第5話 五分五分
撮影三日目。
その温泉は、地獄温泉郷でも特に利用者の多い混浴だった。
泉質は平凡。効能も「疲労回復」「冷え性改善」と、ごく一般的。
だが立地が良く、種族を問わず入りやすい。
ルピナとヴェルナがそんな温泉の手前でバッタリと会ってしまったのは、果たして偶然か必然か。
「ここは、外せないわね」
ヴェルナはそう言って、即座に撮影の準備を始めた。
表情はいつも通り落ち着いている。昨日の共同浴場の件など、まるで無かったかのように。
だがルピナは、わずかな違和感を覚えていた。
(……なんか、いつものヴェルナならもう一言二言あるのに)
迷いがない。
それは自信の表れでもあり、焦りの裏返しでもある。
「今日はここを、正面から撮ります」
ヴェルナの指示で、浮遊カメラが湯船の高さまで降りる。
湯面の揺らぎ。肌に当たる湯気。
入浴している獣人や鬼族の、素直な表情。
「あぁー! 気持ちいい」
「仕事忘れるわ、これ」
客の声が自然と拾われる。
ヴェルナはそれを止めない。
むしろ、わずかに微笑んだ。
「こちらが、地獄温泉郷で大変人気の湯です。見てください、説明なんて不要ですよね」
湯の心地よさ。
身体が解ける感覚。
視覚と音だけで伝わる映像。
それを横目に、ルピナは別の位置に立っていた。
「失礼しますー。少しだけお話を聞かせてもらってよろしいですか?」
声をかけたのは、湯から上がったばかりの中年の獣人だった。
「ここ、毎日来てるんですか?」
「ああ。仕事帰りにな。種族ごとに湯を分けないから、気楽でいい」
「それって、珍しいことなんですよね?」
「そりゃそうさ。犬猿の仲の種族なんていくらでも居ることくらい、あんたも知ってるだろうが」
ルピナは頷く。
「でも、この地獄温泉郷は、争い自体禁じられていると聞きました」
「それだけなら、どこの温泉地だって謳っているさ。でも、見てみなよ」
獣人は周囲を指し示す。
それに合わせるように、ルピナもカメラを向けていく。
皆の顔に浮かぶ、ゆっくりとした表情。
見ているだけで、温かくなるような画が映る。
「なんだろうね。ここじゃ不思議と喧嘩する気にならねぇ」
湯船を背景に、その言葉が記録された。
ルピナは話を聞きながら、少しだけ自身の位置を動かす。
獣人の背後に日差しが来て、逆光の中で湯気が黄金色に輝いた。
それは、言葉の温かさを視覚的に補強するように映る。
派手さはない。
だが、被写体の「内面」が静かに浮かび上がる画だ。
ふと、舌打ちが聞こえた気がして、ルピナは顔を上げる。
視線の先には、ヴェルナがいた。
彼女は優雅な笑みを浮かべているが、その瞳は笑っていなかった。
§
「なるほど……」
少し離れた場所で、ローデンが二人の撮影を見比べている。
「どちらも素晴らしい! これぞ
ローデンは満足げに頷いた。
「ヴェルナ君は『憧れ』を創り出す。ここに来れば特別な体験ができると約束する映像だ」
そして、ルピナに視線を向ける。
「対してルピナ君は『共感』を掘り起こす。ここには歴史と伝統があり、それでいて日常の延長があると安心させる映像だ。客引きとしてのベクトルは正反対だが、効果は大差ないと言わざるを得ないね」
その言葉に、ルピナは肩の力を抜いた。
(勝てない。でも、負けてもいない感じかな……)
一方ヴェルナもまた、時折ルピナの方を見ては、よく似た表情を浮かべている。
「……やるわね」
小さく漏らした言葉は、誰にも聞かれなかった。
画面を美しく切り取るヴェルナ。
意味を正しく汲み取るルピナ。
二人の撮影の差が、昨日よりもはっきりと見えている。
ローデンが一人、満足げにその光景を眺めていた。
§
撮影が一段落し、二人の視線が交差する。
「今日は、いい勝負みたいね」
ヴェルナの声は、どこか柔らかい。
「そうですね」
ルピナも素直に返す。
二人の言葉には否定も、皮肉もない。
ローデンが腕を組み、ゆっくりと言った。
「これは……甲乙つけがたいね」
その言葉に、二人とも何も言わなかった。
ただ、それぞれ別の意味で噛みしめていた。
ルピナは、並んだと感じていた。
機材やスタッフ。大手で磨かれたヴェルナの技術に、何とか指先が届いたような高揚感。
しかし、ヴェルナにはそうは見えていなかった。
自分の努力が、会社で認められた実績が、あっさりと並ばれてしまったという危機感。
(……映像だけじゃ、足りない。もっと圧倒的な『熱』が必要よ)
ヴェルナは、無意識に自分の服の襟元に手をやった。
湯気の向こうで、楽しそうに笑う客たち。
その中心に飛び込む覚悟が、彼女の中で静かに、だが激しく燃え上がろうとしていた。
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