情報を賭けた夜――インシデント・パレスの選択

ソコニ

第1話 招待状

プロローグ:三年前の午後

 十月の放課後。秋の陽射しが、商店街のアスファルトを照らしていた。

「ねえ、プリン買ってよ」

 椎名沙希が、コンビニの入口で立ち止まった。いつもの口調。少し甘えた声。

 田代蒼太は、財布を確認する。千円札が二枚。バイト代が入ったばかりだ。

「また? お前、俺のこと財布だと思ってるだろ」

「やだー、そんなことないよ」

 沙希は笑った。内気な性格の彼女だが、蒼太の前では素直に笑う。それが、蒼太には嬉しかった。

 コンビニでプリンを二つ買い、外のベンチに座る。沙希は嬉しそうにスプーンを口に運ぶ。

「おいしい」

「毎回同じこと言ってるな」

「だって、本当においしいんだもん」

 蒼太は、スマホを取り出した。

「写真撮ろうぜ」

 沙希が、顔を上げる。

「え? やだ、今すっぴんだし」

「いいじゃん。変顔でもしてさ」

「変顔!?」

 沙希は、プリンのスプーンを咥えたまま、わざと目を見開いた。

 蒼太は、それを撮る。沙希も蒼太のスマホを奪い、二人で変顔をして撮り合う。

 笑い声が、商店街に響く。

「これ、絶対SNSに載せないでよ?」

 沙希が、笑いながら釘を刺した。

「わかってるって」

 蒼太は、軽く答えた。


 その日の夜。

 蒼太は、自分の部屋でスマホを見ていた。

 今日撮った写真。沙希の変顔。面白い。

 彼は、SNSアプリを開いた。

 投稿画面に、写真を選択する。

 キャプションに、「今日の戦利品」と打ち込む。

 指が、投稿ボタンに触れる。

 一瞬——迷った。

 沙希は「載せないで」と言っていた。

 でも——

「まあ、大丈夫だろ」

 彼は、ボタンを押した。

 投稿完了。

 数秒後、通知が来る。沙希からの「いいね」。

 そして——コメント。

「ちょっと! 載せないでって言ったのに! まあいいけど笑」

 蒼太は、安堵した。

 沙希も笑ってる。問題ない。


 最初の三十分は、順調だった。

 友人たちから「いいね」が来る。「変顔ウケる」「プリン食いたい」——そんなコメント。

 一時間後。

 見知らぬアカウントから「いいね」が急増し始めた。

 蒼太は、スマホを見ながら思った。

「おっ、バズってる?」

 コメント欄を確認する。

「これは笑える」

「保存した」

「顔芸の才能ある」

 悪意は感じない。むしろ、好意的なコメントばかり。

 蒼太は、嬉しくなった。

 その時——彼は知らなかった。


 翌日の午前三時。

 蒼太のスマホに、大量の通知が来た。

 彼は、眠い目をこすりながら確認する。

 そして——凍りついた。

 匿名掲示板へのリンク。

 タイトル:「この女、ブスすぎワロタ」

 スレッドを開く。

 そこには——沙希の写真が、加工されて貼られていた。

 目が異常に大きくされ、鼻が歪められ、口が醜く変形させられている。

 そして、コメントの嵐。

「きっつ」

「よくこんな顔で外歩けるな」

「整形しろよ」

「これ、どこの学校?」

 蒼太の手が、震えた。

「やばい——」

 彼は、すぐに投稿を削除した。

 でも——遅かった。

 画像は、既に保存され、拡散されていた。


 翌朝。

 蒼太のスマホに、沙希からメッセージが来た。

「なんで、あんなこと……」

 返信する前に、次のメッセージ。

「学校、行けない」

 蒼太は、返信しようとした。

 でも——何を書けばいいのか、わからなかった。

「ごめん」

 それだけ送った。

 既読はついた。

 でも、返信は来なかった。


 それから一週間。

 沙希は学校を休み続けた。

 蒼太も——炎上した。

 彼のアカウントが特定され、誹謗中傷が殺到した。

「こいつが晒したのか」

「最低だな」

「友達売るとか人間のクズ」

 蒼太は、アカウントを削除した。

 でも——炎上は収まらなかった。


 一ヶ月後。

 沙希は、転校した。

 蒼太も、学校を辞めた。進学を断念した。

 そして——沙希の家族から、慰謝料請求が来た。

 三百万円。


 その時、俺たちは知らなかった。

 情報は、凶器になると。

 一度流れた情報は、消せないと。

 そして——人生は、一枚の写真で壊れると。

(プロローグ・了)


第一章:招待状

 深夜二時。

 田代蒼太は、原付のシートに跨ったまま、スマホを見つめていた。

 配達アプリの画面。今日の売上:六千三百円。

 時給換算すれば、八百円程度。最低賃金以下だ。

 彼は、別のアプリを開いた。

 SNS。検索欄に、「椎名沙希」と打ち込む。

 そして——表示される画面。

「このユーザーはあなたをブロックしています」

 三年前から、変わらない文字。

 蒼太は、この画面を見るのが日課になっていた。

 まるで、罰を受けるように。

 彼は、スマホのフォルダを開く。

 「非表示」と名付けられたフォルダ。

 その中に——あの写真がある。

 沙希の変顔写真。プリンを咥えて、笑っている沙希。

 蒼太は、それを見るたびに思う。

「この写真を、投稿しなければ——」

 でも、過去は変えられない。

 彼は、フォルダを閉じた。


 アパートに戻ると、郵便受けに封筒が入っていた。

 茶色い、見慣れた形式。

 督促状だ。

 蒼太は、それを開けずに机の上に積み上げた。既に十通以上が、未開封のまま積まれている。

 三百万円の借金。

 沙希の家族からの慰謝料請求。分割払いの契約をしたが、払えていない。

 彼は、ベッドに倒れ込んだ。

 天井を見つめる。

 三年前の自分を、殴りたかった。


 その時、スマホが震えた。

 配達依頼。

 蒼太は、反射的に画面を確認する。

 そして——目を疑った。

 報酬:五万円。

 配達先:工業地帯、第三倉庫区画。

 品目:なし。

 備考:封筒を受け取ること。

 五万円?

 深夜の配達で、この金額。明らかに異常だ。

 蒼太の指が、「辞退」ボタンに触れかける。

 でも——彼は、督促状の山を思い出した。

 そして、「受諾」をタップした。


 工業地帯は、街の外れにある。街灯は半分が壊れ、人気もない。

 蒼太は、原付を走らせながら、何度も後悔した。

 これは、絶対に怪しい。

 でも——引き返すこともできなかった。

 指定された倉庫の前に到着する。

 そこには、小さな段ボール箱が置かれていた。

 蒼太は、それを開けた。

 中には、黒い封筒が一枚。

 彼は、それを取り出した。

 厚手の紙に、金色の文字。


あなたの借金=300万円を帳消しにする方法があります。

11月12日午前0時、以下の住所へお越しください。

工業地帯第三区画、旧港湾倉庫D棟。

持ち物:このカード。

注意事項:誰にも話さないこと。遅刻厳禁。


 蒼太の手が、震えた。

 三百万。

 正確な金額だ。

 なぜ、知っている?

 彼は、封筒を裏返した。

 裏面に、小さく一言。

「情報には、値段がある」


 翌日。

 蒼太は、一日中その封筒のことを考えていた。

 詐欺に決まってる。

 でも——もし本当なら?

 夕方、アパートに戻ると、また督促状が届いていた。今度は、裁判所からだ。

 蒼太は、それを見て——決めた。

 行こう。

 失うものなど、もう何もない。


 11月12日、午前0時。

 旧港湾倉庫D棟。

 蒼太は、原付を停めた。既に、数台のバイクと車が停まっている。

 倉庫の入口は、少し開いていた。

 彼は、中に入った。

 薄暗い廊下。奥から、光が漏れている。

 蒼太は、光に向かって歩いた。


 廊下を抜けると——

 信じられない光景が広がっていた。

 倉庫の中央に、巨大な円形のテーブル。その周囲に、豪華な椅子が五脚。

 天井からは、シャンデリア。

 壁には、巨大なモニター。

 まるで、カジノだった。

 そして——既に、四人の人影がいた。


 一人は、三十代の女性。

 派手な服装。金髪のロングヘア。

 彼女は、椅子に座ったまま、スマホを弄っている。

 画面を見ながら、自嘲的に笑った。

「あの動画、まだ再生されてる」


 一人は、二十代の男性。

 黒いパーカーを深く被り、顔を隠している。

 壁に寄りかかり、腕を組んでいる。

 完全に無表情。全員を警戒しているようだ。


 一人は、四十代の男性。

 スーツ姿だが、袖が擦り切れている。

 彼は、立ったまま、何度もネクタイを直している。落ち着きがない。


 一人は、十代の女性。

 小柄で、髪を後ろで束ねている。

 椅子の端に座り、スマホを握りしめたまま、画面を見ないようにしている。


 蒼太が入ってくると、全員の視線が彼に集まった。

 金髪の女性が、軽く手を挙げた。

「あ、最後の一人?」

 彼女の声は明るいが、どこか疲れている。

「まあ、座ってよ。始まるまで、もうちょっとあるみたい」

 蒼太は、無言で空いている椅子に座った。


 しばらく、沈黙が続いた。

 スーツの男性が、咳払いをする。

「……あの、皆さんも、あの封筒を?」

 金髪の女性が答える。

「そ。借金帳消しって話。怪しいよね。でも、来ちゃった」

 彼女は、スマホを置いた。

「私、麻衣。元インフルエンサー。フォロワー五十万人いたんだけどね」

 彼女は、髪をかき上げる。

「ちょっとした炎上で、全部パー。事務所クビ、スポンサー全滅。で、今は借金まみれ」

 彼女は笑った。自嘲的に。


 スーツの男性が、小さく頷いた。

「私も……似たようなものです。克也と言います」

 彼は、ネクタイを直した。

「デマを拡散してしまって……会社が倒産しました。従業員三十人、全員路頭に迷って」

 彼の手が、震えている。

「借金は、二百万」


 黒いパーカーの男性は、何も言わない。

 十代の女性も、黙ったまま。スマホを握る手が、白くなっている。

 蒼太は、彼らを見回した。

 全員——何かを抱えている。


 その時、照明が消えた。

 会場が、暗闇に包まれる。

 そして——

 中央のテーブルに、スポットライトが当たった。

 そこに、一人の男が立っていた。


 初老の男。

 白髪交じりの短髪。黒いスーツに、白い手袋。

 彼の手には、カードが束になって握られている。トランプではない。もっと大きく、厚手の紙。

 男は、ゆっくりと全員を見回した。

 そして——穏やかな声で言った。

「皆さん、席についてください」

 その口調は——教師のようだった。

 蒼太は、既に座っている。他の全員も同じだ。

 男は、微笑んだ。

「ようこそ、インシデント・パレスへ」

 彼の声は、低く、穏やかだ。しかし、その響きには有無を言わせぬ力がある。

「私の名は、柊。このゲームのディーラーを務めさせていただきます」

 柊は、カードを一枚引いた。

「皆さんは、情報の価値を知らない」

 彼は、全員を見回す。

「今夜——学んでいただきます」


 蒼太は、柊を見つめた。

 この男は、何者だ?

 柊は、テーブルにカードを並べ始めた。

「まず、ルールを説明しましょう」

「このゲームは、全五ラウンド」

「各ラウンドで、私が『インシデント』——つまり、情報に関するトラブルを提示します」

 彼は、モニターを指差した。

「皆さんには、五つの選択肢が与えられます」

「その中から、最も適切だと思う行動を選んでください」

 柊は、カードを一枚持ち上げた。

「正解すれば、情報ポイントを獲得します」

「このポイントは、最終的に金銭に換算され、借金の返済に充てられます」

 麻衣が、手を挙げた。

「じゃあ、不正解だったら?」

 柊は——微笑んだ。

 冷たい微笑み。

「あなたの過去が、暴露されます」

 会場が、静まり返った。


 柊は、カードをテーブルに置いた。

「皆さんの情報は、すべて私が把握しています」

「SNSの履歴、削除した投稿、匿名掲示板での書き込み、メールの内容——」

 彼は、全員を見回した。

「すべてです」

 蒼太の背筋が、凍った。

 すべて?

 あの写真のことも?

 柊は、次のカードを引いた。

「では、練習問題から始めましょう」

 モニターに、文字が浮かび上がる。


【練習問題】

あなたの友人が、SNSで嘘の情報を拡散しています。その情報は、特定の企業を誹謗する内容です。あなたは、どうすべきですか?

A. すぐに訂正を促す

B. 様子を見る

C. 自分も拡散する

D. 友人関係を切る

E. 企業に通報する


 柊が言う。

「さあ、選んでください。制限時間は三十秒です」

 蒼太の手元に、いつの間にかタブレットが置かれていた。

 彼は、選択肢を見つめた。

 これは——簡単だ。Aに決まっている。

 彼は、Aをタップした。

 他の参加者も、次々と選択を終える。

 柊が、結果を確認した。

「全員、Aを選びましたね」

 彼は——冷笑した。

「では、解説しましょう」

「Aを選んだ方——あなた方は、友人を『正義の名の下に』攻撃する人間です」

 麻衣が、声を上げた。

「は? 嘘を訂正するのが攻撃?」

 柊は、静かに答えた。

「訂正を促す、というのは、相手の間違いを指摘する行為です」

「それが公の場で行われれば、相手は『間違った人間』として晒されます」

「友人関係は、壊れるでしょう」

 彼は、続ける。

「B、様子を見る——これは、傍観者です」

「C、自分も拡散する——共犯者です」

「D、友人関係を切る——逃避です」

「E、企業に通報する——裏切りです」

 柊は、全員を見回した。

「つまり——どの選択肢も、完璧ではありません」

「情報社会において、『正しい選択』など存在しないのです」


 蒼太は、息を呑んだ。

 柊は、最後に言った。

「これから、皆さんには実際のインシデントを提示します」

「そして——あなた方自身が過去に下した選択を、評価していただきます」

 彼の目が、鋭く光る。

「このゲームには、たった一つだけルールがあります」

「嘘をついてはいけない」

「あなた方の過去は——」

 柊は、全員を見つめた。

「すべて私が知っている」


 蒼太の心臓が、激しく脈打った。

 柊の視線が、彼を捉える。

 そして——柊は、新しいカードを引いた。

「それでは、ゲームを開始しましょう」

「第一ラウンド——」

 モニターに、新しい問題が浮かび上がる。

 蒼太は、その文字を見て——

 凍りついた。

(第一章・了)

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