第18話 淫魔と呼ばれた女
俺とオーク・ボスとの決闘は、しばらく刑務所内の話題になっていた。
そして俺は一躍有名人となってしまった。
今まで話した事がないヤツまで、俺に話しかけて来る。
特に多いのは食堂だ。
色んなヤツのテーブルに呼ばれるため、断るのが一苦労だ。
それに俺はあんまりお喋りな方じゃない。
特に親しくないヤツとの会話は苦痛だ。
だから俺はいつもアイとティガと一緒にいる。
たまにそこにタンが混じるくらいだ。
それでも俺と関わりを持ちたいヤツが「一つ奢らせてくれ」「これ食ってくれよ」と、食べ物や飲み物を手土産にやって来る。
お陰で俺たちは自分の金や食券を使わないで済んでいるが、何だか申し訳ない気分だ。
「ま、いいじゃねぇか。みんなオマエをヒーローだと認めているんだよ。他人に認められる事は悪い事じゃない。それは一つの力だからな」
朝食の後、俺の監房に来たタンが愉快そうにそうアドバイスする。
アイとティガは二人で図書室に行って不在だ。
「でも今の俺は食事に困る事はないからな。他人に奢って貰うのは心苦しいよ」
そう、俺とアイとタンは、あの決闘のギャンブルで大金を手にした。
俺が十二万デル、日本円にして一千二百万円もの金を手に入れたのだ。
タンとアイはそれぞれ十五万デル、約一千五百万円を儲けていた。
ちなみに一万デル以上の大金になると「チェックチケット」と呼ばれるキャッシュカードが発行される。
それで買い物や現金の引き出しが可能になるのだ。
「刑務所内でこんな大金を持っていたって、使い道がないのにな」
俺がそう漏らすとタンは「チッチッチ」と言って人差し指を左右に振った。
「そんな事はないぜ。ここでも金は有効だ。金があれば色んな物が買える、金がない奴を手下にも出来る、看守だって買収が聞く」
俺は驚いてタンを見た。
「看守を買収できるのか?」
「そりゃそうだ。看守たちも魔女とは言え、金は欲しいだろ」
「看守を買収って、どうやるんだ?」
脱走のための情報が集まるなら、是非とも手に入れたい。
「簡単だよ。看守が一人でいる時に、それとなく話しかけてみればいい。上の役職の連中は無理だが、下っ端のヤツラなら多少の融通は効かせてくれる」
「例えば誰なら買収に乗りそうだ?」
「そうだな」
タンは考えるような顔をした。
「茨の魔女・スピカなんかは買収に乗ってくれるな。なんと言ってもまだガキだ」
茨の魔女・スピカは見た目は愛くるしい幼女だ。
お菓子や可愛らしい物が大好きらしい。
だがその反面、残虐さでは他の看守を上回ると聞く。
「刃の魔女・レシアや土の魔女・ピグミーなんかも買収に乗りやすそうだ。反対に狙撃の魔女・スパイラルは止めといた方がいい。アイツは所長のサラマンデルに忠実だ」
「例えば買収で、この刑務所の見取り図なんて手に入るか?」
俺がそう言うとタンは目を剥いた。
「オマエ……何を考えているんだ?」
「いや、特別な事じゃないよ。俺はここに詳しくないからさ。刑務所の中にも詳しくなりたいかなって」
だがタンは俺を探るような目で見つめていた。
「あんまり大それた事は考えない方がいい。それに買収と言ったって、そんな大きな事はできないぞ。せいぜい看守が使っている備品を分けてもらうとか、運動場や風呂の使用時間を長くして貰うとか、その程度だ」
そして俺の耳に顔を寄せる。
「脱走なんて考えるなよ。ここの職員は全員が魔女だって事を忘れるな」
俺はタンの顔を見た。
珍しく真剣な目だ。
「わかったよ、タン。ただ俺も聞いてみただけだ」
その時、建物の中が妙に騒がしい事に気が付いた。
しかし、騒いでいると言うのとはちょっと違う。
さざ波のようにざわついた気配が広がっているのだ。
タンも気づいたらしい。
棟内の階段の方に目を向けた。
俺も同じように見ていると、階段からゆっくりと華やかな雰囲気が伝わって来る。
姿を現したのは、着物を着崩したような薄い赤紫色のドレスを着た、美しい女だった。
「スキン……」
タンがそう声を漏らす。
スキンと呼ばれたその女性は、背後に四人の女性を連れてゆっくりとコッチに近づいて来る。
服装といい雰囲気といい、囚人のものとは思えない。
まるで支配者のような余裕さえ感じられる。
彼女は一番奥の監房である、俺の部屋の前までやって来た。
「アナタが、イヤー?」
彼女は蕩けるような目で俺を見て、そう言葉を発した。
「……!」
それだけで俺の背中に何かが走る。
(なんだ、この感覚は? まるで背筋を指でなぞられたかのような……)
俺は改めて彼女を見た。
淫蕩そうな目と唇。
胸元は大きくはだけて、その豊満なバストがかなりの所まで見えている。
着物にも見えるドレスからは、やはり太腿が際どく顔を覗かせている。
妖艶と言うか、セックスアピールというか、ともかくフェロモンでも発しているんじゃないかと思うような色気がムンムンと全身から発せられているのだ。
「聞いているのよ……答えて」
彼女の発する言葉自体が、催眠術か何かのように感じられる。
「あ、ああ」
俺は辛うじてそう口にした。
その時の俺は、完全に彼女に呑まれていた。
そんな俺と彼女の間に、タンが割り込むように入った。
「何をしに来たんだ、スキン?」
彼女はタンに対しても余裕の笑みを見せる。
「あら、私が来ちゃいけなかったかしら?」
「オマエが女子棟から出て来るなんて、滅多に無い事だからな」
「たまには私も外に出てみたいわ。時間内なら女子でも男子棟に来る事は自由でしょ」
「規則上はな。だがオマエが出歩くと、その場にいた男全員が発情しちまうんで迷惑なんだよ」
タンの口調から明らかに彼女を嫌っている様子が伺える。
それをスキンも知っているのだろう。
「ずいぶんと毛嫌いされたものね。私はアナタに好意を持っているのに」
「よしてくれ。オマエの好意なんて毒蛇に言い寄られるのと一緒だ」
スキンは「ふふ」と含み笑いをすると、俺に視線を向けた。
「でも今日はソッチの坊やに会いに来たの。最近話題のその子にね」
「俺に? 何の用で?」
スキンはその白い手をスっと伸ばすと、俺の顎に微かに触れた。
再び全身を指先でなぞられるような感覚が走る。
「興味があったからよ。ここに来て一か月と経たずに、オーク・ボスを倒して名前を上げた勇敢な少年にね」
彼女が俺を見つめている。
その目に吸い込まれそうになる。
そして全身を優しく抱かれているような、不思議な感覚。
(なんだ……この感じは)
「おい、やめろ!」
タンがスキンの肩を掴んで俺から引き離すようにした。
彼女を睨みつける。
「こんな所に来てないで、オマエの巣である地下に戻れよ!」
今度は逆にスキンがタンを睨んだ。
するとタンが「ッツ!」と短い声を発して、弾かれるようにスキンから手を放した。顔を顰めて、その手を反対の手で揉みほぐしている。
「野暮な男ね。女が男を誘っているのに、それを邪魔するものではないわ」
スキンはそう言うと、再び俺の方を見た。
「一度、私の所にいらっしゃい。この世の物とは思えない天国を味わわせてあげるわ」
彼女は美しくも恐ろしささえ感じさせる微笑でそう言うと、フワリと風に吹かれたように身体を反転させる。
そして来た時と同じように、四人の女子を引き連れて戻って行った。
そんな彼女の後ろ姿を、俺とタンは黙って見送る。
タンはまだ痛そうに右手を揉んでいた。
「彼女がサキュバスなのか?」
俺が尋ねるとタンは「ああ、そうだ」と答えた。
俺は現世の知識を頭に思い浮かべて言った。
「サキュバスって、頭に角があってコウモリみたいな羽が生えているもんだと思っていたよ。見た目は普通の人間と変わらないんだな」
その時のタンの答えは、俺にとってあまりに意外なものだった。
「そりゃそうだ。スキンは人間だからな。サキュバスってのはここでの渾名だ」
俺は驚いてタンを見た。
タンは何でもないかのように言った。
「スキンは、俺たちと同じ異界人だ」
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