第十三頁  転心

一七三二三年七月三日(土)

大米合衆国・アメリカ州・西地区 マアイイ市


 クウヤは前日までに必要な物を準備し終え、本日、旅の再スタートを切ろうとしていた。

 午前中最後のバイトをし、一週間分の給料をもらって、午後営業が始まる前、つまり昼休憩中に出発する予定だ。

 クウヤは、今日発つことを事前にアンダーウッド夫妻に報告していた。彼は店が賑わいを帯びる週末に出発することを申し訳なく思っていた。

 それに対し、夫妻は「手伝ってくれて助かった、店のことは気にしないで自分の心配をしなさい」と感謝の言葉と共に応援メッセージを添えた。


 迎えた本日。クウヤは午前中バイト生活至上最高にいきいきと仕事をこなした。一週間継続してかなり仕事が板に付いてきていた。故にこの場所を離れるのが惜しくなってしまっていた。

 時間が経って欲しくない時ほど時計の針は速く回るものだ。あっという間に時間は過ぎ、午前の営業が終了してしまった。


 そして訪れた昼休み。主人は午後の準備があるため、アンダーウッド母子が見送りすることになった。

 クウヤはリュックと剣以外はリュックの中身も含めて全てこの街で買った新品である。ありがたいことに服と靴はアンダーウッド家からのプレゼントである。機能性重視の動きやすい服装。以前の装備より格段に軽くなっている。

 飲料や非常食の準備も万端である。


「一週間、お世話になりました」


 言いながら深々と頭を下げた。


「いいえ、こっちこそ手伝ってもらってありがとうございました」


 エメも深々と頭を下げた。遅れて、ビゼーも頭を下げる。

 息を合わせたかのように三人同時に顔を上げた。

 三人でクウヤのバイト期間を振り返る。


「初日とか大変だったでしょ。仕事の後、ご飯食べてすぐ寝ちゃったもんね。正直、月曜日はあのまま起きて来ないんじゃないかと思ってたよ。でもさすが!森を歩き切った男は違うね!クウヤ君はガッツある子だから旅も上手くいくよ。頑張ってね!」


 エメはクウヤを褒め称えた。


「あはは〜。ありがとうございます。たしかに日曜はめっちゃきつかったです。死ぬかと思いました。みんな休まないではたらいてるのすごいっすね!」


「慣れちゃってるからねー。働かなきゃ死んじゃう体になってるの」


「ハハハ。マジっすか?オレもつかれない体になりて〜」


「もうなってるだろ!ぐったりしてたのあの日だけだったじゃねぇか。そもそも体力回復のために立ち寄ったはずがぶっ倒れるまで働きやがって」


「まぁ、いっぱいはたらいたけど、つかれはとれてるからだいじょーぶ。ちょー元気!」


「そうかよ」


「若いんだからいっぱい食べて体動かさないとね。またどっかで倒れちゃダメだよ」


「水、ちゃんと飲めよ」


「なんで二人してイジるんですか……」


「ウフフフ……ごめんなさい。面白いからつい」


母に同調し、息子も何度も頷いた。


「ははっ……」


 クウヤはどう反応していいか分からず、苦笑いした。

 冗談が済むとエメは咳払いして真面目な顔つきで言った。


「クウヤ君、息子と友達になってくれてありがとう!息子ビゼーが友達付き合いしてる姿なんて見たことなかったからさ、親としてすごく嬉しくなっちゃって。ビゼーとずっと友達で居てくれる?」


「そんなんいいって!幼稚園児じゃねぇんだし」


 息子は母の言葉に恥ずかしそうにツッコんだ。


「そんなこと言わない!高校卒業してからの友達は一生ものなんだから!」


 母は息子を叱った。


「高校っつーか、小学校も出てねぇよ……」


 ビゼーは再びエメに突っ込んだ。

 今回は小声である。

 クウヤは言う。


「あたりまえじゃないですか!ビゼーはいいヤツだし。あたまいいし。めっちゃいい友だちです!あっ、旅おわったらここよりますよ!旅の話します!」


 エメは笑顔を見せた。


「ありがとう!絶対来てね!楽しみにしてる!そうだ!クウヤ君が帰って来たらまたパンご馳走しようか!」


「マジか!やった!ぜったい来ます!」


 人生で一番美味しいパンを再びしょくせることが確約されたクウヤは歓喜の声をあげた。

 気が付くと休憩時間も残り三十分を切った。


「あっ、じゃあオレ行きます!」


「時間なくなっちゃうしね!はい、じゃあ、これ。一週間分のお給料です」


 そう言ってエメは茶封筒をクウヤに手渡した。

 中身は時給二千円掛けることの一日八時間。それを四日分と一日四時間半を三日分、小計九万一千円也。これに加えてお気持ちの一万円ボーナスがあり、合計十万一千円。丁寧に給与明細まで付いていた。

 エメは給料の計算説明をクウヤに行い、気持ちを述べた。


「もっといてほしかったな」


「オレもいたいです。もっとパン食べたかったし……」


「ウチのパン、本当に好きなんだね!嬉しいなぁ!大丈夫!いつ来てもいいように大量に作って待ってるから!」


「はい!ありがとうございます!」


 クウヤの返事の最中、母は息子の右脇腹を左肘でチョンチョンとつついた。

 ウッ、という声と共に、息子は母を睨んだ。その目線の先で、母は何か言ってやれと言わんばかりの顔をしている。

 何か言わなければならない雰囲気に押されてビゼーも気持ちを述べた。


「あぁ……楽しかったよ。お前からは大切なことを学んだし、感謝しなきゃいけないことがたくさんある。ありがとう。道中、気を付けろよ」


「うん。オレもおまえといっしょにいれて楽しかった。また来るよ!」


 ビゼーは頷いた。


「じゃあ、ありがとうございました。おやっさんもー!ありがとうございましたー!いってきます!」


 作業中の主人にも聞こえるように大きな声で挨拶した。


「こっちこそありがとーう!」


 姿は見えなかったが声は聞こえてきた。

 この時の主人の声はクウヤが過ごした一週間の中で一番大きい声だった。

 これには母子も驚いた様子を見せた。

 クウヤもこんなに大きい声出るんだ、と思った。

 クウヤは外に出た。夏の日差しがクウヤを照らす。店の中ではエメが手を振っている。


「行ってらっしゃい!」


 その声に対してお世話になりました、と一言。

 一週間前に来た方(商店街方向)へと歩き出した。


 アンダーウッド母子おやこはくうやの姿が見えなくなるまで手を振った。


《クウヤ出発後、麺麭屋木ノ下店内》


 旅人が歩く方をビゼーはボーッと見つめていた。

 ふと我に返り、振り返って仕事の準備に取りかかろうとすると、母に話しかけられた。


「行きたいの?」


 突然のことに困惑したが平静を装って答えた。


「えっ、別に」


「好きにしていいんだよ。ビゼーはずっとお店を手伝ってくれてたから好きなことをあんまりさせてあげられなかったし。ビゼー!あんたが本当にやりたいことをやりな!人生は一度きりだぞ!」


 母の言葉に対して間を開けずにビゼーは言った。


「俺のやりたいことはこの店を継ぐことだよ」


「その次は?」


「——!」


 母も間髪入れずに二個目の質問をした。


「二番目にやりたいことは何?」


「……」


「店を継ぐのは後でもできるでしょ!私たちが今すぐ死んじゃうわけじゃないんだし。お店が潰れちゃう可能性はあるけど、その時は自分で店を開けばいいし。まあお店は私が守るけどね。最悪、基本のキぐらいはお父さんから教わってるんだからビゼー一人でもできるし」


 ビゼーは思考した。

 クウヤが歩いていった方向を一瞥し、答えた。


「……いや、今から準備したって間に合わねぇよ……だ……」


「準備ならしておいたよ」


 息子が喋り終わる前に母は次の言葉を放った。


「はっ⁉︎」


「荷物はまとめてある。あとは自分で決めな」


 頭で考えるより先に口が、体が動いていた。即決だった。


「お袋、荷物どこだ?」


「上。携帯以外必要なもの全部入ってる!」


「分かった!」


 言いながら階段を駆け上がる。

 すぐに大荷物を持って降りてきた。


「何か足りない物あったら自分で買って。現金百万円入ってるからそれで」


 母は忙しなく動く息子に補足説明をした。


「分かった。後で中身見てみる……百万って言ったか?」


 一度準備の手を止める。


「はい、手は動かす!気にしないの!クウヤ君が百万円持ってるなら、ウチも合わせた方がいいでしょう?」


「あ、ああ……」


 再び手を動かし始めた。

 どこかで聞いたようなやりとりを交え、ビゼーの準備が着々と整っていく。


「親父には説明しといてくれ!」


「お父さんの考えだよ、全部」


「えっ⁈」


「手!」


「準備終わってるよ!急で悪いけど行ってきます。親父!ありがとう!行ってきます!」


 彼は出発の挨拶をせかせかと済ませると炎天下にもかかわらず、クウヤを追いかけ全速力で走り出した。

 営業再開直前の店の中。母は満足げに、父は厨房で目に涙を浮かべていた。


 バタバタした休憩時間は終わりを迎えようとしている。

 麺麭工房木ノ下はいつもの時間に午後の営業を開始した。

 従業員の平均年齢が朝と比べてかなり上がっている。

 しかし子を思う親の心は若々しい青春劇の感動で満たされていた。

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