第10話:告白アルゴリズム
これが私の最終データです。プレゼンの最後に映し出された「好きです」の文字。全部本気。資料も、私も。
◆
あの再調査委員会から一週間が過ぎた。
結局僕への処分は「厳重注意」に軽減され、プロジェクト『イヴ』への参加も継続となった。佐久間先輩が裏で動いてくれたらしい。
僕と美咲の関係はあの涙の告白以来、ぎこちなくそしてどうしようもなく甘いものに変わっていた。
深夜のオフィス。
プロジェクト『イヴ』の最終プレゼンに向け、僕たちは二人きりで作業をしていた。
「……陽太」
「……なんだ、美咲」
ファーストネームで呼び合うことにも、もう慣れた。
いや、慣れたというのは嘘だ。呼ばれるたび、心臓が跳ねる。
「ここの感情遷移のロジック、もう少し、非連続的なモデルを適用できないかな。人の心って、もっと、カオスだから」
「……そうだな。同意する。キスで好感度48%上昇、でも次の瞬間には自己嫌悪でマイナス30%とか、そういう不合理な動きこそが、本質かもしれない」
「……っ!ばか、それ、言わないでよ……」
僕たちは、仕事の話をしている。
だが、その言葉の裏には、いつもあの日の会議室の光景が重なって見えた。
好きで、よかった。
その言葉が、僕たちの間の、デフォルトのアルゴリズムになっていた。
そして、運命のプレゼン当日。
会場には、役員たちがずらりと並んでいる。その中には、佐久間先輩の姿もあった。彼は、僕たちを見て、微かに頷いた。
「……じゃあ、行ってくる」
「……ああ」
美咲が、ステージへと向かう。
僕は、最前列で、固唾を飲んで彼女を見守っていた。
(観測対象:美咲。心拍数、120bpm。緊張確率80%。でも、瞳の光、100%。いける)
プレゼンは、完璧だった。『プロジェクト・イヴ』の革新性を、美咲は、力強く、そして魅力的に語り切った。
「……既存のマッチングAIが『条件』で人を繋ぐなら、我々の『イヴ』は、『感情のなぜ』で人を繋ぎます。それは、単なる確率論からの脱却です」
質疑応答。役員の一人から、厳しい質問が飛んだ。
「感情などという不確定なものを、どうやってビジネスにするのかね?」
美咲は、臆することなく答えた。
「仰る通り、感情は不確定です。しかし、だからこそ、そこに巨大なビジネスチャンスが眠っていると、私達は考えます。この『不確定性』こそが、人間の最も人間らしい部分であり、私達が解き明かすべき、最後のフロンティアです」
完璧な回答。会場が、感嘆の声に包まれる。
そして、最後のスライド。「ご清聴、ありがとうございました」という、定型文が表示されるはずの、その瞬間。
カチッ、と。美咲が、プレゼン用のリモコンをクリックする音が、静まり返った会場に響いた。
(このクリック一回に、私の、半年の、ううん、もっとずっと前からの好きが、全部詰まってる。陽太の目が、私を支えてくれる。恥ずかしいけど、もう、データより、本気だから)
スクリーンに、新しいスライドが映し出される。それは、グラフでも、データでもない。ただ、白い背景に、黒いゴシック体の、一文だけ。
【陽太さん、好きです】
会場が、どよめいた。
役員たちが、何事かと顔を見合わせる。僕の隣に座っていた同僚が、肘で僕をつつく。
スライドが映る瞬間、好きの文字が心を撃つ。僕の思考は、完全に停止した。
【データリスト:最終報告】
・事象:公開告白
・キス:48%
・嫉妬:90%
・守りたい:無限大
・そして今:100%
(確定的事実。でも、俺の好きを、どのタイミングで返すべきなんだ? 最適なアルゴリズムは?)
(……いや、違う。最適化よりも、偶然のほうが好きになった。彼女の予測不能な告白が、俺の全てを変えた)
ステージの上で、美咲は、マイクを握りしめたまま、震えていた。プロジェクターの強い光を浴びて、その瞳が、キラキラと潤んでいる。
彼女は、僕をまっすぐに見つめて、涙混じりの、だけど、世界で一番、強い声で言った。
「これが、私の、最終データです」
その瞬間、僕の脳内で、これまでの全てがフラッシュバックした。出会った日の、棘のある言葉。新幹線での、不意のキス。パンケーキの、甘いクリーム。公園での、重なった手。展望台での、48%のエラー。飲み会での、耳元の吐息。深夜のオフィスでの、彼女の涙。そして、会議室での、魂の叫び。全てが、この瞬間のための、データだった。
プレゼンは、割れんばかりの拍手で終わった。佐久間先輩が、微かな笑みを浮かべて、誰よりも長く拍手を送っていた気がした。
ステージを降りてきた美咲が、僕の前に立つ。その顔は、真っ赤だった。
「……プレゼンの内容、どこまで本気?」
僕は、照れ隠しに、そう聞くのが精一杯だった。
美咲は、僕の目をじっと見つめ返すと、はにかんで、そして、はっきりと答えた。
「全部、本気。資料も、私も」
その時、僕のスマホが、また静かに震えた。人事部からの、一通のメール。その件名を見ただけで、僕たちは、次の試練が始まることを、悟った。
(第十話 終)
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