1-2 消えた
1-2 消えた
「消えた?」
マコトの驚愕を表した言葉は普段の彼からは想像もできない程の感情が込められていた。
不穏がギルドカウンターに蔓延る。
従者であるセツナと視線を鋭くさせる。
「えぇ。消えました。忽然と」
ギルドの責任です。と受付嬢は真っ向からそう言った。
苦虫を噛み潰した顔とは、こういうものをいうのだろう。
「命に別状はないとはいえ、怪我もあったろう」
「血痕は認められません。匂いに敏感な者に探らせましたが、それも不作。魔素探知にも引っかかりません」
恐らく、闇の魔素の資質だろう、とは受付嬢は言えなかった。
魔素検査の結果を紫煙の狩人は知らない。
「……何か、俺たちには言えないことがあるんだな?」
この鋭さである。
『紫煙の狩人』という特別な二つ名が、この喫煙好きの冒険者に名付けられた所以は。
「言えません」
なお受付嬢の毅然な態度に、マコトはため息をついた。
喫煙。
大袈裟に煙を吐く仕草は、感情の余白とも取れる。
「とにかく、ギルドはこの件は終了したものと処理しました。報酬はお渡しします。お疲れ様でした」
ドンっとカウンターに置かれた革袋は、おおよそ報酬とは思えない程の金額が入っていることがわかるほど膨らんでいる。
その中身の意味を察して、セツナの目線がさらに鋭くなる。
殺気。
この獣人は、主人の為になら権力と相対することも辞さない。
「よせ、セツナ。……口止めする方にも、事情はある」
「ですが」
「ギルドの腹芸は今に始まったことじゃあない」
そう言ってもらえて、受付嬢は心底安堵した。
ここに至る思慮の深さも、ギルド内で紫煙の狩人の評価が高い理由の一つだ。
受付嬢は煙が眼に染みる思いだった。
⸻
――孤独。
なぜ逃げ出したかはわからない。
凄惨な思いをし、全てに復讐をすると誓った為か。
はたまた成し遂げる為に選んだのか。
リルスは故郷と呼ぶ方角とは逆に向かって歩いた。
心臓の鼓動がうるさい。
どこか知らない世界から鳴るようで、鼓膜のすぐ側で鳴るようなその音を、リルスは聞いている。
脈動には力があった。
自分の肌の下で蠢く『なにか』を、リルスは自認している。
親しみはない。
共感がある。
怒りと恐怖と言葉にできない憧れに近い。
これは力だ、とリルスが気づくのにそう時間はかからなかった。
歩を止めず、その力との対話を続けるリルス。
いつかの呻き声に近い音が、口から漏れた。
「ころす」
生後初めて発した言葉を、リルスは覚えていない。
しかしリルスは今生の間、今しがた放った言葉を忘れる事ができないであろう。
父の血飛沫。母の言葉。妹の慚死体。
暴力の残滓がリルスの記憶を抉り、喜ぶように脈動が強くなった。
闇の生誕。
リルスの物語はここから始まる。
静かだった。
世界の端でひっそりと、だが確実にそれは生まれ出た。
這いずる様でもあったとリルスは思っている。
蛇が脱皮を繰り返し徐々にその身体を大きくするように、劇的ではない。
長大な体躯と冷たい鱗。
影の輪郭がとぐろを象る。
「僕を呼んだのは君かい」
空気を震わせる事で言葉として伝えている、そんな違和感がリルスを撫でる。
風もないのに、肌を滑る感覚は気味の悪いものでもあり、歓迎されるべきものでもある。
「貴方は?」
影が螺旋を描き渦巻き踊る。
生誕を喜ぶにも見える。
「君の激情に呼応した」
禍々しいまでの闇の魔素が、リルスの呼吸に合わせて膨らんでは縮む。
手をかざすと吸い込まれそうな錯覚。
鎌首からシューという空気の漏れる音。
脳が闇の水溶液に浸されてふやけていく。
「君の怒りに応えよう」
この契約に応えた時、リルスは今までのリルスでいられないことを予感していた。
魅了する復讐心。
自尊を保つ為に自らが産んだ怪物の種。
影が少しずつリルスに巻き付いていく。
「リルス、君が影に愛されることを、僕は願っているよ」
その言葉を残して闇が霧散した。
かたわらにある草木にそれが触れて萎れた。
リルスは胸の内に生まれた悲鳴にも似た『なにか』を、ただただ受け入れた。
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