第2話 服が欲しい

 街の通りは、落ち着かないほど賑やかだった。

 石畳の上を荷車が軋み、人の声が絶えない。

 焼いた肉の匂いが漂い、遠くの屋台では笛の音。

 ……けれど、その喧騒の中で、俺の歩く道だけ少しだけ静かだった。


 理由は単純だ。俺が、目立つからだ。


 通りすがりの男たちは、最初こそ「えっ」と息を呑み、

 一部は気まずそうに視線を逸らし、一部は逆にまじまじと見てきた。

 中には口元を緩めて下卑た笑いを浮かべる者もいて、

 すれ違うたびに肌の上をじっとりとした視線が這っていくような気がした。

 女たちは眉をひそめ、子供の手を引いて道を避ける。


「……いや、わかるよ。俺も見たら避ける」


 つい、口に出ていた。

 金属光沢のハイレグ。髑髏肩当て、骨のチャーム。

 どう見ても、常識人の格好ではない。

 寒くはないのが逆に怖い。肌の上を風が撫でても、冷たさひとつ感じない。

 体感温度がゼロというのは、こういうことなのか。


 通りを歩きながら、服屋らしき看板を探す。

 が、どの店も店員が俺を見るなり視線を逸らすか、奥に引っ込んでいく。

 この世界の通貨も知らないし、財布もない。

 ポケットがないから、そもそも金を入れる場所もない。


「どうしようか……」


 足を止めて、深呼吸。

 思考の整理が追いつかない。

 とりあえず現状を把握しようと、半ばやけくそで呟いた。


「ステータス、オープン」


 目の前の空気が震え、半透明の文字が現れる。

 名前欄は空欄。種族:人間(?)。

 スキル欄には、「社畜の根性」「残業耐性」「報連相Lv3」とあった。


「……泣いていいか?」


 思わず目頭を押さえる。

 死後の世界でまで職務経歴が反映されるとは思わなかった。

 そして、下の方に小さく「所持金:0」。

 わかっていたが、数字で突きつけられると破壊力が違う。


「服を買う金もない、働く場所も知らない、知り合いも居ない。……詰みでは?」


 ため息を吐いて、通りの隅を歩き出す。

 石畳の隙間に咲いた小さな花がやけに健気に見える。

 あれを見習えというなら、今すぐ枯れたい。


 曲がり角を曲がった、その瞬間だった。

 勢いよく走ってきた影とぶつかる。

 反射的に腕を出すと、相手の肩がぶつかって、二人して軽くよろめいた。


「わっ、ご、ごめんなさいっ!」


 顔を上げると、少年だった。

 年は十五、六。短い茶髪に革の胸当て。腰に木の剣。

 いかにも“駆け出し冒険者”といった格好だ。


「こちらこそ、すまない。前を見ていなかった」


 そう言うと、少年は一瞬ぽかんと口を開け、次の瞬間、耳まで真っ赤になった。

 何か爆発でもしたかと思うほどの速度で顔が赤い。


「え、あ、い、いえっ、だっ、大丈夫ですっ! その、服が……じゃなくて! け、怪我はないですか!?」


 少年は喋りながら視線が泳ぐ。

 動揺の原因はだいたい予想がつく。

 俺の格好だ。ハイレグアーマー。見た目のインパクトが強すぎる。


「怪我はない。君こそ大丈夫か?」


 落ち着いて声をかけると、少年はびくっと肩を揺らした。

 挙動が完全に初対面のOLと話す新入社員だった。懐かしい。


「は、はいっ! あの……その……」


 会話が続かない。視線が泳ぎすぎて申し訳なくなってくる。

 ときどき俺の胸元あたりで止まり、慌てて目を逸らす。

 いたたまれない沈黙が流れた。


 仕方なく、話題を変える。


「少し尋ねたい。ここはどこだろうか?」


「えっ、あっ、はい! ここはアストルの中央市です! 冒険者が多くて、にぎやかで……あの……」


 説明がだんだん小声になる。

 視線が安定しないまま、彼は咳払いをして続けた。


「えっと、旅の方ですか?」


「そんなところだ。事情があって、ここに来たばかりでな。勝手がわからない」


「そうなんですね……。あの、それなら、冒険者ギルドに行くといいですよ! 登録すれば宿の紹介とかもしてくれます!」


「助かる。ありがとう」


「い、いえ! その……気をつけてくださいね。その格好……目立つので……」


 彼の声が少しだけ裏返った。

 心配してくれているのだろうが、どうしても視線が泳いでいる。

 赤い耳が隠せていない。

 見た目がこうだと、話すだけで気を遣わせてしまうのが申し訳ない。


「……わかっている。俺も、なんとかしたいと思ってる」


 通りを歩くと、布屋の軒先で中年の女性がこちらを見ていた。

 市場の店主だろう。

 しばらく視線が合い、彼女は首を傾げてから声をかけてきた。


「お嬢ちゃん、大丈夫かい? 服、どうしたの?」


「これは……仕様です」


「えぇ……」


 困惑の声がやけに生々しい。

 彼女はしばらく考えた後、屋台の裏から薄手の布を一枚取り出した。


「これでも羽織りなさい。見てるこっちが落ち着かないよ」


「ありがとうございます」


 心底ほっとした。

 人の優しさというのは、どんな世界でも変わらない。

 布を受け取り、肩にかけた。


 ──その瞬間、空気が弾けた。


「バチィィィィィン!!」


 眩しい光。煙。

 手に持っていた布が、一瞬で跡形もなく消えた。

 鼻の奥に、焦げたような匂いが残る。


「……」


「……」


 沈黙。

 女性が硬直している。

 少年は目をまんまるにしている。


「な、なに今の!? 魔法? 攻撃されたの!?」


「……違う。多分、俺だ」


「えぇ……」


 今度は二人分の「えぇ……」が重なった。

 周囲の人がざわめき始める。

「呪われてる?」「爆発したぞ」と声が上がり、少し距離を取る者もいた。

 視線の輪が再び集まってくる。


「その、何が起きたんですか?」


「……ちょっと確認する」


 小声で「ステータスオープン」と呟く。

 半透明のウィンドウが再び現れた。

 装備欄の一番上に、見慣れぬ文字列がある。


【アウラ特製ハイレグアーマー】

 分類:神器(かわいい)

 効果:耐寒・耐熱・防汚・紫外線カット・破壊不能

 特殊効果:「かわいい姿を隠すなんて勿体ない♥」

 → 身体や鎧を覆う布・装備を自動的に破壊。危険時自動装着。

 危険察知装着(安全時のみ手動解除可能)

 → 睡眠・入浴時などで外していても、

 “敵意・殺気・落下・魔法反応”などの危険を感知すると即時装着される。

 ※強制発動時は演出効果として光が走ります。


「……演出効果って何だよ」


 呆然とした声が漏れた。

 これを真顔で作った女神の顔を想像したら、胃が痛くなる。

 いや、胃はもう死んでいるのかもしれないが。


 少年が不安そうに見上げている。


「な、何か悪い装備なんですか?」


「……ああ。呪われているんだ……」


 小さく息を吐く。

 装備を外そうとしてみるが、金属の表面が微かに光り、指を弾くように拒絶された。

 完全に固定されている。

 やはり呪いだ。いや、呪いというか、悪意そのものだ。


「とりあえず……ギルド、行ってみます」


「そ、そうですね……あ、あの、もし宿が決まってないなら、僕の知ってる店を紹介します! 安くて、飯がうまくて──」


 少年が慌てて言葉を繋げる。

 律儀で、いい子だ。

 少しだけ、救われるような気持ちになる。


「助かる。案内を頼む」


「は、はいっ!」


 赤い顔のまま、彼は嬉しそうに頷いた。

 俺はその背中を見つめながら、心の奥でひとつ、静かに決意する。


 ──いつか、あの女神を見つけたら。

 ──まず最初に、服のデザインの件で話をしよう。

 

 遠くの時計塔が、昼を告げる鐘を鳴らした。

 俺は溜息をひとつ吐き、光る骨飾りをチリチリと鳴らしながら、その音に紛れて歩き出した。

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