クロージングケース

枝野 清

case1-1

 平日の正午。喫茶店の店内はラジオから流れる流行りの曲を背景に、落ち着いた雰囲気が作られる。


 端の席から全体を見渡している中年の男性は、近所に住む掛川かけがわ祐太ゆうたである。大学で週何回か教鞭を執っている。今日は休みであった。


 バイトのウエイトレスは忙しく歩き回る。厨房にはこの店の店長を務める芝田しばた光司こうじがいた。掛川と芝田は旧知の仲であった。休みの掛川が朝食兼昼食を取る為、たまに訪れることはよくあることだった。


 掛川はコーヒーを一口飲み、店内を見渡す。今いる客は指折れる人数だ。


 掛川と反対側に男性二人組がいる。片方はスーツを着て、もう片方はカジュアルな服装であった。


「今回の分受け取りました」

 

 何かの打ち合わせなのだろう。封筒の受け渡しを行っていた。


 真ん中に座る一人の女性はパソコンを開いている。パソコンの周りには似たジャンルの本が積み重なっている。タイトルから見るに内容は経営学である。レポートを書いているのだろうか。


 入り口側には、高齢の男性が一人座っている。テーブルにはクリームソーダが置いてある。既に半分は飲んだのだろう。


 その隣に座っているのは、二人組の女性客である。


 掛川はコーヒーを口に含む。彼の中でゆったりとした時間が流れる。


 休みの今日は何もない。翌日に行われる講義の準備は昨日の時点で済ませていた。残しているのは、課題の採点であった。


 やる気は起こらない。掛川はコーヒーを口に含む。苦みが喉を通った後のタイミングで、ウエイトレスが頼んだサンドウィッチを持ってきた。


「カケさん、ミックスサンドです」


「どうも」


 無愛想な言い方でウエイトレスは置いていく。掛川は親しい間柄の相手からカケと呼ばれていた。店長の芝田がカケと呼ぶため、店のウエイトレスは掛川のことをカケさんと呼ぶ。本名は知らないのだろう。


 忙しい昼時に現れ、しばらく居座る姿は店にとってさぞかし厄介な存在なのだが、邪計に出来ないのも現状であった。


 掛川が三つあったサンドウィッチを残り一つとなった時、悲鳴が響き渡った。


「ない、ない、ないー」


 慌てふためくのは店の端に座っていたスーツ姿の男性であった。ウエイトレスは駆け寄った。


「どうしました。お客様」


「椅子に置いていた封筒がなくなっていまして」


 ウエイトレスも客が無くしたとされる封筒を探した。テーブルの上、椅子の座面、椅子の下。何処にも見当たらない。


「困ったな。無くしたと分かると」


 紛失しました。で済まされる話ではない。表情からスーツの客は徐々に追い込まれ始めている。


 掛川は最後のサンドウィッチを貪っていると、厨房から視線が掛川に向いている。視線の正体は芝田であった。


 探してやってくれ。芝田の目はそう訴えている。目は口より物を言う。当たっている。掛川がサンドウィッチを全て飲み込むと、テーブルに置いてあるナプキンで手を拭く。指先についた汚れを落としてから立ち上がった。


 近付いて来る程暗くなる。一七七センチの男性の姿にウエイトレスが気付いた。


「カケさん」


「状況は」


 店長からの依頼で掛川が手を差し出す。困り事は掛川に頼むとどうにかしてくれる。顔を上げたウエイトレスは今起こっていることを説明した。


「こちらのお客様が封筒を無くしたようで」


「どんな封筒で」


「貴方は?」


「掛川と言います。この店の店長から手伝ってやれと言われまして」


 ウエイトレスが説明を加える。


「店長の知り合いで近所の大学の先生です」 


「そうですか」 


 躊躇う様子が見受けられる。しかし、背に腹は代えられなかった。スーツの客は封筒の詳細を口にした。

 

谷保やほと言います。出版社で働いています。封筒は原稿用紙が入る大きさの封筒です。ボタンと糸で封をするタイプの」


「椅子の下の収納にもありませんね」


 ウエイトレスは谷保が使用していたテーブルの椅子を全て調べた。収納は椅子の足に紐で取り付けられていた。四つ全て収納の中に何も入っていない。


「おかしいな。ずっとあったのに」


「席を外したタイミングでは」 


 ウエイトレスが指摘した。確かに谷保は一度電話が鳴った為、席を外した。掛川もそれは覚えている。


「あのときは先生もいたので」

 

 無くなる。見つからない。そうなると自然に人は盗まれたと連想するものである。谷保は既にその考えで染まっていた。


 今いる客は掛川と谷保を除けば三人である。谷保と掛川の間にある席に座っている若い女性客。入り口側に座る年配の女性客二人組である。


 訊くしかない。谷保は疑っているようだ。出来れば行いたくないことだ。掛川個人としても。店側としても。

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