第17話「日常、冷たさ」
各クラスホームルームを終え、生徒たちが部活に遊びに駆け出していく。
正也はそんな明るい会話たちを搔き分け、とある教室の前で立ち止まった。
『文芸部室』
今は空き教室だったはずのその教室の出入り口の上には、真新しいインクでそう印字された教室札が差し込まれていた。
正也はなんだか真っ直ぐドアを開けるのも憚られ、ドアを小さく三回ノックした。
「はい、どうぞ」
すると中から櫻の余所行きの声が聞こえてくる。
正也は彼女のその声色にどこか違和感を覚えながら、ゆっくりとドアを開けた。
「おっ」
教室の真ん中、机を向き合わせ、しゃんと背筋を伸ばして座っていた櫻と目が合う。
櫻は正也を認めるとすぐに姿勢を崩し、眉間に皺を寄せて不満を露わにした。
「何だ君か。言ったじゃないか。この前の教室で待ってるって」
一瞬、正也の背筋に冷たいものが走る。
緊張感をわざとすかすような櫻の態度を、注意深く見つめる。
「……だって、文芸部って書いてますし、合ってるかなって」
「あー、それな。私が復活させたんだ。特例らしいぞ」
そう言う櫻の一見無邪気な笑顔を見て、正也は一瞬後ろ手にドアを閉めるのを躊躇うが、結局恐る恐るそれを閉め切る。
「ま、座って座って。部員一号君」
「勝手に人の権利奪わないでください」
「使わないものをいつまでも持っててもしょうがない。そうだろう?」
正也は想定外に速い櫻の返しに面食らいながら、椅子を引く。
「まあ、そうですね」
そして、緊張感を抱えたまま、椅子に浅く腰掛ける。
すると、頬杖をつきながらどこか虚ろな表情の櫻が目に留まった。
「先輩?」
「へ?」
「今、ぼーっとしてましたよ」
「え? そう、かな。えへへ、ごめんごめん」
正也は櫻の顔をじっと見つめ、部室のドアが閉まっていることを確認してから口を開いた。
「昨日の今日だ。無理もない、あんな戦い。怪我とか、まだ治ってないんですよね。そんなに無理しなくても」
「怪我? 怪我はほら、大丈夫」
櫻はにこっと笑みを浮かべ、制服の裾を手繰り上げる。
そして正也は一瞬言葉を失った。
そこから覗いた白い包帯が夕陽に淡く染まり、まだそこに血が滲んでいるように見えたからだ。
「昨日治療してもらったから、大丈夫」
正也はそう言う櫻の笑顔から目を逸らす。
彼女のその明るい表情が、正也が抱えていた緊張感や不安に火をかける。
「俺は血、吸わなくて良いですから」
「え、何でだ。そういう契約だろう?」
「あんたの身体を気遣ってんだよッ」
正也はそう吐き捨て、机に乗せた右手を強く握り締める。
そうすることで空気が必要以上にピリついたことに気付き、すぐに「すみません」と呟いた。
「正直俺、あんたが祓魔師だってことも、祓魔師自体のことも、まだよくわかってないんです」
正也はそこで言葉を止め、口を引き結んだが、勇気を持って息を吸った。
「今日ここに来て、あんたの気持ちもわからなくなった」
そして、自分の右手に視線を落とし、感触を確かめるように何度も開いて閉じた。
「昨日俺は、あんたを守るのに精一杯だった」
記憶を補完するようにそう呟いた正也は、机に乗せていた両手を引き、背もたれに寄りかかった。
「あんたは、怖くなかったのかよ」
絞り出した言葉は空気を伝い、重苦しい沈黙という結果を呼ぶ。
次に正也の耳に入ってきた音は、櫻の長い深呼吸だった。
「ごめん。考えてみれば、君にとって命のやり取りやこちらの世界のこと、当たり前じゃないんだよな。配慮が欠けていた。申し訳ない」
「別に、謝ってほしいわけじゃない」
「うん、わかってほしいんだよな」
正也は櫻のその一言に、ふっと顔を上げる。
櫻は膝の上に手を置き、口を噤んで、優しい目で机に視線を落としていた。
「わかるよ。わかってたはず」
そう言う櫻の目は涙を堪えるようなものに変わっていき、そして、
「怖かったよな」
まるで過去の自分を見つめるように穏やかなものに変わった。
「改めて、申し訳ない。ちゃんと言うよ。私のこと、私たちのこと」
そう言う櫻の真っ直ぐな視線に射抜かれ、正也は息を呑んだ。
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