第12話
「オリビア、お前とはここで離縁する!」
「え……?」
声高らかに宣言されて戸惑うオリビア。一瞬何を言われたのか分からなかった。だが、周囲の訝しげな視線から、慌ててローガンに訴える。
「こんなところで何を! 自分が何を言ってるかわかってるの?」
「ああ、もちろんだ。むしろ、ここでなければならない」
「どういうこと?」
ローガンが後ろに視線を向ける。ゴードン男爵がニコリと笑って、離縁状を持ってきた。
戸惑うオリビアにローガンが促す。
「どうした、早く書け」
「なぜ急に?」
「急ではない。だが、それが嫌なら一つだけ方法がある」
「方法?」
繰り返された言葉にローガンは、スッと目を細めて低い声で言った。
「謝れ」
「え……」
「今、ここで謝るならば離縁は撤回してやる。どうだ? 王国主催の夜会だぞ? こんなところで捨てられれば、すぐ噂になるだろ?」
「……」
あまりの言い分に声を失う。それでもオリビアは絞り出すように聞いた。
「何を……謝れと?」
「俺を不愉快にしたことを、だ」
その返事に思い切り眉根を寄せるオリビア。それを見てニヤニヤと笑うローガン。彼はさらに続ける。
「ほら、どうした。こんなところで離縁など、恥ずかしくて出来ないはずだ。ならば頭を下げればいい。そうすれば許してやらないこともない」
理不尽な話に握った手の平が微かに震える。それを押さえ込むようにして、オリビアは隣の女性に視線を移した。
「……その前に、彼女のことはどう説明するつもりです?」
いまだに腰を抱いたまま離さない。そのローガンの隣で令嬢がフフッと笑う。オリビアの問いにローガンが答えた。
「彼女は見届け人だ」
「見届け人?」
「そんなことはどうでもいい。離縁するのか頭を下げるのか決めろ。まあ、今離縁など出来ないだろうがな」
ククッと笑うローガンに、男爵が書類を押し付けてくる。渋々その書類を見ると、簡単に確認しただけでも、内容は酷いものだった。ほぼ身ひとつで出ていけというもので、財産を分けることすら明記されていない。
こんなものにサインなど出来るわけがない。オリビアが顔を上げると、ちょうどローガンの後ろの人混みにいるウィリアムと目が合った。
彼は、オリビアの視線に気付いて、数歩下がると身を翻す。
姿が見えなくなって、思った以上に気を落とした自分に気づく。
あの花を……手紙を開かないと決めたのは自分なのに。
目の前ではローガンが嘲るように笑った。
「どうした、書けないだろう? もう生意気な態度は取らないと約束しろ。そうすれば見逃してやる」
「あら、お優しいのね。そういうところが素敵だわ」
鈴の鳴るような声で令嬢が言う。オリビアはくっと奥歯を噛み締めて、覚悟を決めた。
最後のプライドで握ったペン。ローガンが目を大きくする。何か言う前に素早くサインした。彼は騒ぎ立てる。
「お前! なぜ書く!」
「あなたが書けと言ったのでしょう?」
「本気で書くやつがあるか! 本当に可愛げのないやつだ! ここは頭を下げるべきところを……」
「何を騒いでいる」
二人の言い合いに割り入る言葉。その厳かな声に振り返る。その人物に気づいた周囲の人たちが頭を下げた。
現れた国王陛下は、騒ぎの中心にいたローガンを睨み付ける。
彼は冷や汗をかきながら、事情を説明し始めた。
「も、申し訳ございません。国王陛下。私の妻が問題を起こしまして……今叱りつけたばかりですので、もう騒ぎにはならないかと」
「いいえ、陛下。私は今、離縁を望まれ、その通りにしたばかりです。お騒がせし申し訳ございませんでした」
オリビアが片足を引き、もう片足の膝を折り頭を下げる。国王は「こんな場所で離縁を?」と興味を惹かれた様子で繰り返した。
「ならばその書状を見せよ」
促されて、今しがたサインした書類を渡す。ローガンが焦った様子で手を伸ばした。
「お目汚しを! 申し訳ありません! それは手違いで」
慌てる彼を尻目に、ざっと国王が目を通す。そしてオリビアに聞いた。
「手違い? オリビア夫人、これは手違いか?」
「いえ、私の意思はそのサインの通りです」
ハッキリ言うと国王はオリビアをジッと見る。そしてローガンを見て薄く笑った。
後ろの側近に声をかけ、印章を持たせる。そして、自らその離縁状に印を押す。ローガンが口をパクパクと動かした。
「な、なぜ!!?」
「どうした。これが願いだったのだろう?」
「いや違う! 俺はコイツに謝らせようと……男爵!」
ゴードン男爵を呼びつけ、怒鳴り付ける。
「話が違うじゃないか! この場で呼べばきっとすぐ頭を下げると! それを見せしめにできると言ってたじゃないか」
「そうは言っても行動したのはあなた様ですよ。我々は声をかけたに過ぎません」
「なにを!」
「静かにしろ!」
国王に怒鳴られ、身をすくめる。その場の空気が悪くなる中、その空気を変えるようにウィリアムが駆けてきた。
「失礼します! 発言の許可をいただけないでしょうか」
「うむ、構わん」
そう答えた国王に頭を下げてウィリアムがオリビアの前に出る。
両手に抱えた白い布。それをスルスルと取っていく。そこには白い光を宿した、青い鉱石の薔薇が小さな束になっていた。
まるで強い想いを閉じ込めたかのように、輝きが躍動している。
オリビアが目を瞬かせる。
「これは……?」
「ミシュア嬢から購入許可を受けて作ったものだけど、君に渡せる機会がもらえるとは思わなかったよ」
そう言って小さく呼吸をすると、膝をつき鉱石の花束を差し出した。
真っ直ぐオリビアを見上げて、真剣な声で続ける。
「もしも叶うなら、次の人生は私と歩んでいただけませんか?」
その言葉に反応するローガン。「おい!」と声をあげようとしたのを国王が軽く手を上げて、側近が口を押さえ羽交い締めにして止める。
いつの間にか光量の落ちる照明。薄暗いホールで、淡く輝く花束が存在感を増す。
気付けば穏やかな音楽を楽団が奏で始めた。
「ウィリアム……」
見上げる彼を見つめ返す。オリビアは躊躇う。
一度は彼を受け入れられずに、離れることさえ考えた。にもかかわらず、再び自分の前に現れ、望んでくれると彼は示した。
どれだけ非難されようとも、傷つけられても涙一つでなかったはずのオリビア。けれど、ウィリアムを見つめる彼女の瞳が潤み始める。
それはやがて溢れて零れていく。そして、彼女は柔らかく微笑った。
「ふふっ、展示する品で求愛されるのね」
「あ、いや! これは……!!」
慌てるウィリアムの前に膝をつくオリビアが、花束を受け取りその首に手を回した。「ありがとう」そう掠めた声と共に、頬へ触れる唇。ウィリアムが大きく目を見開いて、すぐに柔らかく細めた。
「っ!」
そのままオリビアを横抱きに抱える。彼女はハッキリした声で「受け入れます」と答えた。
その返事を合図に、国王がゆっくり手を叩き始める。それが呼び水になり、周囲で拍手が湧き上がった。
鳴りやまない拍手の合間、ウィリアムが呟く。
「オリビア……」
名を呼ばれて視線を合わせた。オリビアがクスッと笑って、彼の額に額をつける。彼は応えるように触れるだけの口づけを返した。
fin.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます