【TS】神様のミスで死にましたが、補償内容が羞恥プレイなんですけど
もろきゅー
第1話 寝て起きたら死んでました
──空が、青い。
わざとらしいくらい、どこまでも青かった。
雲は一欠片もない。筆で塗りつぶされたみたいな均一の青に、視線が吸い込まれそうになる。
足元を見下ろすと、視界いっぱいに花、花、花。
白、黄、紅、紫。名も知らぬ花が風にたわみ、花弁が小さな魚の群れみたいに一斉に向きを変えて、波打った。
ふわり、と甘い香り。鼻の頭がくすぐったい。くしゃみが出そうで出ない。
──綺麗だ。
胸の奥が少しだけ軽くなる。休日の朝に、洗濯機の音を聞きながらベランダに出たときの、あの空気に似ている。
でも、少し肌寒い。パーカー一枚足りない感じの、じんわりした冷え。
このまま寝転んだら気持ちよく眠れそうだが、目が覚めたら確実に喉をやられている──そんな種類の冷たさだ。
……待てよ。俺、寝てたよな?
晩飯のあと、缶ビール一本空けて、もう一本いくか迷って、結局そのままベッドに倒れ込んだ。
スマホの充電は……差してない。明日のアラームは……セットした気がする。いや、してない気もする。
──というかここ、俺の部屋じゃないよな。
上体を起こす。布団はない。枕もない。目の前には、ただの花の海と青空。
夢か。そりゃそうだ。
最近、残業が続いていた。月末締めとクライアントの仕様変更と上司の気分の三重苦。
定時という言葉は紙の上だけの概念で、俺の背骨は常にS字というよりギザギザだ。
寝落ちしたら、こういう夢の一本や二本、見てもおかしくない。
背伸びをすると、いつもならビキッと鳴るはずの腰が、鳴らない。
あれ? 肩も軽い。偏頭痛の前触れみたいなズキズキもない。
夢補正ってやつだろうか。
「夢の中では元気」なんて、なんとも皮肉だ。
──きみーっ!
空から、呼ばれた。
澄んだ鈴の音みたいな声。反射的に見上げると、青の真ん中に光が集まり、輪郭を形作る。
誰かが、空の上から降りてくる。
金色の髪がひるがえり、光を跳ね返して、夏の水面みたいにきらめいた。
ツインテールだ。左右でふわりと跳ねて、空中でふくらみ、着地の瞬間、花びらが光る粉になって弾ける。
口を開けて見上げてしまった俺の前に、彼女はにっこりと笑って降り立った。
「初めまして! わたし、女神のアウラですっ!」
女神。
字面は荘厳だが、目の前のそれは“神々しい”より“どこから突っ込めばいいか迷う”が先に来るタイプだった。
年の頃は、見た目で言えば十四、五。肌は白磁のようで、頬は淡く桃色。
エメラルドの瞳が、こちらの黒目にずぶりと刺さる。
──ここまではいい。うん、ここまではいい。
問題は、その服装だ。
ハイレグ、だった。
いや語彙が少ないわけじゃない。事実としてハイレグだった。
金属製の、やたら光沢の強いアーマーが、布よりも面積の少ないラインで体の曲線を際立たせている。
防具という言葉の意味を根本から問い直したくなる設計思想。
肩には黒光りする髑髏を模した肩当て。空洞の眼窩に淡い光が灯り、角度によってはウィンクしているように見える。やめてほしい。
腰のベルトには、細かい白骨片のチャームが鈴みたいに連なっていて、動くたびにカチャカチャと鳴る。
胸元には赤い宝珠がどーん。血のように濃い紅。周囲の彫金は蔦の意匠で、やたら手が込んでいる。
背には翼……に見える飾り。羽根の形の金属フレームに透明の薄板がはめられ、光を受けて七色に反射する。
どこを切り取っても強い。祭りの山車がそのまま人型になったような、視界の占有力。
思わず、口から出た。
「……すげぇ格好だな」
「でしょっ!」
彼女──女神は目を輝かせた。宝石が鈴を鳴らすとこんな音がするのかもしれない、と思わせる笑い声だった。
「自分で作ったの! 素材から、柄まで、ぜーんぶ!」
「素材から?」
「そう! この肩のドクロ、削り出し。三日三晩かけて磨いたの。角の曲面が難しくってね~可愛いでしょ?」
「可愛いの定義、俺の知ってるやつと違う」
「もう、人間ってセンスが硬いのよね。これは機能美ってやつ!」
くるりと一回転。骨のチャームがチリチリ鳴る。
機能、ねぇ……どの機能を指しているのか、俺には一生わからない自信がある。
「……ここは、その、どこなんです?」
「死後の世界よ!」
軽い。羽毛布団みたいに軽い返答。
言葉の意味はやたら重い。
「死後……?」
「うん。寝てる間にね、あなた──死んじゃったの」
心臓が、ドク、と一回、大きく鳴った。
その後は拍子抜けするぐらい静かだった。
驚きより先に、「ああ、そうか」と妙に納得してしまう自分がいた。
理由はいくつか思いつく。過労、生活リズム、ストレス。
死という言葉に対して、俺はずっと昔から、薄紙一枚分だけ距離が近かったのかもしれない。
「原因はね──わたしの手違いで☆」
「星つけんなや」
女神は舌をちょこんと出して、反省という概念を軽く蹴った。
怒るべきなんだろう。理屈ではわかる。
けれど、胸の奥のどこかで、少しだけ安堵がした。
会社に行かなくていい、という安堵。
終わりのないエクセル地獄と、曖昧な指示の責任だけがこちらに押し寄せる日々から、離れられるという安堵。
──最低だな俺。死んでまで仕事から逃げることを考えるのか。
「戻せないの?」
「むりー」
秒で返ってきた。潔い。潔すぎる。
「だからね! お詫びとして、新しい人生をプレゼント!」
通販番組のテンションだ。後ろで“今だけ!”ってテロップが光ってそうな声。
「二つの選択肢。記憶を消して別の人間として再スタート、もしくは──」
女神はウインクして、人差し指を天に。
「異世界転移☆」
「……夢だよなぁこれ。うん」
口に出してみると、意外と落ち着いた声が出た。
現実ならもっと取り乱すはずだ。だからやっぱり夢だ。
俺は胸に手を当てる。鼓動は穏やかで、背中も腰も軽い。
死んだって言われて、最初に思うのが腰が軽いなの、どうなんだ。
「じゃあ、異世界で。チートがあるなら、それでのんびり。正直、もう、あんまり頑張りたくない」
自分の声が、我ながら年季の入った疲れ方をしていた。
寝起きに見る会社のロゴ。昼休みに見る進捗チャンネル。退勤後に見る未読の山。
よくやったよ、と誰かに肩を叩いてほしかったのかもしれない。
「なるほどね~」
女神は軽く頷くと、顎に指を当てて、空中に視線を泳がせた。
その目が一瞬で“創作モード”に切り替わるのがわかる。
周囲に薄い魔法陣のような光輪が、音もなく重なっていった。
「楽して……快適で……かわいくて……目立って……でも守られやすくて……あ、可動域は大事……装備は──うんうんうん」
「え、今なにを」
「設定中だから話しかけないで!」
「すみません」
反射で謝ってしまった。社会人十五年の条件反射は強い。
女神はぶつぶつ続ける。
「骨意匠は外せないでしょ……柄は白骨、鍔に小髑髏……刀身はミラー仕上げ……自動迎撃は基本……呼べば飛んでくるのも当然……よしよし」
「(骨? 小髑髏? いや、聞かなかったことにしよう)」
光輪はさらに層を増し、彼女の周囲の花びらが持ち上がって小さな渦を作った。
花の香りが濃くなる。空気に甘さが混じる。
──現実味、あるな。夢にしては、五感がちゃんと働きすぎている。
けれど俺は、意地でも夢だと決めた。
夢なら、目が覚めれば終わる。終わったあと、また始業は来る。
そう考えて、胸の真ん中が、少しだけ重くなった。
「よし、設定完了!」
女神の声が弾む。
そうして、こちらに満面の笑み──無邪気だけでできたような笑み──を向けた。
「いってらっしゃい!」
「ちょ、待っ──」
言葉は光に飲まれた。
眩しさが視界の端から端まで広がり、音という音が一瞬で遠のく。
風の感触だけが残り、その風もすぐに手放す。
最後に、女神のツインテールがゆらりと揺れたのが見えた。
骨のチャームが、ひとつだけ、チリ、と鳴った気がする。
────
世界が戻る。
硬い。
「……石畳?」
足裏の感触が確かだ。
視線を上げると、木造の家並みが連なり、二階の出窓から布が干されている。
屋台から焼いた肉の匂いが流れ、遠くで鐘が鳴った。
行き交う人々は粗いリネンの服を着て、腰には小袋や短剣。
兵士らしき男たちが槍を肩に担いで巡回し、子どもが走り、犬が吠え、どこかの婆さんが洗濯物を叩いている。
──異世界、だ。
心臓が二度跳ねて、口角が上がる。
「マジで……本当に来たのか」
こみ上げる興奮に、思わず拳を握る。
会社のロゴの代わりに石造りの時計塔がある。未読の山の代わりに、青い空と白いハトがある。
胸の奥で、何かがほどけた。
と、そこで気づく。
通行人が、立ち止まって、こちらを見ている。
視線の密度が上がる。ざわめきが輪になる。
男どもは顔が赤い。女の人は口元を押さえて目を丸くしている。
ちっちゃい子は指をさして「ママ、あれなにー」と言い、ママは「見ちゃだめ」と言った。
嫌な予感が、背中をつついた。
ゆっくりと、ゆっくりと、自分の身体を見下ろす。
金髪ツインテール。
雪みたいな肌。
──ハイレグアーマー。
──黒光りの髑髏肩当て。
──腰でチリチリ鳴る白骨チャーム。
そして、腰に提げられた一本の剣。
柄は白骨を束ねたような造形で、小さな髑髏が埋め込まれている。
鞘から少し抜くと刀身は鏡のように澄み、街並みと空と俺の顔を鮮明に返した。
俺の顔。
エメラルドの瞳。
女神そっくりの美少女の顔。
ただ、目の下に薄いクマが残っている。社会人時代と同じ位置に、同じ形で。
頬をつねる。痛い。
深呼吸。胸は上下する。
心のどこかで、「腰が軽いのはありがたいな」と思っている自分が腹立たしい。
「…………ただの変態じゃねぇかああああ!!!」
悲鳴は、石畳の街路を駆け抜け、時計塔で増幅されて、空に散った。
どこかで犬がびくっとして吠え、子どもが泣き、兵士が「なんだあいつ」と指を向ける。
俺は──いや、女神そっくりのハイレグ美少女の俺は、両手で顔を覆った。
神様。
お詫びって、もっとこう、心に優しい方向ってなかったんですか。
骨のチャームが、チリチリと小さく鳴った。
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