魔王利用の脅しと婚約の棚上げ
王都の広間で、祭り騒ぎと祝福の嵐に包まれながら、ゼノス(ヴァルザーク)は、この婚約を破棄するため、最後の手段として龍人マナカに望みを託した。
「マナカ……ここはもう、お前に頑張ってもらうしかない」
ゼノスは、人々に聞こえないよう、必死にマナカに耳打ちした。
「聖女に、俺が魔王ヴァルザーク本人だと、はっきり言ってやってくれ。それで流石に婚約は取り消しになるはずだ」
マナカは、少し驚いた表情をしたが、ゼノスを救う機会と、聖女をヴァルザークから取り戻すチャンスに、すぐに頷いた。
「よし、分かった。私が正体をバラしてやる!」
マナカが意を決して聖女に近づこうとした、その瞬間。聖女は、ゼノスに顔を向けて、満面の笑顔で言った。
「大丈夫です、ゼノス様!今は勇者なんですから」
聖女は、マナカが口を開く前に、さらに恐るべき言葉を続けた。
「それに、仮に魔族だったとしても……強制的に人間にする方法が、この王都にはあるじゃないですか」
その言葉に、ゼノスの心臓は凍り付いた。
(どういうことだ!?)
ゼノスは、聖女の真意を測りかねて、思わず聖女に問いかけた。
「なあ、聖女よ、それってどういう意味だ?」
聖女は、ゼノスの不安そうな様子を、純粋な好奇心だと誤解し、喜んで説明した。
「知らないんですか?王族は錬金術師の血を引いてるんですよ」
聖女は、目を輝かせながら、ゼノスに驚くべき事実を説明した。
「つまり、DNAという種族そのものを作り変える力を持っているんです」
「私が、貴方の魔族の力を打ち消して、貴方の身体に『人間だ』と錯覚させれば、もう貴方は立派な人間の完成なんですよ!」
聖女は、それは素晴らしい「愛の奇跡」であるかのように、無邪気に言い放った。
聖女の説明を聞いたゼノスは、全身の血の気が引くのを感じた。
(不味い!)
ゼノスは、心の中で戦慄した。この王都には、魔王の身体を根本から組み替える、古代の錬金術の秘術が存在していたのだ。
(魔族だとバレたら、人間の身体に変えられて、魔王にも戻れないということか!?)
もし人間にされてしまえば、ゼノスは魔族としての強大な力と、魔王軍への帰還の道を永遠に失うことになる。
ゼノスは、マナカが言葉を発する前に、激しい視線で彼女を制止した。マナカは、ゼノスの顔色が一瞬で青ざめたのを見て、事態の重大さを悟り、口を閉ざした。
ゼノスは、聖女の「愛」と、王族の「錬金術」という、二重の鎖によって、自身の素性を明かすことができなくなり、永遠の沈黙を強いられることになったのだった。
聖女の口から、王族が持つ「強制的な種族変換」の秘術を聞いたゼノス(ヴァルザーク)は、未来永劫、自身の素性を隠し通すしかないことを悟った。もし聖女に真実を告げれば、愛の力と錬金術によって、魔王という存在そのものが消滅させられてしまう。
(王都に残り、勇者として振る舞い続けるしかない。だが、魔王軍とのコンタクトを完全に絶つのは不可能だ。このままでは、いずれボロが出る)
ゼノスは、この八方塞がりの状況を打破し、自身の安全と魔族としての立場を確保するため、最大の賭けに出ることを決意した。
それは、この国の王様に、自らの素性を密かに明かすことだった。
その日の夜、ゼノスは聖女が寝静まったのを見計らい、王城の奥深くにある王様の私室へと向かった。
ゼノスは、念のために時間停止魔法の準備をしつつ、王様の部屋をノックした。
「失礼します、陛下。ゼノスです。極秘でお話ししたいことがございます」
王様は、ゼノスの真剣な様子に、付き人を下がらせ、部屋に二人きりになった。
「どうした、ゼノス。聖女との婚約で何か問題でもあったか?」
王様は、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「陛下。その婚約の件にも関わりますが、これは国の存亡に関わる重大な秘密でございます」
ゼノスは、周囲に情報漏洩を防ぐための魔力障壁を張り巡らせると、一呼吸置いた。
そして、ゼノスは、王様の目を真っ直ぐに見つめ、最も重要な真実を告げた。
「陛下……私は、貴方が今、勇者だと信じているこのゼノスという男は……」
ゼノスは、己の魔力をわずかに開放し、その波動を王様に感じさせた。
「先代魔王ジークバルトの後を継いだ、現魔王ヴァルザーク、その本人でございます」
王様は、最初、その言葉に驚きもせず、ただ目を細めた。しかし、ゼノスから放出された圧倒的な闇の魔力が、彼の冗談ではないことを証明した。
「なっ……馬鹿な!」
王様の顔から血の気が引いた。
ゼノスは、王様の動揺を待って、静かに続けた。
「ご安心ください、陛下。私は、今すぐ貴方の国を滅ぼすつもりはございません。むしろ、私の正体が露見しないよう、今後、勇者として貴方の国に仕えることをお約束します」
「ですが、そのためには、私自身が自由に動けるよう、貴方からの密かな援助が必要になります。そして、王都にいる間、魔王軍との安全なコンタクト手段を確保していただきたい」
ゼノスは、王様が聖女の持つ「種族変換」の秘術を知っていることを確信していた。
「聖女の愛と、王家の錬金術。この二つが合わされば、私という存在が消滅しかねません。私はそれを望みません」
「陛下は、魔王を監視下に置きつつ、聖女を制御するという、前代未聞の利益を得ることができます」
ゼノスは、自らの命と引き換えに、この国の最大の秘密を共有し、新たな裏取引を開始したのだった。王様は、青ざめた顔で、目の前の勇者の姿をした魔王を見つめ返すしかなかった。
ゼノス(ヴァルザーク)の告白を聞いた王様は、玉座に座ったまま、両手で頭を抱え込んだ。
「……まさか……まさか、聖女が手を出した男が、本当に予測の段階で捨て置いた案の中に存在した魔王本人であったなんて、心にも思っていなかったぞ!」
王様の顔は青ざめていた。彼は、歴代の王族が代々引き継いできた、「勇者が魔族に転身した場合の対応策」や「魔王が人間社会に潜伏した場合の対処法」といった極秘文書を思い出していた。そのどれもが、「聖女と婚約している魔王」という前代未聞の事態を想定していなかった。
王様は、しばらくの沈黙の後、覚悟を決めたように顔を上げた。
「わかった。貴様の素性は、儂が秘密裏に隠蔽しよう。だが、婚姻はこのままでは国が傾く。勇者と聖女の婚姻は、取り消そう」
ゼノスは安堵したが、王様の次に続く言葉で、すぐにその安堵は消し飛んだ。
「だが、今後の貴様の活動として、貴様は聖女の管理下に置くことにする」
「……な、何ですと?」
ゼノスが聞き返すと、王様は渋い表情で言った。
「これは、エルフの長老からの伝言である」
「長老は、あの龍人マナカから貴様の素性を聞き出し、『聖女の側にいれば、魔王も悪さができない。それが、世の平穏のためだ』と、儂に伝言してきたのだ」
王様は、玉座から立ち上がり、ゼノスに詰め寄った。
「そして儂も実は、貴様を疑ってはいたが、情報としては知っていたのだ。魔王であるということを。我が王家の錬金術の知識と、古代の記録から、貴様の魔力はヴァルザークに酷似していると……」
「だが、まさかのまさかで、聖女とこんな関係であるなんて、思いもしなかったがな!」
王様は、裏取引で国を助けた魔王に対し、感謝ではなく、恨めしい目でゼノスを見てきた。
「勇者として国に留まれ。そして、聖女の監視を受け入れろ。貴様を人間に改造されない唯一の方法だと思え。これがお前の新しい使命だ」
ゼノスは、婚約は取り消されたものの、聖女という名の最強の監視者に未来永劫管理されるという、魔王にとって最も屈辱的な状況に追い込まれたのだった。
翌日、王様は広間にゼノス(ヴァルザーク)と聖女を呼び出し、厳粛な面持ちで決定事項を伝えた。王様は、夜の間にゼノスと交わした密約と、長老からの伝言に基づいた苦渋の決断だった。
「聖女よ、ゼノス。二人の功績には感謝するが、国の治安と、今後の勇者団の構成を鑑み、勇者と聖女の婚姻は、一旦取り消しとする」
王様は、聖女の爆発を恐れて、言葉を選びながら続けた。
「だが、ゼノスは今後も勇者として活動を続け、聖女、貴様の指導と管理の下に置くものとする。これは、エルフの長老の意向でもある」
王様の言葉を聞いた聖女は、一瞬静止した。その表情は、愛する勇者を「管理下に置く」という言葉に喜びを見せつつも、「婚姻の取り消し」という部分に激しく反発していた。
そして、聖女は、その強すぎる光の魔力を持つ存在にふさわしい、恐ろしいほどの威圧感を周囲に放ちながら、王様に口答えをした。
「…………は?」
聖女は、王様に対して、決して許されないはずの、非常に失礼な一言を放った。
「陛下。何を言っているんですか?」
聖女の目は、全く笑っておらず、その声は凍るように冷たかった。広間の空気が張り詰め、居合わせた騎士や貴族たちは、顔を青ざめさせた。
「婚姻の取り消し?誰がそんなことを決めたんですか? 私とゼノス様は、愛し合っています。私たちは、もう心も体も一つになったんですよ!」
聖女は、恥ずかしげもなく、夜の出来事を公言した。
「エルフの長老は、私たちを祝福してくれたはずです。そして、陛下に逆らう者は、愛を否定する者は、どうなるか、私から説明が必要ですか?」
聖女の言葉には、「愛を否定する者は全て消し炭にしてあげる」という、ゼノスへの脅迫と同じ殺意が込められていた。王様は、玉座に座ったまま、冷や汗を流すしかなかった。ゼノスは、隣で頭を抱え、「ほら見たことか!」と心の中で叫ぶしかなかった。
聖女の凄まじい威圧感に、広間の誰もが息を潜めた。しかし、王様はゼノスから得た魔王の情報と、聖女のゼノスへの執着という弱点に基づき、勇気を出して反論した。
「静まれ、聖女!婚姻を取り消すのは、貴様自身のためでもあるのだ!」
王様は、真剣な眼差しで聖女を見据えた。
「例えば、もしも魔王ヴァルザークが、貴様の勇者ゼノスを利用して、貴様を拉致し、盾にすることで、勇者ゼノスを使い物にさせない外道のやり方をしたら、どうするのだ!」
王様は、聖女の最大の弱点——「ゼノスへの愛」が、そのまま「聖女自身の弱点」になることを突きつけた。
聖女は、ゼノスへの愛を逆手に取られたことで、偶の音も出ないほどに言葉を詰まらせた。
しかし、聖女はすぐに強い光を放ち、言い返した。
「その場合、私が魔王を滅ぼせば良いのです!これでも、光の術式は手慣れています。そこらの魔王なんて、一撃ですよ!」
(ほんと、その気になったら俺、消されてたよ……)
ゼノス(ヴァルザーク)は、聖女の恐るべき殺意と自信に、泣きそうな思いで心の中で呟いた。自分の命が、常に聖女の気分一つで左右されていることを痛感した。
ゼノスは、聖女の方を振り向き、強い口調で言った。
「聞いただろ、悪いが、魔王を討伐した後じゃないと、心配で夜も眠れないんだ」
ゼノスは、聖女への愛ゆえに、世界平和を優先するという、奇妙な論理を打ち立てた。
聖女は、頬を膨らませて不機嫌になりながら、王様に向き直った。
「では、王様。魔王を討伐したら、婚姻を許してくれますか?」
王様は、ゼノスへの執着が魔王討伐という国家の最重要課題に転換されたことに、安堵と同時に疲労を感じた。
「ううむ……」王様は苦しい顔をしながら、仕方なく肩を下ろした。
「それが可能になれば、許諾してやろう」
(いや、頑張ってよ王様!? そこでちゃんと断ってくれ!)
ゼノスは、王様のあっさりとした譲歩に、心の中で絶叫した。婚約は一時棚上げになったものの、その条件が「魔王ヴァルザーク討伐」になってしまった。
(え!?マジで!? 俺、俺自身を討伐しないと、この女と結婚しなきゃいけないの!?)
ゼノスは、最悪のシナリオが確定したことを悟り、焦燥感に苛まれるのだった。
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