第26話 終わりの序曲
ヴァイオレンが同盟を締結したことにより、トルキア大陸における主要戦力は一つに纏まった。
トルキアの長い歴史の中で見ても、これは初めての出来事である。
誰よりもその事実を喜んだのはニャンクスⅡ世だった。
「にゃー! これは大偉業ですぞ、アレス様! 初代様ですら成し得なかった、大陸統一! このニャンクスっ、アレス様にお仕え出来たことのなんたる幸せか~っ!」
森から戻ったアレスとシャルロットを出迎えたニャンクスⅡ世は、ヴァイオレンとの同盟が成立したことを聞くなり、涙を流して喜んだ。
「大袈裟だ、ニャンクス。それに統一などではないよ。ただ、協力してもらうだけだ」
「だとしてもです! 今夜はお祝いといたしましょう!」
アレスの止める声も耳に届かないはしゃぎようで、ニャンクスⅡ世はメイド達と共に忙しなく玉座の間を飛び出して行ってしまった。
「全く……。はしゃぎすぎだな、ニャンクスめ」
玉座に座ったアレスが呆れたように笑う。
どこか疲れた様子を見せるアレスにシャルロットはそっと寄り添い、ひじ掛けに置かれたアレスの手に手を重ねた。
「……アレス様、お疲れでいらっしゃいますか?」
「ん? ああ、いや違うんだ。すまない。……少し、現実味が湧かなくてね」
困ったように笑いながらアレスが顔を上げる。
今日まで見たことのないアレスの表情にシャルロットは眉根を寄せた。
アレスは玉座から立ち上がり、シャルロットの手を握り直す。
その手を引いて、玉座の裏側の窓枠に歩み寄った。
ガラスのない窓は解放感に満ちていて、すぐ近くに外の世界を感じられる。
眼下に広がるトルキアの大地を見つめながら、アレスは静かに口を開いた。
「このトルキアは広くはない。けれど今日まで一つに纏まることなんてなかったんだ。みんなクセが強すぎてね」
苦笑するアレスに合わせてシャルロットも笑う。
クセの強さは間違いないと頷いて肯定した。
「その癖の強さゆえに、永遠に一つに纏まることなんてないと思っていた。けれど俺の同盟を求める声の元、みんなが力を貸してくれると言う。……みんなで、あちら側に攻め込むことになるんだ」
「そのことに、重責を感じておられるのですね」
「感じていないと言えば、噓になるかな」
困ったように笑うアレスの手に力が籠る。
それでも手を痛めぬようにという気遣いが感じられる力の入れ方で、シャルロットは思わずその手を握り返していた。
(ここでアレス様に挫かれてはならない。それだけのことです)
まるで自分に言い聞かせるようにしてシャルロットはアレスを見つめる。
アレスもまたシャルロットを見つめ、互いの深紅の視線を重ねた。
(アレス様の瞳と
片や、澄んだ美しい宝石で。
片や、流れる血のようで。
同じ色でありながら、その輝き方はまるで違うのだとシャルロットは心の中で自嘲した。
「シャルロット」
真剣味を帯びたアレスの声色で呼ばれ、シャルロットは黙って耳を傾ける。
深紅の瞳が間近に迫り、シャルロットは瞳を閉じた。
ぐっとシャルロットの体が抱きしめられる。
それこそ痛い程の抱擁で、口付けよりも明らかに伝わる激情にシャルロットは少しばかり戸惑う。
「俺は君の呪いを解くために、皇帝を倒す! 君が何者であれ、君が何であれ、俺は君のために戦うことを誓う――!」
「アレス様……」
耳元で叫ばれる誓いにシャルロットは目を細め、ゆっくりと噛み締める。
(お分かりなのですね、アレス様。タイフォーン様を誰が討取ったのか。私が何かを考えているということが。それでも貴方は私のために戦うと仰るのですね)
この男は自分が思うよりも聡く、そして愚かなのだとシャルロットはアレスを評する。その愚かさに敬意を抱きながら、シャルロットは身を捩って顔を上げ、自らの唇をアレスの唇に重ねた。
唐突な口付けにアレスは息を飲む。
熱を共有する柔らかな唇は、永遠にも思える一瞬を共有して離れていった。
呆けた顔をするアレスを見上げて、シャルロットは真剣な顔つきで囁く。
「貴方を信じています」
言って、滑稽なことだとシャルロットは思う。
信じているなどとと、誰よりも口にすべき言葉ではないと理解しているのだ。
けれどもシャルロットは確信を得ていた。
アレスという男は真実、シャルロットという愚かな女を愛しているのだということを。
「アレス様であれば、必ず皇帝陛下を打ち倒せます。どうか私に与えてください。全てを」
「ああ、もちろんだ。必ず。必ず君に捧げてみせる!」
広大なトルキアの大地を眼下にして、二人再び唇を重ねる。
今度は長く、そして静かな口付けが交わされた。
(愚かで愛おしいアレス様。貴方の勝利の為ならば、私は全てを捧げましょう)
遠くから足音が聞こえてくる。
アレスによってもたらされる滅びの足音が、すぐ、そこに。
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