・サ変動詞より「を」を込めて
「試食する」は「試食をする」という意味である。
当然「試食する」は「試食をする」に置き換えられる。
「感動する」は「感動をする」という意味である。
だが、「感動をする」という言葉に覚えるこの違和感はなんだろうか。
「はじめて食べる味に感動する」を「はじめて食べる味に感動をする」と言ったとき、やはり「を」で強烈な違和感を覚える。
「勉強する」は「勉強をする」でも自然である。
「爆笑する」は「爆笑をする」だと不自然に感じる。
「決定する」は「決定をする」でも自然である。
「破綻する」は「破綻をする」だと不自然に感じる。
「結婚する」は「結婚をする」でも自然である。
「絶縁する」は「絶縁をする」だと不自然に感じる。
先に言っておくと、まずこの違和感が日本人万人に共通するものなのかは全くわからない。
ただ何となく自分が「を」に不自然さを感じてしまう語を並べているにすぎない。
そしてこの疑問に今回答えは出ない。
なぜならいまいま記述したように、この違和感そのものがまず共感されるものなのか、その確証がないままにこれを書いているからである。
「充電する」は「充電をする」でも自然である。
「反省する」は「反省をする」でも自然である。
「連携する」は「連携をする」でも自然である。
「膨張する」は「膨張をする」だと不自然に感じる。
「判明する」は「判明をする」だと不自然に感じる。
「倍増する」は「倍増をする」だと不自然に感じる。
これは何なのだろうか。頭がおかしくなったのだろうか。
いや、どのサ変動詞も「を」を込めて言えるのだが、聞き慣れないからこんな気持ちになっているだけなのだろうか。
とにかくこの異物感が全員共通のものなのか、まずそれを知りたい。
確かに変だと思う方も、何言ってるのかわからねえよという方も大歓迎である。
またこの原因について思い当たる情報や何らかの推理をお持ちの方がいらっしゃったら、ぜひご教授願いたい。
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