「こちらこそ」


 ティナが笑う。


「初めて街を離れる依頼で、こんなに安心して進めたのは、ノノのおかげよ」

「ええ、本当に助かりました、ノノさん」


 カイトが真面目な顔に戻り、頭を下げる。


「俺たちの初めての『街の外の依頼』が、ノノさんで良かったです。また機会があったら、ぜひ一緒にお願いします!」

「もちろんもちろん!」


 ノノが満面の笑みを浮かべる。


「わたしも、アウラちゃんたちと一緒で楽しかったよ~。また荷馬車のお仕事入ったら声かけるから、そのときもよろしくね!」

「ああ」


 自然と、笑みがこぼれる。


「俺も、また一緒に行きたい」


 ソーン村での数日間が、すでに懐かしく思えるくらいだ。

 長老の顔、ノノの両親の温かさ、村の子どもたちの笑い声。

 その全部と、この荷馬車の旅路が、一本の線で繋がっている。


(また行けるといいな)


 素直に、そう思った。

 そんなことを考えているうちに、街の輪郭が見え始めた。


 石造りの城壁。

 その向こうに、屋根の連なる街並み。

 行きには開いていた大きな門が、遠目にも見えてきた。


(……あれ?)


 胸の奥が、微かにざわつく。

 門が──閉じている。

 行きに街を出たときは、大きく開かれていたはずだ。

 商人の荷車や農民の姿が、出入りしていた。

 今は、その門扉がぴたりと閉ざされ、その前に何人もの兵士が並んでいる。


 槍を持ち、鎧を着けた兵士たちに、何人か冒険者らしき者たちまで居る。

 普段とは、明らかに雰囲気が違う。

 門の上の見張り台にも、弓を持った兵士の姿がちらほらと見える。


 街道を行き交う人の姿も少ない。

 門の前には、順番を待っているらしい数台の荷車と、その持ち主らしい人々が固まっていたが、ざわざわとした落ち着かない空気をまとっていた。


「なに、あれ……」


 ノノが、御者台の上で身を乗り出す。


「街の門、閉まってる……?」

「普段は開いてるのか?」


 俺が尋ねると、ノノは「うん」と頷く。


「街道沿いの大きい街は、基本、昼間は門開けっぱなしなんだよ。夜だけ閉めるとか、すごく大きな事件があったときだけ閉めるんだけど……」

「ってことは──」


 ティナが、表情を引き締める。


「何かあったってことね」


 心臓が、少しだけ早くなる。

 心眼は、今のところ何も告げてこない。

 でも嫌な汗が、背中を伝った。


(俺たちが街を出ている間に、何かが起きた……?)


 足が、自然とわずかに重くなる。

 静かな旅路の終わりに、閉ざされた門が待っている。

 その向こうで何が起きているのか、今の俺にはまだ知る由もなかった。

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