第7話 アイの憂鬱
俺とアイは自分達の監房に戻った。
俺は自分のベッドに腰を掛けると、アイは向かいの壁にもたれながら「はぁ」とタメ息を漏らした。
「どうしたんだ?」
俺が尋ねると、またもやアイは呆れたような目で見る。
「オマエってホンットに能天気なヤツだな」
「さっきの食堂での事を言っているのか?」
「そうだよ。オマエはさっき話していた相手が、誰だか分かっているのか?」
「タンって言っていたよな? それ以外は知らない」
「馬鹿野郎! タンはな、人間グループの幹部の一人なんだぞ。新入りのオマエが気軽に口を聞ける相手じゃねぇんだ。あの場で袋叩きになっていてもおかしくなかったんだ」
「そんな偉いヤツには見えなかったがな」
再びアイが「はぁ」とタメ息をつく。
「いいか、これから俺が言う事をよく聞けよ。それ次第でオマエのここでの暮らしが、まぁマシな地獄か、死ぬしかない地獄かが決まるんだからな」
「どっちも地獄じゃねーか」
俺は笑ったがアイは笑っていなかった。
「さっきも言ったように、ここで数が一番多いのはゴブリン・グループと人間グループ。だが一番力を持っているのはオーク・グループだ。それからトロール・グループも手ごわい。このグループたちとは関わらないようにするんだ」
「それでさっきの話が途中だったよな。グループに入る事はメリットもデメリットもあるって」
アイは頷く。
「メリットの方は分かると思うが、他のメンバーの支援を受けられる事だ。メンバー外の誰かに手を出されても、グループが守ってくれる。それだけじゃなく、生活必需品なんかが足りなくなっても融通してくれるからな」
「なるほど、そうやって助け合う仲間がいるのは確かに便利だな?」
「だからと言って安心するのは早い。デメリットはだな、上の奴には絶対服従って事だ。下手に反抗でもしてみろ。姿が見えないと思ったら、ゴミ収集場の中で冷たくなっていたとか、風呂場に浮いてたとかザラだ」
「そりゃずいぶん厳しいな」
「それだけじゃない。グループ同士で抗争となったら、否が応でも駆り出される」
「グループ同士で抗争? そんなのがあるのか?」
「ああ、最近は力の均衡が取れて少なくなったが、前は月イチくらいで起きてたよ。その度に死体の山だ」
「それを看守は止めないのか?」
「むしろ看守は楽しんでいるよ。今回はドッチが勝つか、何人死ぬかって賭けをしてな」
「ふ~ん」俺が鼻を鳴らすと、アイが険しい顔で言った。
「それから注意しておくけど、看守にチクったりは絶対にするなよ。たとえどんな事があろうとも」
「どうしてだ? トラブルが起きそうだったり大事件があったら、看守に知らせるのが一番いいんじゃないか?」
「馬鹿か! チクリ野郎はな、囚人全体の敵なんだよ。グループにいようが何だろうが、必ず殺される。だからどんな事あっても看守にチクる事だけはやるな。わかったな?」
アイが念を押すように言う。
「わかった」
俺の返事にアイは少しだけ安心したようだ。
「それから各グループのボスはもちろん、幹部とも揉めるな。今日のタンがアレで済んだのはラッキーだと思え」
それにも俺は同意の意味で頷く。
「それとグループ・ボス以外にも危険な奴らがいる。看守ですら簡単には手を出せない奴だ」
「どんなヤツだ?」
「まずはミノタウルス。頭に巨大な角があるヤツだ。前にミノタウルスの食事を邪魔した人間が、一撃で叩きつぶされた」
「すっげぇな」
「次がオーガ兄弟。この二人は鬼だ。兄が赤鬼、弟が青鬼」
「やっぱり怖い顔をしているのか?」
「弟の方はそうだ。いかにも鬼って顔をしてるよ。だが兄の方は違う。普段は陽気な優男だ」
「普段は、って事は怒ると違うんだな?」
「ああ、オーガ兄は怒ると巨大な赤鬼に変身する。こうなったら敵どころか目についたヤツを数人食わないと収まらない」
「おっかね~、それは近づけないな」
「最後が獣人タイガだ。こいつ一人でオーガ兄弟と互角にやり合ったって言われている。戦闘力ならナンバーワンだろう」
「その名前からして、頭は虎の獣人なのか?」
「ああ。ただタイガはいま特殊房に入れられている。食事を運んでいる囚人の話だと生きてはいるらしいが、アソコから戻って来た奴はいない。だからもう会う事はないと思うが」
「そうか……おっかないのが一人でも減ったのは助かるな」
そう軽口を叩きながらも、俺はさっき食堂で見た女性たちが気になった。
「ここって刑務所なのに女もいるんだな」
「そりゃ女だって犯罪者はいるだろ」
「そういう意味じゃない。男女が同じ刑務所なんてトラブルにならないのか?」
アイがじっと俺を見た。
「なんだよ?」
「オマエ、もしかしてどうしようもないほど女好きか? 女がいないと一日だって我慢ならないクチか?」
「止めてくれよ。そんなんじゃない。ただ俺の世界では男女一緒の刑務所なんて聞いた事がないからさ」
「それならいいが……」アイがタメ息のように言う。
「確かに女絡みのトラブルは多い。何しろここの囚人の男女比は9対1だからな。女を巡って殺し合いもそれなりに起きる。俺はトラブルはゴメンだ」
「でもトラブルは『それなり』程度で済んでいるのか?」
「そうだ。看守たちが女は一応保護しているからな。それに女たちの方もグループを作っている。簡単には手を出せない」
「なるほどな。そう言えばここの看守や職員って女しか見ないけど、男はいないのか?」
「よくチェックしてるな。やっぱりオマエ、女好きなんじゃないか?」
アイが再び不審そうな目になる。
「だから違うって。でも刑務所で会う職員や看守が全員女なんておかしいだろ? 誰でも気になる」
「別におかしい事なんてないさ」
アイは平然と言った。
「ここの職員は全員が強力な魔女なんだ。並の囚人なんか相手にならない。それに男の魔法使いは能力に胡坐をかいている奴が多くてな。こんな絶海の孤島じゃ我慢できないんだろ」
「絶海の孤島じゃ我慢できないのは、女だって同じじゃないか?」
「それはそのうち分かるさ」
そう言ってアイは横を向いた。
「それじゃあ、俺はそろそろ仕事に行く。オマエはあんまり出歩かない方がいいぞ」
「わかった。忠告ありがとう。アイって口では厳しい事を言うけど、けっこう親切だよな。感謝してる」
するとアイは嫌そうな目で俺を見た。
「別にオマエを心配している訳じゃねぇ。トラブルを持ち込んで欲しくないだけだ」
そう言い残すと監房を出ていった。
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