第7話 一目見た瞬間から
食事まで時間があるからと客室に通されたシャルロットは、異界に来てからようやく一人の時間を得た。
客室は暫く使われていないというが、塵一つなくベッドのシーツも新品同然に整えられている。狭くも無ければ広すぎもしない客室には、一対のテーブルと椅子、壁際に天蓋付きのベッドが置かれていた。
備え付けられた大きな窓はカーテンが閉められているものの、天井に付いた小型のシャンデリアが室内を淡く照らし、十分な明るさをもたらしていた。
窓辺に寄ったシャルロットはカーテンを捲り上げ、外を見る。
分厚い窓ガラスの向こうにトルキアの大地が広がり、シャルロットは曇った空を見上げた。
(この大陸そのものはアレス様の仰るように、さして広くはないのでしょう。ですが、この大陸に生きるモノ達は現世の物差しでは測りきれません。……慎重に参りましょう。幸い、アレス様は
まだ異界について知らないことが多い状況で、シャルロットは楽しそうだという言葉を飲み込んだ。
(それにしても随分と埃っぽさがあります。後でニャンクス様に湯浴みを申し出てみましょう)
シャルロットは魔導コアを埋めただけの、身一つで異界へ来たのだ。
身の回りのことも考えて行かなければならないと、一つ一つを頭の中で書き出していく。
やらなければならないことの多さは、シャルロットにとっては苦にもならない。
その全てが未来に待つ大きな滅びに繋がるのだと思えば、楽しくてならなかったのだ。
それから暫くして尋ねて来たメイドにより、シャルロットの懸念の一つ、埃っぽさはすぐに解消された。
メイドはニャンクスの命令を受け、シャルロットを浴場まで連れだした。
一国の女王でありながら、シャルロットは一人での入浴に慣れていた。
常日頃から、裸体と言う一番の無防備の状態時に、他者を寄せつけないようにしていたのだ。
それ故、シャルロットは異界の浴場であっても困ることなく湯を浴び、身を清める。
異界にあっても湯はあたたかい。
その事実がシャルロットにひと時の安息を与えていた。
湯浴みを終えたシャルロットを待っていたのは、複数人のメイド達による身支度の時間だった。
慣れた手つきでシャルロットの体を拭き、その身に下着とドレスを纏わせる。
その間に髪は乾かされ、解されていく。
一つにまとめていた髪はさらりと真っすぐに伸びて、肩を超えて揺れた。
メイドにより纏わされたドレスは鮮やかな赤色を基調としたもので、シャルロットにとっては見覚えがないドレスだった。光沢のある布地が美しいシルエットを描き、細部に施された金糸で縫われた刺繍が目を引いた。
異界の衣服とはいえ、これが上質なものであることは一目見て分かった。
着心地の良さが、当主として普段身に着けていた衣服と大差ないからだ。
ドレスの出所についてメイドは何も言わない。
だからシャルロットも何も聞かないでいる沈黙の間に、身支度はあっという間に終わりを迎えた。
身支度を終えたシャルロットにメイドの一人が頭を深々と下げ、「こちらへ」と告げる。
歩き出したメイドの後ろをシャルロットが静かについて行く。
メイドは広い城内を迷うことなく進み続け、ある一室の前で足を止めた。
重たげな両開きの扉を開くと、メイドはシャルロットに頭を下げて先を促す。
メイドを一瞥して、シャルロットは室内に足を進めた。
真っ先に目に飛び込んだ長机と、その上に並べられた料理の数々を目にして、ここが食卓であることをシャルロットは理解する。
大皿に盛りつけられた肉料理の数々は、先ほど討伐したウルフのものなのだろう。こんがりと焼き上げられたスティック状の肉や、薄く切り分けられた肉。一口サイズにカットされたステーキも並び、肉の満漢全席である。
偏ったメニューに、シャルロットは既に胃のもたれを感じ始めていた。
しかしシャルロットは不満を一切顔に出さない。
何故ならば、机の向こう側から足早に寄ってくるアレスの姿が見えたからだ。
「シャルロット! ドレスを着てくれたんだね! とても似合っているよ!」
シャルロットはドレスの両端を摘まみ上げ、丁寧に一礼してからアレスに向き合った。
「恐れ入ります。私などには勿体ない衣装です」
「いいや! 君に着て貰いたかったんだ」
急に真面目な顔をして、アレスはシャルロットを真正面から見つめた。
視線を逸らさず真っすぐに見つめ返してくるシャルロットの手を取って、アレスは何かを覚悟するかのように深く息を吸い込んだ。
「そのドレスは、母上が残して下さったものなんだ。伴侶として迎え入れたい相手が出来たら贈りなさい、とね」
「そのような大切なお品物を、私が身に着けるわけには参りません」
「君だからなんだ!」
シャルロットの手を握るアレスの手に力が籠る。
痛いほどに握り締められても、シャルロットは顔色一つ変えずにいた。
その冷静さを無垢と取ったアレスは、顔を朱に染めながら思いを告げた。
「どうか俺の伴侶になってくれないか。君を一目見た瞬間から、君を愛してしまったんだ!」
緊張からなのだろうか。
アレスの手がぶるぶると小刻みに震えているのがシャルロットには伝わった。
強者でありながらこんなことで震えるとはおかしなものだとアレスを評しながら、シャルロットは頬を染め、口元に柔らかな笑みを浮かべる。
その裏側に、これで帝国へ攻め入る口実を得られるという真の喜びを隠して。
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