第五頁   好々爺

「ぷは〜!助かった〜!」


 水分不足の少年は五〇〇ミリリットルのペットボトルに入った水を一気に飲み干した。

 めでたくクウヤの懇請は聞き入れられ、建物の中へ招かれた。水を提供され、ようやく喉を潤すことができたのだった。


「いい飲みっぷりだ。相当水が欲しかったんだな。まだあるから足りなかったら遠慮なく飲んでくれ。水不足は命に関わるからな」


 好々爺もクウヤの気持ちのいい飲みっぷりに対し、とても満足げな表情をしている。

 クウヤはその言葉に遠慮する素振りも見せず、二本目もサッと飲み干した。

 一リットルもの水を一気に胃に流して元気になったクウヤは、助けてくれた好々爺に感謝を伝えるとともに、事の経緯を説明した。

 クウヤの話に終始驚いていた好々爺だったが、クウヤの無事を願い、応援してくれた。


 そんな話をしている間、クウヤは好々爺から尋常ならざるものを感じていた。それが具体的に何なのかはまるで分からない。彼から放たれているのか、はたまた彼に集まっているのか。とにかく「何か」が彼の周囲に漂っている気がするのだ。


「少年、私に何か憑いているか?」


 よっぽど顔に出ていたのだろう。好々爺が先にクウヤに尋ねた。

 少しあたふたしてクウヤは聞いた。


「あ、いやいや、そうじゃなくて……おじさん、しゅうちゅうするけいのなにかやってますか?」


 好々爺は笑いながら優しく答えた。


「おおー、鋭いな。君の言うとおりだ。昔、仕事で刀を振るっていてね。それにしても『集中する系』というのは面白い言葉を選ぶんだな」


 クウヤは言われて気づいた。どうして「集中する系」という単語を使ったのだろうか。口から勝手に出た言葉だった。「何か」をクウヤの潜在意識がそう捉えた結果なのかもしれない。どんな理由であれ、この語彙は無意識である。

 もう一つクウヤが思っていたことがあった。好々爺から感じる「何か」と似たようなものをどこかで感じた気がしていたのだ。あくまで気がしただけであるが。


「君の背負っているものは剣だろう?よければ見せてくれないか?」


 色々考えているうちに次の話題が振られてしまった。これ以上難しいことを考えるのは止めることにした——彼がこのとき感じたものの正体と感じることができた理由を知るのはもう少し後の話である——。

 クウヤは好々爺の問いに答えた。


「あ、これですか?いいですよ。もってみてください」


 クウヤは剣を差し出した。


「おおっと、思ったより軽いな。何だこれは?」


「びっくりするでしょ!あろめ?で作ったらしいです」


「あろめ?……あるみ、アルミ!……製か。軽さは納得だ。が、それはまたどうして?」


「あ、そうです。あるみ!でもなんでかはわかんないです」


「聞かなかったのか?」


「はい、それどころじゃなくて」


 クウヤは今さらながら疑問に思った。譲り受けた当初はその軽さに驚くあまり、何故鉄で作らなかったのか気にも留めなかった。帰ったら聞こうと心に決めた。


「それどころじゃないとは?」


「けっこうキレてて……」


「少年が悪いことをしたのか?」


「わるいこと……っていうか、旅するのに出ぱつのじかん、おしえなかっただけで……」


「……」


 好々爺は自分で聞いたもののなんと答えていいか分からず、このやりとりをうやむやにして終わらせ、剣の講評を始めた。


「そ、それにしてもとても丁寧に作られているな。刃の片側だけだが。もう片側は粗い。どういうことだ?」


 抜剣するタイミングがなく、刃をしっかり見たことがなかったクウヤだが、なぜそうなっているのかなんとなく思い当たる節があった。


「あっ、それオレの友だちが作ったんです。たぶんだけど、キレイな方はオヤジさんがやったんだと思います。だし、それなん年かまえに作ったらしいから」


「ほぉう。だとしたら大したものだ。少年の友達とやらは、かなり伸び代があるな。十年後、二十年後が楽しみだ。さらに腕を上げれば至高の剣が出来上がるだろう」


 スカーレッドのことを褒められ、クウヤは鼻が高かった。


「マジですごいっすよね〜!アイツすごいがんばってるから。がんばってオヤジさんのしごとついでほしいです!」


「まだプロではないのか。少年の友達というのなら当然か。まだ若いのだな。職人の名前を聞いてもいいかな?」


「はい、スカーレッド・ヴィオラです」


「ほう、女の子の職人か。珍しいな。覚えておくとしよう。『ヴィオラ』か……どおりで……」


 最後の一言はクウヤには聞こえていなかった。

 好々爺は納得したかのように再び剣を観察し始めた。

 その姿を見てクウヤは疑問を口にした。


「おじさん、左ききなんですね。剣やる人って右ききのイメージだけど」


「よく見ているな。その通りだよ。しかし細かいことだが、少年。私がやっていたのは刀だ」


 剣を観察しながら刀だと訂正した。


「あはは……そうでした……はは……」


 クウヤは内心、どっちでもいいじゃないかと思いつつも自分の非を認めた。


 しばらく観察したのち、好々爺はクウヤに感謝の意を示して剣を返した。その際、一つ尋ねた。


「この剣、紅寒緋べにかんひというのか?」


「えっ?」


 間の抜けた声が出た。初耳だった。スカーレッドから剣の名前など聞いていない。


(言っていたのか?自分が聞いていなかっただけか?)


 自分の記憶を全力で遡った。


「えっ、知らないです。なんでそんなことわかるんですか?」


「ここだ。鞘に書いてある。普通、めいなかごに切るものだが、あぁ、剣ではタングと言うんだったかな?」


 クウヤの問いに対して好々爺は文字が書いてある部分を指差しながら言った。

 メイ、ナカゴ、タング。クウヤはどの言葉の意味も分からなかったがとりあえず好々爺の指差す方を見た。字が書いてある。


「えっと〜……よめね〜」


「ん?難しいか?『ベニカンヒ』と読む。特別な読み方でなければな」


「べにかんひ……なんか刀みたいななまえだなぁ」


 剣名が書かれた箇所を見ながら呟いた。


「確かにそうだな」


 クウヤの言葉に好々爺も納得する。


「作者が付けたものだろう。何か意味があるのかもしれない。それはそうと自分の使う剣の名くらい書けるようにしておいたほうがいいぞ。漢字は書ければ大概読めるからな」


「わかりました!」


「いい返事だ。素晴らしい!」


 元気な返事に感心したところで好々爺はクウヤに新たな質問をした。


「ところで少年、君は剣を使い始めてどれくらいなんだ?」


「あぁ……いや、ちゃんとやってるわけじゃないんです。昔からなんかとくいだっただけで。これもらったのも今日の朝だし」


「そうか、昔の私と似ているな」


「えっ、どのへんが?」


「誰からも習っていないという点だよ」


「おじさん、しごとでやってたのに、だれにもおしえてもらわなかったんですか?」


「仕事でやるよりも前には特に何もしていなかったんだよ。どうやら私には剣術の才能があったらしい」


「へぇ〜、たしかにおじさんすごそう!しごとでどんなことしてたんですか?」


「あぁ〜、すまない。それは諸事情あって言えないことになっているんだ」


「あっ、そうなんすね、すいません」


 自分で言い出しておいて言えないって酷くないかとクウヤは思った。

 クウヤの表情を見て何か感じたのか好々爺は言葉を紡いだ。


「君が謝ることはないだろう。私の事情だしな。申し訳ない。あぁそうだ!君が剣術を続けていくのなら忘れないでほしいことがある。努力だけは怠るな。才能にかこつけて鍛錬を軽んじていると痛い目に遭う。過信せず常に謙虚でいることだ」


 クウヤは口を開けてぼけ〜っとしていた。

 好々爺はそれを見て察した。


「おっと、言葉が難しすぎたか……簡単に言えば努力をし続けろということだ」


 好々爺は少し笑って、語気をやわらげた。

 クウヤは息を吹き返したかのように動き出し、相槌を打った。


「なるほど!」


「しがない老耄おいぼれの独り言だ。頭の隅にでも置いておいてくれると嬉しい」


「はい!わかりました!」


「うむ、とてもいい返事だ」


 話が終わったところで、クウヤは出発することにした。


「ありがとうございました!それじゃあ、オレ、行きます」


「待ちたまえ、少年。もうすぐ夕方になる。今から外出するのは大人として容認できない。今日はここに泊まっていくといい」


「でも……」


「遠慮はいらないと言っただろう。こちらとしても暗い森に少年一人を放り出すわけにもいかない。それから寝泊まりできる環境が目の前にあるのに自ら手放すのは利口とは言えないな。旅を続けていけば野宿を選択しなければならない時がいずれ来る。だがそれはあくまでも最終手段だ。眠るのは屋内の方がいいだろう?よしんばこのボロ屋でも、野宿よりはマシだと思うがな」


「いや、そんな、ボロ屋だなんて……わかりました。とまっていきます。ありがとうございます」


「うむ、そうするといい」


 こうして旅初日の夜は謎の老人の家で過ごすことになったのだ。

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