第2話 真の聖者ってことになりました

 え!? なんで俺が【真の聖者】ってことになってんの!?


 俺の悲鳴のような心の叫びは、もちろん誰にも届かない。


 ギルドホールは水を打ったように静まり返っていた。


 昨日まで俺を「ヒール坊主」と嘲笑していた冒険者たち。

「また来たの?」と迷惑そうな顔を隠しもしなかったギルドの受付嬢。


 その全員が固唾を呑んで、俺と、俺の目の前で高らかに宣言した銀髪の少女――アリア・フォン・ラナを見比べている。


「……【真の聖者】? あいつが?」


「馬鹿言え。あのヒール坊主だぞ」


「だが、あの少女の纏っている鎧の紋章……見たことがある……。あれは、確か……【剣聖】ラナ家の……!」


 ざわざわとした囁きが、まるで水に石を落としたときのように、恐怖と畏怖の混じったものに広まり変わっていく。


 特に昨日俺を笑いものにしたDランクパーティーの連中は、顔面蒼白で壁際に後ずさっていた。彼らの視線はアリアが腰に差した、いかにも業物といった風情の装飾剣に釘付けになっている。


「あ、あの……ラナ様? 人違いでは……」


 俺は、かろうじてそれだけを絞り出す。

 この状況から一刻も早く逃げ出したかった。


 聖者?

 俺が?

【ヒール】しか使えない俺が?


 馬鹿も休み休み言え。俺は昨夜、ただMPが枯渇するまで回復を連打しただけだ。


 だが、アリアは俺の言葉を遮るように、その青い瞳をまっすぐ俺に向けた。


「人違いなどありえません。わたくしはこの命、そしてこの魂に、あなたの御業を刻みつけました」


「み、みわざ……?」


「神殿の高位プリーストですら解呪不能だった【死呪】を、あなたは一夜で浄化なさいました。それも、わたくしが『無駄だ』と止めたにもかかわらず」


 アリアの言葉にギルド中が息を呑む。


【死呪】。


 それは、存在そのものを削り取る、最高位の闇魔法。解呪は不可能とされ、それを受けた者は等しく絶望のうちに死を迎える。


「そ、そんなものを……アルトが?」


「嘘、だろ……?」


「嘘ではございません」


 アリアはギルドの喧騒を一喝で黙らせる。


「わたくしは昨日、敵対クランの放った暗殺者に襲われ、この呪いを受けました。護衛のプリーストも匙を投げ、もはやこれまでと覚悟し、せめて追手から逃れるために、あの路地裏で息絶えようとしていたのです」


 彼女は昨日の絶望を思い出すかのように、わずかに目を伏せる。


「そこを、アルト様が……あなたが見つけてくださった。そして、わたくしが諦めろと言っても、あなたは『うるさい』と一喝し……こう言ったのです」


 アリアは、俺の言葉をなぞるように、ゆっくりと力強く言った。


「『呪いがアンタの命を喰らうより早く! 俺がアンタの命をすりゃいいんだろう!』……と!」


「「「…………」」」


 ギルドが三度、沈黙する。


 だが、今度の沈黙は、先ほどまでのものとは質が違った。


(あ、あああ、ああああああ……!!)


 俺は頭を抱えたくなった。


 確かに言った!

 言ったけど!


 そんな、伝説の呪文みたいに、格好良く復唱しないでくれ!


 あれは、MP効率度外視の、ただのヤケクソのごり押しなんだ!


「呪いを解呪するのではない。より強大な生命力で呪いそのものをし、消滅させる……! なんという荒業! なんという神々しさ!」


 アリアは頬を紅潮させ、うっとりとした表情で続ける。


「それは古の神話に記された、原初の聖女が行使したというそのもの! あなたこそが【真の聖者】ではなくて、いったい誰が聖者だというのですか!」


(違う、そうじゃない!)


 俺がいくら心の中で叫んでも、もう遅かった。


 周囲の冒険者たちの目の色が、変わってしまっている。


 底辺ヒーラーを見る目じゃない。

 とんでもない力を持ったヤバい奴を見る目だ。


「……アリア嬢。話は奥で聞こう」


 このカオスを収拾したのは、ギルドの奥から現れた隻眼のドワーフだった。


 ギルドマスターのバルガンさんだ。


 ギルドマスター室。


 重厚なオーク材の机を挟み、俺とアリアはバルガンさんと向かい合っていた。


「……つまり、だ。アリア嬢。お前さんはラナ家の次期当主で、暗殺者に狙われ、【死呪】を受けた。で、そこのアルトが、それを【ヒール】で治した、と」


 バルガンさんは、ごつい指で眉間を揉みながら確認するように言った。


「はい。あの【ヒール】はまごうことなき聖蹟せいせきでした」


「あ、いや、だから、俺のは本当にただの【ヒール】で……」


「アルト様」


 俺が慌てて訂正しようとすると、アリアが強い目力で俺を制した。


「ご謙遜を。もし、あなたの御業がただの【ヒール】だというのなら、この世のすべてのプリーストは偽物ということになります。わたくしの護衛についていた王宮魔導師団の筆頭ヒーラーでさえ、これは不可能だとわたくしを見捨てたのですから」


「……見捨てられたのか」


 俺が呟くと、アリアは「はい」と短く頷いた。


 その瞳に、昨夜の絶望が再びよぎる。


 彼女は、名家の当主であると同時に、強大な力ゆえ命を狙われ、仲間にすら見捨てられた、一人の少女だった。


(そっか……。やっぱりか。だから、あんなところで一人で……)


「……バルガン殿」


 アリアは向き直ると、懐からずっしりと重い革袋を取り出し、机に置いた。

 ジャラリ、と、銅貨や銀貨とは明らかに違う、重たい金属音が響く。


「これはアルト様への報酬、および、わたくしがこのギルドでご厄介になったことへの手付け金です。これより、わたくしはアルト様のパーティーに加入させていただきます」


「……え?」


「……は?」


 俺とバルガンさんの声が綺麗にハモった。


「い、いやいやいやいや! 待ってください、アリアさん!」


 俺は慌てて立ち上がった。


「パーティーって! 俺、Fランクですよ!? 【ヒール】しか使えないし、ゴブリンも倒せない底辺ですよ!?」


「ご冗談を。聖者様がFランクなど、このギルドの査定が節穴なだけでしょう」


「節穴じゃない! 事実だ!」


「アルト様は、富や名声にも興味ない、と……」


 アリアは俺の必死の抗弁を、聖者特有の謙遜と受け取ったらしく、悲しそうに目を伏せる。


「……そうですよね。これほどの御業を持つ方が、金銭なんかで動くはずがない」


(違う! 動く! すごく動くよ! むしろ金銭のために生きてるよ俺は!)


「分かりました」


 アリアは何かを決意したように立ち上がった。

 そして、次の瞬間。


 彼女は俺の目の前で、音もなく片膝をついた。


「――――ッ!!? アリアさん!? 何を!?」


「アリア嬢!?」


 バルガンさんも、さすがにこれにはギョッとした顔をしている。


 アリアは俺の制止も聞かず、腕の前で手を組み、の形をとる。


「【真の聖者】アルト様」


 その声、もう路地裏で震えていた少女のものではなかった。

【剣聖】ラナ家の次期当主としての、覚悟に満ちた声だった。


「わたくしは、あなたに二度、命を救われました。一度目は路地裏で。二度目は、仲間に見捨てられたこの絶望から」


「あ……」


「金銭では、この御恩は返せません。ならば、わたくしの全てで」


 アリアは顔を上げ、俺の目をまっすぐに見据えた。


「――わたくしの剣を、あなたに捧げます。わたくしが、あなたの最初のとなり、あなたのとなりましょう」


 ギルドマスター室の扉は、興奮したギルド職員たちが聞き耳を立てていたせいで、半開きになっていた。


【剣聖】ラナ家の誇り高き次期当主が、Fランク底辺ヒーラーに、ギルド職員たちに目撃されながら跪いている。


(……終わった)


 俺の底辺だけど平穏だった冒険者ライフが、音を立てて崩れていく。


 俺はアリアの真剣すぎる瞳から、逃げるように目をそらす。


「そのためにも、わたくしはあなたの隣に立つに相応しい人間になるため、研鑽を重ねます。まだ、わたくしはあなたの隣に立つに相応しくない。それまで少々お待ちいただけますか?」


 アリアの問いに、俺はコクコクと必死に頷くことしか出来なかった。

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