第2話「力が欲しい」

「アスマさんを、助けてください」


 俯くことは許されず、私は自分の視界にアスマさんを映すことしかできなくなる。


「助けてください」

「できません」


 くれる言葉に温かさはないのに、私を見つめる瞳はあまりにも優しい。

 世界には私とフェリーさんしか存在しないような、そんなあり得ない錯覚を起こし始める。


「僕以外を、その瞳に映すのはやめてください」


 髪に、彼の熱を感じた瞬間。

 彼は優しく私を包み込み、彼の温かさに少しの安心感を抱く自分を恥じた。


「一緒に来てください」


 囁くような声を弱いとも捉えられるのに、懇願の気持ちも込められているような気がした。その声に対して、身動きが取れなくなっていく。


「ステラさんと一緒なら、すべてをやり直せる……」


 彼の温もりを、拒絶する。


「ステラさ……」


 フェリーさんが私を無理矢理、引き留めることはなかった。

 ゆっくりと彼の腕の中から解放された私は、真っすぐ彼の瞳を見つめた。


「精霊との約束を、反故ほごされるつもりですか」


 深く息を吸い込んで、問いかける。


「精霊はシャロ家と、森契の盟シルヴァン・アコードに力を貸すと約束してくれたんですよ」

「僕たちが生まれるよりも、遥か昔の話です」

「力なき人々を守るために、私たちは精霊を……」

「どうでもいいです」


 精いっぱい言葉を紡いでいこうとしていたのに、その言葉が詰まってしまった。

 フェリーさんから怒りの込められた言葉を初めて向けられ、ほんの少しだけたじろいでしまいそうになった。でも、自分の体に襲いかかりそうになった震えを抑え込んで、しっかり自身の手と足に力を入れる。


「精霊のせいで、僕の人生は狂いました」


 彼の瞳から優しさが消え失せ、憎悪の感情が宿っていた。


「僕に力を貸すと約束するまで、そこでおとなしくしていてください」

「フェリーさんっ! フェリーさんっ!」


 壁の表面が波紋のように揺れ、フェリーさんの体が壁の向こう側へと吸い込まれていった。

 急いであとを追いかけたけど、私の体が壁の向こう側に通り抜けることはない。


「そちらで、シャロ家の魔女が存在しない世界を見物していてください」


 何度も壁を叩いても、壁は壁でしかない。

 フェリーさんが足を踏み入れた世界には平和なアカデミア生活が広がっていて、私がいる無機質な空間とは空気感が違う。


「雷精霊」


 攻撃することを得意とする精霊の雷精霊を呼び寄せると、雷精霊は低く唸って鋭い爪を壁に向かって振りかざした。


(壁が、びくともしない)


 その表面にかすかな傷ひとつ残すことはできず、フェリーさんを追い詰める道は依然として閉ざされたまま。


「いま、攻撃魔法の呪文を唱えるから」


 焦りで心が乱れるのを感じたけど、冷静さを保ち続けた。

 私が冷静さを失ってしまったら、雷精霊は焦燥感に襲われてしまう。


「drastarligonht」


 拳を握り締めて気合いを入れて、攻撃魔法の呪文を唱えた。

 でも、そんな虚勢は雷精霊に見破られていたのかもしれない。


「っ」


 さらに強力な一撃を加えるため、雷精霊は全身の力を集中させる。

 雷精霊は私が放った攻撃魔法と共に、再び壁に向かった。

 精霊は体を打ちつけるけど、結果は変わらない。

 精霊の威力をすべて吸収し、崩れる気配すら見せない壁を前に唇を噛み締める。


「大丈夫、大丈夫、もう、大丈夫……」


 状況を打開しようと動く雷精霊を優しく抱き締め、力を無駄に使うことのないように気持ちを込める。


「大丈夫、こんなところで物語を終わらせないから」


 無力感には包まれているけど、絶望感に打ちひしがれることはない。

 傍に精霊がいてくれることの力強さを感じながら、私は壁に映る穏やかな光景に目を向ける。


(そもそも、これは誰の視点……?)


 壁に映し出されるアカデミアの生徒たちは、いつもの日常を取り戻していく。

 雨が止んだあとの校舎は太陽の光が降り注ぎ、連続殺人事件が起きている最中とは思えない賑やかさが存在している。


(フェリーさんの視界じゃない……?)


 フェリーさんの視界に入ったものが、壁に映し出されていると思い込んでいた。

 けれど、高さあるフェリーさんの身長から見える光景ではない気がした。

 ほとんど自分と変わらない身長の人物の視界が、壁に映し出されていることに気づく。


(何が目的……)


 別の空間に移動してしまったフェリーさんを追いかける術は残されておらず、フェリーさんがいる世界に自分の声を届けることもできない。


「ぐぅぅぅ」


 雷精霊が、制服の裾を引っ張った。

 目の前に映し出された光景に気を取られていた私を叱咤しようとしてくれたのだと思って、後ろを振り返った。


「え」


 床には、意識を失ったアスマさんの血が広がっていたはず。

 薄暗い中でも響く、ぐちゃりとした音。

 視界にも聴覚にも、血の赤が残っている。


「アスマ、さん……?」


 振り向くと、アスマさんの体が消失していた。

 今すぐにでも治療を必要としているアスマさんの存在が、まるで最初からなかったかのように綺麗さっぱりと消失してしまった。


「アスマさんっ……!」


 周囲を見渡したところで、閉じられた空間には私と雷精霊。

 そして心もとない月のような光しか存在せず、私がアスマさんの治療をすることはできなくなってしまった。


「何が起きて……」


 何が起きているかという問いに、答えを返してくれる人は現れない。

 静寂な空間に閉じ込められ、脱出する方法も見つからない。

 無力感だけが重くのしかかり、自分を押し潰されそうになったとき。


『ステラ!』


 ステラ・シャロが存在しない世界で、私の名前を呼んだ人がいた。


『はぁ、良かった……無事で……』


 壁の向こうに目を向けると、そこには私の名を呼ぶ彼がいた。

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