オタク戦士の理不尽と聖水の慈悲
ゼノス(ヴァルザーク)と聖女は、最初のミッションの目的地へ向かう途中、他の五人の勇者たちと合流した。その中の一人、戦士系の勇者レオが、ゼノスの姿を見るなり不機嫌そうに顔を歪めた。
レオは、異世界の知識、特にゲームや漫画の知識に長けている、いわゆる「オタク戦士」だった。
「おい、ゼノス!お前だけRPGプレイしてるなんておかしいだろ!なんでお前だけ呪いのバッドステータス受けてんだよ!不公平だろ!」
レオは、ゼノスが「魔王の呪い」という、他の勇者にはない特別な状態にあることに、ゲーム的な視点から理不尽な不満を爆発させた。
「俺たちが地道にレベル上げしてるっていうのに、お前だけ特別なイベントフラグ立ててんじゃねーよ!」
レオの理不尽な言い分に、聖女がすぐに割って入った。
「レオ様!そのような言い方はやめてください!ゼノス様は今も強大な呪いに苦しんで居られるのです。命の危険を冒しながら戦うゼノス様に、そんな変な言い方をして、これ以上苦しませないで下さい!」
聖女はゼノスを擁護するが、ゼノス本人は既に諦めモードだった。
(もう、どうでも良いや。勝手に言い争っていろ。どうせ、私の正体など誰も見抜けないのだから)
ゼノスは、心身の疲労と聖女の同行への苛立ちから、二人の言い争いを完全に無視し、ぼんやりと遠くの山々を眺めていた。
ゼノスの無視が、レオにとっては最大の侮辱となった。
「ふざけんな!このパッと出のルーキーが!俺たち召喚組を無視するとはいい度胸だ!そもそも、お前元々居ないはずの勇者として出てきたって話だろうが!パッと出のお前なんかに俺が負けてたまるか!」
レオは激高し、手にした剣を収めると、突然、初級魔法の炎の玉(ファイアボール)をゼノスめがけて放った。
「危ない!」
反射的に、聖女がゼノスの前に飛び出してきた。
(流石にマズい!)
ゼノスは焦った。聖女に炎の魔法が当たれば、彼女の命に関わる。同時に、勇者同士の諍いなどという些細なことで王都に呼び戻され、追求された上で魔王だとバレるのも困る。
ゼノスは瞬時に、聖女に傷一つつけず、自分の正体も悟られない方法を選んだ。
彼は、魔法が聖女に到達する寸前、右手の甲の「落書き紋章」に一瞬だけ魔力を集中させた。そして、魔王の技の一つである、対象の魔力を受け流し、勢いをそのまま返す魔法カウンターを放った。
カランッ!
炎の玉は、ゼノスに触れることなく、まるで鏡に跳ね返されたかのように、一瞬で放たれたレオの方向へ戻っていった。
レオは、自身の魔法に防御もできず直撃を受け、大げさに地面に倒れ込んだ。怪我は軽微だったが、プライドは完全に打ち砕かれた。
「ぐっ…な、なんだ…あの速さ…」
聖女は、無事だったことに安堵し、すぐに倒れたレオのもとへ駆け寄った。
「レオ様!大丈夫ですか!ああ、あなたこそ、呪いを受けたゼノス様にあのような強力な魔法をぶつけるなんて…!」
ゼノスは、自己修復能力が高いため、本来なら何の治療も必要ないが、ここで偽りの勇者としての優しさを見せなければならない。
彼は、倒れたレオの側へ行き、演技がかったため息をついた。
「…貴様も、まだ修行が足りん。無益な争いは避けるべきだ」
そして、腰にぶら下げていた使い所のない、王都で支給されたばかりの聖水を取り出した。これは、ゼノス自身には毒でしかない代物だ。
「この傷は、私が不覚を取ったからだ。これを使うがいい」
ゼノスは、わざとらしくレオにだけ聖水をかけてあげた。聖水で火傷でもすれば面白かったが、軽微な傷には聖水は効果を発揮する。
レオは、魔法で吹き飛ばされたショックと、自分の魔法で自滅した恥ずかしさ、そして「呪いを受けているはずのゼノス」からの慈悲に、何も言い返せなかった。
聖女は、そんなゼノスの行動を見て、瞳を輝かせた。
「ああ、ゼノス様!なんてお優しい!さすがは勇者様です!自分の身を顧みず、相手を思いやるその心…!」
(気まずいだけだ! 偽物だとバレるのが嫌なだけで、お前が私を庇ったから、仕方なく助けただけだ!ていうか、聖水は私にかけろと言われても困るから、お前に使っただけだ!)
魔王ゼノスは、理不尽な自己衝突と、聖女の過剰な誤解による賞賛に苛まれながら、聖水という名の「毒」を前に、複雑な気持ちで立ち尽くすのだった。
ゼノス(ヴァルザーク)と聖女、そして他の勇者たちは、最初の任務地である近隣の街「ヤサイ」に到着した。魔王にとってはどうでもいい名前の街だ。
他の勇者たちがはしゃぎながら街のギルドに顔を出しに行く中、ゼノスは聖女と共に、宿探しを始めた。
「ゼノス様、宿を探す前に、まずはギルドへ行きましょう。こういう街では、冒険者ギルドが提供する専用の寮が、安全で最も安価なはずですよ」
聖女が提案したが、ゼノスは即座に拒否の意思を示した。
「…いや、遠慮する」
「え?何か問題でも?」
「ああ、問題だ。あのレオという名の、喧嘩っ早い男がいるだろう。あんな輩と毎晩顔を合わせるのは、精神衛生上よろしくない。私は、どこか借りられる一軒家を探そう。金ならある」
(あの勇者と相部屋になったり、鉢合わせしたりして、また変な言いがかりをつけられるのは御免だ。私が魔族だとバレるリスクも高まる。とにかく、安全な距離を保ちたい)
ゼノスは、純粋にレオの理不尽な言動を避けたいという理由から、ギルド寮への滞在を断った。
ゼノスの言葉を聞いた聖女は、はっとした表情を浮かべた後、頬をわずかに赤らめた。
「ゼノス様…。もしかして、私が女だからって、気を遣ってくださっているんですか?」
「…は?」
聖女は続けた。
「ギルドの寮は、基本的に男女共同の大部屋か、狭い二人部屋です。私と一部屋になるのは、さぞ不快でいらっしゃるでしょう。そのお気持ちは有り難いのですが…」
(んな訳ねーだろ! 気を遣っているのは、レオという名の喧嘩っ早い人間から、魔王たる私が発端でいらんトラブルが起きるのを避けるためだ!女とか、相部屋とか、全く考えてなかったわ!)
ゼノスは、心の中で激情の愚痴を溢したが、それを口に出すわけにはいかない。ここで「レオが嫌いだからだ」と正直に言えば、勇者同士の不和として、さらに王都に報告が上がってしまう。
「…はいはい。そうですよ」
ゼノスは、疲労から適当に「配慮している」という聖女の誤解に乗っかることにした。
「…まぁ、そういうことだ。貴様が不快な思いをするのは本意ではない。だから、別の宿を…」
しかし、聖女の次の言葉は、ゼノスの予想を再び裏切った。
「まぁ!ありがとうございます、ゼノス様。ですが、ご心配なく!」
聖女は微笑んだ。
「王都を出る前に、王様から厳命を受けているんです。ゼノス様の呪いの対策は、私の最も重要な使命だと。ですから、私こそ、ゼノス様から離れるわけにはいきません。どこか一軒家を借りるなら、私も当然、同居させていただきます」
(な…にぃぃ!?結局、一緒かよ! どこに逃げても、この聖女は私から離れるつもりがないのか!)
ゼノスは絶望的な気持ちになったが、これ以上、同居を拒否すれば「聖女の呪い対策を拒否した=魔王の呪いを受け入れた」と王に報告が行くだろう。
「…そうか。分かった。ならば、そうしろ」
ゼノスは諦めと苦々しさを滲ませながら、渋々承諾した。
こうして魔王ヴァルザークは、レオという名のオタク戦士から逃げるために選んだ一軒家で、自らの命を狙う存在である聖女と、二人きりの同居生活を送ることになったのだった。
街ヤサイの一軒家。夜半過ぎ。
ゼノス(ヴァルザーク)は、寝静まった聖女の部屋の気配を確認した後、微細な魔力を全身に巡らせ、音もなく窓から外へ滑り出した。
(全く、聖女の監視が厳重で困る。少しでも魔力が揺らげば、すぐに『呪いが暴れている』と駆け寄ってくる。この家の中では、深呼吸すら命懸けだ)
聖女は、寝る前に「呪い除け」と称して、ゼノスの部屋のドアノブに聖水を塗っていくという徹底ぶりだった。そのせいでゼノスの部屋は、魔族にとって耐え難い清浄な空気に満ちていた。
ゼノスは、人間に偽装したまま、街外れの廃墟へと向かった。そこは、魔王軍の幹部の一人、情報収集と隠密工作を専門とする魔将軍ザガートの潜伏拠点だ。
廃墟の地下室で、ゼノスは偽装を解き、本来の魔王ヴァルザークの姿に戻った。玉座に座っていた時のような威厳は鳴りを潜め、疲労困憊した様子で、目の前の魔将軍ザガートに事態を報告した。
ザガートは、主である魔王の憔悴しきった姿を見て、顔面蒼白になった。
「ま、魔王様!ご無事でしたか!最近の王都での動きは承知しておりますが、まさか、本当に勇者の仲間になっているとは…」
「ふん。勇者どころではない。私は今、六人目の勇者として、討伐対象の人間どもに祭り上げられている」
ゼノスは、この数日の出来事をかいつまんで説明した。五人勇者の誤算、紋章(落書き)の誤解、模擬戦での衝撃波、そして、聖女による「魔王の呪い」認定、そして聖女との同居という、最悪の状況。
「…そして今、私の命を狙う存在である聖女が、常に付きっきりで私の呪い対策をしている。私の魔力防御が破綻すれば、即座に魔王の正体が露見し、全人類の敵としてその場で討ち取られるだろう」
報告を聞き終えたザガートは、静かに頭を抱え、やがて顔を上げて悲痛な叫びを上げた。
「……何をやってるんですか!魔王様!」
魔王に、これほど強く非難の言葉をぶつけるなど、本来なら死罪に値する。しかし、ザガートの言葉は、悲しみと、主に対する絶望的な心配に満ちていた。
「魔王様!我々は、魔王様の帰還を信じ、人間界の侵攻準備を進めております!それなのに、当の魔王様ご自身が、よりにもよって勇者の!、しかも聖女の!、専属の護衛と化してしまっているではありませんか!」
ザガートは膝をつき、絞り出すように訴えた。
「魔王様、すぐにお戻りください!この潜入作戦は、あまりにもリスクが高すぎます!紋章が落書きだの、模擬戦で勇者を吹っ飛ばしただの、魔王の呪いだの…!その一つ一つが、人間どもにとって魔王討伐の成功体験として積み重ねられております!」
「……わかっている」
ゼノスは、疲れたように答えた。
「だが、今、この作戦を放棄すれば、勇者どもは勢いづき、我々の作戦は確実に遅れる。それに、私はもう、六人目の勇者として王の期待を背負ってしまっている。…どうにかして、内側から彼らを崩壊させる。その機会を探らねば」
ゼノスは、そう言いながらも、その瞳には依然として深い疲労の色が宿っていた。魔王は、自らの幹部の悲痛な叫びを聞きながら、人間界という名の地獄から、まだ抜け出せないことを悟るのだった。
ゼノス(ヴァルザーク)が幹部との密談を終え、音もなく自室に戻った数分後。
隣の部屋で寝ていたはずの聖女は、なかなか寝付けずにいた。彼女は、静かにランプを灯し、自分の手のひらを見つめていた。
(なぜ、私の力は、ゼノス様のお力になれないのだろう…)
ゼノスは、聖女の予想以上に、頑なだった。聖水を拒み、呪い対策の「聖なるおまじない」を頑として受け付けない。常に全身から、近寄りがたいほどの威圧感(魔王の防御魔力)を放っている。
その夜のレオとのいざこざの際も、聖女が庇おうとしたのに、ゼノスはまるで自分が邪魔であるかのように、一瞬で問題を解決してしまった。
「ゼノス様は、私を頼ってくださらない。私があんなに一生懸命、呪いを解こうとしているのに、まるで私の存在が迷惑であるかのように…」
聖女の使命は、勇者の力を最大限に引き出し、魔王の脅威から守ることだ。しかし、目の前のゼノスは、あまりにも強大で、あまりにも異質だった。
(このままゼノス様と一緒にいても、私は何の役にも立てないのではないか。私の存在意義は、いったいどこにあるのだろう…)
聖女は、自己の無力感と、王命を果たすことへの不安から、押しつぶされそうになっていた。
翌朝、他の勇者たちが最初のミッションに出発した後、聖女は一人、街ヤサイの冒険者ギルドへと向かった。ギルドの受付には、快活で面倒見の良さそうな女性が座っていた。
「あら、聖女様!勇者様たちはお出かけですか?何かご用事ですか?」
聖女は戸惑いながらも、勇者ゼノスとの問題を打ち明けた。
「あの…実は、六人目の勇者様のことなのですが…」
聖女は、ゼノスが呪いを受けていること、そして、その呪いが強大すぎて自分の聖なる力が通じないこと、そして、ゼノスが自分を全く頼ってくれないため、自分が勇者の足手まといになっているのではないかという不安を正直に語った。
受付嬢は、聖女の話をじっくりと聞き、優しく微笑んだ。
「聖女様…。ゼノス様のこと、私たちも少し驚いています。だって、あんなに強いのに、あんなに顔が苦しそうな勇者様、初めてですもの」
「やはり…苦しんでいらっしゃるのですね…」
「ええ。でもね、聖女様。私たちが思うに、ゼノス様は『弱さ』を見せるのが苦手な方なんじゃないでしょうか」
受付嬢は、温かい飲み物を差し出しながら続けた。
「あの、規格外の力を持った方が、いきなり呪いを受けてしまった。それは、きっと、誰にも弱みを見せたくないほどの屈辱なのかもしれません。それに、あのゼノス様の傍に、聖女様という清らかで強い力を持った方がいるだけで、十分、呪いへの抑止力になっているはずです」
「…抑止力…」
「はい。ゼノス様は、貴方に頼れないのではなく、貴方の純粋な心と力に、甘えることを許せないだけなのかもしれませんよ。どうぞ、ご自分を疑わないで。貴方は、ゼノス様にとって、なくてはならない存在です」
受付嬢の言葉は、聖女の心に深く染み渡った。
(そうか、私は…ゼノス様の強さの邪魔になっているのではなく、彼の呪いへの壁になればいいんだ…!)
聖女の瞳に、再び強い光が宿った。彼女は、ゼノスへのアプローチを変えることを決意し、感謝の意を伝えてギルドを後にした。
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