第22話「わかったよ」

 立ち止まり、木々の隙間の闇を鋭く睨む二人の耳に、木々が揺れる音がいやに響く。


「近くはないんだよな?」

「はい、近くはない。だけど、確かにいる」

「そうか」


 正也はふと、櫻の持っているランタンに視線を移す。

 そこに閉じ込められている青い炎が、風に吹かれたように小さく揺れていた。


「もうそろそろ廃村に着くはずだ」


 櫻は歩き出し、背の高い草を躊躇いなく掻き分けて行く。

 正也は遅れて歩き出すが、追いつくのに必死だ。


 櫻の持っているランタンの青い炎が、一度、もう一度大きく揺れる。


「……ッ」


 つま先でブレーキをかけ、必死に身を引いたのは、櫻が止まっていたからだ。


「着いた」


 正也は櫻の視線を追って、足元の先を見た。


 森を切り拓いて建てられたかつての家々が、月明かりに静まり返っている。


 正也は一瞬人の温もりを探そうと辺りを見渡すが、すぐに明かりが一つも無いことに気付いた。


 血の匂いが、濃くなる。


「足、滑らせるなよ」

「え?」


 櫻はそう言い、目の前の小高い崖をバランスを取りながら滑り落ちていく。


「ちょ、怖いって」


 正也は躊躇いながら櫻に続くが、着地の瞬間に膝をついてしまう。


「いったた」


 膝を擦りながら顔を上げると、櫻は既に太刀を握り、前方を鋭く睨みつけていた。


「おかしい」

「おかしいって、何がです」


 正也は服に付いた泥を払いながら、櫻の隣に立つ。


「普通、眷属や妖術を使って索敵をしているはずだ」

「妖術?」

「昨日の、グレイヴが使っていたようなものだ。しかし、何も無い」


 櫻は右手の太刀をさらに強く握り締める。

 月明かりが刀に反射し、正也は一瞬目を細める。


「相当自信があると見た」


 そう言い、櫻は不敵に笑う。

 しかし、正也は気付いていた。

 櫻の、ランタンを握っているその手が、小刻みに震えていることに。


「先輩」

「ん?」


 歩き出す櫻を呼び止めるが、正也は口ごもって居心地の悪そうに首を擦る。


「何だ。どうした」

「えっと、あれだ、上手く言えないけど」

「近くにいるかもしれない。手短にしてくれ」


 正也は鼻から大きく息を吐き、手を降ろして櫻を真っ直ぐに見つめた。


「俺たち、もう独りじゃない」


「……っ」


 櫻の大きく見開かれた目が、月に照らされてきらりと光る。


「あんたのこと、少しわかってきた。強いけど、絶望的に不器用だ」

「な、何を急に。今しなきゃいけない話か⁉」

「だから今も、自分一人で俺のことどうやって守ろうかとか、考えてんだろ」


 正也の視線に射抜かれ、櫻は言葉を失う。


「相棒って言ってくれたの、あんたじゃないか」


 正也は櫻の目の前まで歩いていき、細かく震えている手を両手で包み込んだ。


「冷たい」

「っっ!」


 櫻は真っ赤に染まった顔を長い髪で隠して、そっぽを向いた。


「俺もあんたのことを守る」

「わかった。わかったよ」

「だから、頼ってほしい」

「わかったってば!」


 櫻は正也の手を振り払い、少し温かくなった手を胸に当て、ふやけた目で彼を睨む。


「わかったよ。ばか」

「え、はい」

「ほら、行くよ。全く、ポエマーを相棒に持つと大変でしょうがない」

「はあ? 中二病に言われたくないんですけど」

「そんなこと言うな! 最低!」

「は? なんすか急に?」


 櫻は肩を怒らせ、ズンズンと進んでいく。

 正也は困り顔で櫻に付いていきながら、それでも小さく笑った。

 櫻の怒ったときの顔が何度も鮮明に蘇り、正也の心を温める。


『ずっと、これが続けば良いのに』


 正也がそんなことを思った――そのとき、顔に刺すような視線を感じる。


「何だ」


 立ち止まり、辺りを見渡す。


 しかし、目に入るのは崩れかけの民家と生い茂る雑草だけ。


 そこから、気配は感じない。


「何だ。どこだ」


 何度も何度も忙しなく視線を動かす。鼻も利かせ、視線の正体を探す。


肌を這うような微かな気配が、苛立ちと焦りを加速させる。


『どこだ』


「あ」


 そして、気付いた。


「せんぱ――」


 “その方向”を見る前に、目の前にいるはずの櫻に声を掛けようと口を開き、唖然とした。


「君、何止まってるんだー?」


 十メートル程先、櫻はそこにいた。

 正也に気付かず、歩き続けていたのだ。


「先輩ッ!」

「何だ……何があったっ」


「上――ッ!」


「あーあ、ダメじゃねえか小僧」


 次の瞬間、衝撃。地面が揺れる。


 月の方向から現れたそいつは、櫻の背後に降り立って地面に大きな足形を残した。


 まるで狼のように深い毛を携えたその大男は、“不気味な笑顔の仮面”の奥で堪えきれないというように嗤った。


「女のことはちゃんと守ってやらねえとなあ?」


 そう言い、岩のように巨大な両手を櫻に伸ばす。


 櫻は振り向きざま、月明かりに輝くその太刀で斬りかかる。


 宿命づけられた夜が、幕を開けた。




第3章「始まった二人、忍び寄る影」完


 第3章、読んでいただきありがとうございます。

 黒い鉄格子から始まり、推論、そして正也が真実に気付く場面など、ちょっと負荷が高いシーンが続きました。単語や世界観を整理するために設定ノートみたいなものを公開しようかなとも考えています。

 ともあれ、物語は一区切りに向けて加速してきました。第4章は狼男との戦いを通じて二人の心情の変化や決意を描きます。引き続き応援をよろしくお願いします。感想、コメント、本当に励みになります。


 毎日21時更新です。

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