愛しいと想うことさえ許されず
於とも
第1話 どうして
木漏れ日の中、僕の膝の上に丸くなって、寝息を立てている、小さな妹。
19才違いの、母の違うこの幼い妹を、僕はこの上なく愛している。
僕が物心付いた2才頃には、母親は屋敷には居なかった。父親も留守にしている事が多く、もっぱら乳母の世話になっていた。
侯爵家当主の父は、血筋を重んじる祖父の薦めで皇家の血を引く令嬢と婚姻し、僕を産んだ。僕を産んですぐに、母は家を出た。
家同士の結び付きの婚姻であるので、父は離縁はせず、母もそのまま恋人の元で、仲陸まじく幸せに暮らしているそうだ。
相手は、母の元々の婚約者だった公爵家の次男だ。
母は、その公爵との間に、2男1女を儲けて、公然と社交界に出入りしている。
母の実家も、その公爵を気に入っており、僕の父の侯爵が死ぬのを待っている。
我が父、侯爵家当主の幡 祥一郎(バン ショウイチロウ)は、商才があった祖父の貿易商の資金のおかげで、裕福な生活を送りながら、遊興に耽って歳を重ねてしまった人だ。
40歳になろうかという年に、先を心配した祖父が財にモノを言わせて無理やり事情の苦しい家の母と婚姻させたのだ。
母はまだ若く、16才の乙女であったという。略奪婚という不名誉な噂が、一時期社交界を賑わわせた。
初夜から、牢屋のような部屋に閉じ込められ、朝な夕なに父に組み敷かれる生活が、半年間も続いたそうだ。
懐妊した事で、やっとその生活から解放されたという。
母が懐妊すると、父は再び遊興の為に家を空けるようになった。囲っていた情婦や情夫の元に通う生活に戻り、散財を繰り返す。ただ、祖父に似て商才はあったようで、財産は確実に増やしていったようだったので、僕の生活は贅沢だった。
父は、婚外子を嫌った祖父に配慮してか、誰かに子を孕ませるような事は無かった。その辺だけは、しっかりしていたようだ。
僕は、両親の愛情には恵まれなかったが、祖父からは沢山の愛情を貰った。厳格だったが、優しい祖父だった。
僕が全寮制の寄宿学校に入学する前年、その祖父が他界した。
僕がその学校に入学する日、父が学校にやって来た。隣には、若い娘を伴っていた。その若く美しい娘を、父は私に紹介した。
聞けば、最近恋人にした娘で、私が寄宿生になったので、今後は屋敷で一緒に生活するという。
まだ子供の自分が見ても、とても美しい女性だった。くっきりと書き込んだような目鼻立ち、白い肌に、長い黒髪。形の良い唇。小柄な体に添う淡い水色のワンピースから、豊かな胸と腰回りが伺えるが、全体的に優しく大人しい雰囲気で、好感が持てた。
娘の年は、16才。僕よりも2歳年上だ。父親は54歳になっていた。だが、父の若々しい見た目は、どう見ても30代前半だ。
「この私が、心から愛した女性だ。お前にはちゃんと紹介したかったんだ。」
「何故、入学の日に連れて来るの?周りの目は気にならないの?」
「お前が逢ってくれないからだろ。」
「……。」
僕は、父が帰宅したのが分かると、色々な部屋に隠れた。物入れの中で眠った事もある。とにかく父と顔を合わせたくなかった。
そんなに嫌いな父なのに、僕は父にとても良く似ていた。
曾祖母が外国の貴族だった事もあって、瞳の色が青色に近い灰色だったし、髪の色も金混ざりの濃茶色で巻き毛だ。肌の色も白かった。
目鼻立ちが、父によく似ていると言われる度に、絶望するのだ。暗に好色だと言われているようで。
父が、あんなに好色で、男女見境なしに関係を持つような人でなければ、母も家を出たりはしなかったのではないか、と常々考えている。
しかも、紹介された愛する女性が、16才とは。どれだけ若好みなんだと、呆れてしまった。
僕が寄宿舎に住み始めたにを見計らって、若い女を連れ込むなんて、とても許せる事ではない。祖父も亡くなって、父を諫める人が居なくなってしまった。本宅のあの屋敷に愛人と一緒に住むなんて、僕にもう帰って来るなと言っているようなものだ。
本気で、僕はその若い娘に、苦言を呈した。
「あなたも、まだ若いんだから、もっと他にいい男がいるでしょうに。わざわざ社交界のネタになるような事をしなくても……。」
自分にお鉢が回って来るとは思っていなかったのか、さっと顔色が変わったが、無言で俯いた。
「おい。彼女にそんな物言いは許さないぞ。」
「はあ?自分がどんなに恥ずかしい行為をしていると思っているんですか。若い娘ばかりに手を付けて。何が『心から愛した女性』ですか。今まで何人居たんですか?その心から愛した女性が!!」
「おい!いい加減にしないか!!声が大きい。」
「いい加減にして欲しいのは僕の方です。わざわざこんな、どこの家庭の親御さんも来ている日に、若い愛人を伴って来るなんて。どうかしているのは、貴方の方だ。」
「……ただ、紹介したかったんだ。」
「そうですか。大勢の方々に紹介出来て良かったですね。この噂で、僕は初日からここに居辛くなりました。出奔したい程ですよ。」
父は、物言いたげな瞳で僕を見つめたが、何も言わなかった。
『何で悲しそうな目を向けるんだよ。泣きたいのは、僕の方だ。』
そう思ったが、何もいえずに、そのまま僕はその場を後にした。いたたまれなくて、逃げたのだ。
結果として、それが父と会話した最後となった。
寄宿学校の長期休暇は、祖父が僕に残してくれていた郊外の別荘で過ごした。冬には親しくなった学友の別邸で遊んだりして、過ごした。
侯爵家の父が持つ屋敷の数々には寄り付かなかった。屋敷の本邸は、父とあの愛人の住まいになっていて、僕は意地でも、帰らなかった。
父は、本気で彼女を遇したかったのだろう。いつの間にか馴染の情婦達とは縁を切っていた。仕事にも本腰を入れたようで、今までの遊興が嘘のように”良き夫、良き商団主”に変貌していた。
それらの父の噂は、学友の誰かが、親切ごかしに教えてくれたのだ。親から見向きもされない”可哀そう”な、僕に、”教えてあげる”と。
依然、侯爵家の幡家の後継者は僕しかいない、と高を括っていたら、裕福になっていく幡の財が欲しくなったのか、離婚しなかった母が、
「まだ籍は幡にあるのだから、私が外で産んだ子にも継ぐ権利はある。」
などと、社交の場で誰かに漏らしたらしい。
これも、学友が仕入れて来た情報だった。耳聡い社交界のご婦人方は、色めき立った事だろう。
これには、さすがの僕も、黙ってはいられなかった。
直ぐに、父に手紙を出した。
すると、翌週の頭に、幡家の家令が、寄宿舎に居た僕を尋ねて来た。
「坊ちゃま、すこやかなご様子に、この爺は安心しました。大旦那様に増々似てこられましたね。」
僕は、祖父に似ていると言われるのが、何より嬉しい。が、それは祖父似の父にも似ていると同義だが、この爺やの言葉は、いつも本心だから、素直に喜ぶ。
「元気にしているよ。勉強も頑張っているよ。爺やも、元気だった?爺やの顔だけは、見に帰りたいよ。」
「ははは。学業も運動も優秀な事は、伺っております。大旦那様もあちらで喜ばれておられる事でしょう。爺は、まあ、そこそこ元気でやっております。寄る年波には勝てませんからな。」
そう言いながら、目尻の皺を深くした。
自分の近況や、爺の近況を聞きながら、自分の部屋まで案内して、爺を椅子に腰かけさせると、自ら準備して、お茶を出した。
「これは、これは。坊ちゃんからお茶を入れていただける日が来るなんて……。爺はもう、明日死んでもいいです。」
「茶くらいで、大げさな。縁起でもない。料理なんか食べさせたら、そのまま息絶えるんじゃないか?」
「なんと、料理もお出来になるのですか?!」
「少しだけね。友達と野営した時なんかに、釣った魚や、狩った野鳥なんかを、自分達で捌いて調理するんだ。……そういう事に長けた友が居てね。」
「……ああ、軍属の御子息のあの方ですな。存知ております。時節の礼状を送らせて頂いております。」
「え?」
「大旦那様の古いご友人のお孫さんなのです。」
「……それは、知らなかったな。世の中狭いね。」
「大旦那様と仲が良ろしかった方なので、そのお孫さんと坊ちゃんも、ウマが合ったのでしょうな。」
「ふふ。面白いね。」
そんな話の後、急に真面目な顔になった爺やは、家令の顔になった。
「本日は、急な訪問にも、会ってくださってありがとうございます。
ここに、書類をお持ちしました。署名をお願いいたします。」
おもむろに、鞄から分厚い書類の束を出して、目の前のテーブルの上に並べていった。10束はあるだろうか。
「何の書類?」
表に記された内容をさらっと読んで、僕は息を呑んだ。
全て、幡侯爵家の財産相続に関する書類だった。
「旦那様は、幡家の財産全てを、貴方の名前に替える手筈を整えました。商団に関する全ての業務も、権限も、幡 祥樹(バン ショウジュ)に移譲します。」
家令は、少しの間を空けてから、更に続ける。
「現在の国の法律上、籍を抜いていない夫人が、外で婚外子を産んでも、その子にも婚家の財産を継ぐ権利が生じます。
現在、旦那様は、奥様が外で儲けた子に関しては、旦那様の子ではないと、公に公表しました。外の子には幡家の財産の相続権は発生しない旨の裁判を起こしました。又、正式な離縁を認めるよう、裁判を起こしました。」
家令の顔は、怖いくらいに真剣だった。
「旦那様は、本心から、坊ちゃんを大切に思っておられます。手切れ金を幾ら積んででも、正式に離婚するおつもりです。」
「……この場合、お互いに痛み分けで、手切れ金っていらないのでは??」
「ですから、きれいさっぱり、早く別れる為に、でございます。法では、婚姻関係にある夫人は守られておりますので。」
僕を産んでから一度も帰ってきていない母に対して、手切れ金を払う事には釈然としないが、法に詳しい顧問がそう判断したのだろうから、何も知らない僕から何かを言うつもりはなかった。
「それで、何故今、僕に全部譲るの?父様、どこか悪いの?」
「すこぶるお元気いらっしゃいます。ですが、もういいお年。いつ、何が起こるか分かりませんので。」
「見た目は若いけどね。」
「そうですが……それだけではありません。実は、若奥様のお腹には、お子がおられます。来年には、お生まれになります。」
家令が、低く小さい声で言うその言葉に、僕は驚き、実は腹を立てた。
「自分が年だから、生まれる子の面倒を、僕に見ろって?!」
僕の怒りを含んだ辛辣な言葉に、家令は爺やに戻った。
「そう、お思いになるのは、無理もないかと思います。ですが、どうか、どうか、この爺の話を聞いてください。」
「何を聞けって?!」
「坊ちゃんは、実は、大旦那様のお子です。」
「はあ???」
僕は思わず立ち上がって、眩暈がした。
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