第2話 夏の始まりはきらいですか?②

「カメラって、あの写真とかを撮るカメラのこと?」


ひよりからの問い掛けに、少女が短く首を縦に振る。


「カメラ、失くしちゃったの?」


「お母さんに買ってもらった、大切なカメラだったのに......なくしちゃった」


少女が両目に涙を溜めて、膝の上で握った拳を小刻みに振るわせる。


「そっか、お母さんに買って貰った大切なカメラだったんだね。それは悲しいよね」


「公園で遊んでたら失くしちゃった......」


少女の声はかすれ、今にも消えてしまいそうだった。


「それは今日のお話し?」


小さく頷く少女の表情は見えなかったが、容易に想像することができた。


「九十九さん......」


振り返るひよりの表情とは裏腹に、九十九はチラリと机の上の万年筆へと視線を向ける。


じっとりとした空気が部屋の底に沈殿していく。


「じゃあ、その公園まで行ってみようか」


九十九が側に掛けてある、薄茶色の帽子へと手を伸ばす。


「今日は紙と万年筆は使わないんですか?」


腰を下ろしたままのひよりが、見上げる様に問いかける。


片手に持った帽子を頭に置きながら、九十九が机の上にチラシと視線を送る。


「困った時の紙頼みではあるけれど、そう何度も紙に頼るわけにもいかないよ」


窓から差し込む強い日差しが、机の上に濃い影を落とし込んでいた。


「それに今回は、まだ失くしていないみたいだからね。これだけで大丈夫だと思うよ」


季節外れのトレンチコートをサッと身にまとい、机の上に無造作に置かれた錆びた羅針盤を、そっとコートのポケットへと忍ばせる。


「えっと、話聞いてました?」


「心配せずとも、ちゃんと聞いていたとも」


乾いた笑い声が部屋の中をこだまする。


「さあ、件の公園へ出向こうか」


どこか不安そうなひよりが、九十九の背中を追って立ち上がる。


軋む木目の床と扉の蝶番の音だけが、静かに三人の背中を見送っていた。


少女がカメラを失くした公園は名店街から一歩足を踏み出した先、真丁アーケードの中程に存在していた。


寂れた商店街の中央をくり抜いた様に作られた公園には、忘れ去られた遊具が物悲しく鎮座していた。


「公園のどの辺りで失くしたか分かる?」


これから深みを増していくであろう木々の緑が初夏の香りを運んでくる。


「えっと......多分あの辺り」


おずおずと指し示された先には、木に似せた樹脂製のベンチがひとつ置かれていた。


「あのベンチの辺りで失くしたの?」


「わたし、ちゃんとベンチの上に置いてたのに、なくなっちゃったの」


ベンチは変わらずそこにあるのに、カメラの影だけが消え失せていた。


「では、近くまで行ってみようか」


後悔に震える少女には目もくれず、九十九がベンチへと進んでいく。


「一緒に行こっか」


まだ陽の高い公園に不思議と子供の姿はなく、奇妙な静寂だけが流れていた。


「そういえば、まだお名前聞いてなかったね」


手を引く少女へと問いかける。


「お名前、教えてほしいな」


「さかいまお.......です」


「まおちゃんか、可愛い名前だね」


少女の瞳に喜びの光が灯り、口角が僅かに持ち上がる。


ベンチの周りをグルグルと歩き回っていた九十九がピタリと足を止める。


「ひより君、まお君を連れてこちらまで来てもらえるかな」


公園の入り口付近を静かに見つめる九十九の視線はまるで、何かの姿を見つけたようだった。


「まおちゃん、あっちに行こっか」


ひよりに促されるように、まおが歩き始める。


側まで歩いてきたまおに、九十九はコートのポケットから錆びた羅針盤をそっと取り出すと、ゆっくりと目の前へ差し出した。


困惑した表情を浮かべたまおが、九十九とひよりの顔を交互に見上げる。


「大丈夫だよ。怖くないから、手に取ってみてくれるかな?」


まおが触れた瞬間、錆びた羅針盤の針がカタカタと音を立てて震える。


九十九が錆びた羅針盤の針を、人差し指で軽く弾く。


「失くしたカメラを、強く思い浮かべてごらん」


当てもなく回り続ける羅針盤の針が、太陽の光を反射してキラキラと輝きを放つ。


遠くで聞こえる誰かの喧騒が、三人の間を駆け抜けていく。


祈るように見つめるまおの掌の中で、くすんだ赤い針がゆっくりと動きを止めようとしていた。

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