魔人キコウ録

长太龙

プロローグ

第〇頁   プロローグ 少年の記憶

 ——平穏な日常——

 朝起きて、昼仕事をし、時には休息をとり、夜眠る。

 単調な循環であるが、どれ一つとして同じ内容の日はない。

 変わらないリズムの中に時々訪れる小さな違いを楽しむ。

 そういうものなのだろう。

 当たり前の日々から成長や老いを実感させられることもまた、一興である。

 しかし、ささやかな幸福に包まれているまさにその瞬間には、

 ——それらが二度と訪れない永遠の思い出になるなどとは一ミリも考えないものだ。

 ——そして、それらが突然消滅するなどということは脳内から排除された思考であり、天地がひっくり返ってもありえないことだと錯覚している。



一七四世紀某年某月某日

某国某所


 少年は家までの帰り道を一人歩いていた。

 太陽は西へ傾き、辺りは暗くなりつつある。

 少年を照らす西陽が「もうじき日没だぞ」と伝えていた。

 少年はふと母に言われた言葉を思い出す。


「暗くなる前には帰ってくるんだよー!」


「かーちゃんとのやくそくまもらないと……」


 母は優しかった。

 少年は彼女に怒られた記憶がない。

 一方、父は厳格で、特に約束事を守らなかった時には死人が出る勢いで雷が落ちた。

 それでも少年は両親ともに大好きであった。


「ねーちゃん、さきかえっちゃったから、かえったらいっしょにあそぼ!」


 少年は口に出して誓う。

 彼は家族四人暮らしだった。

 直前まで、近くに住む叔父の家に姉と共に訪問し、目一杯遊んでいた。

 途中、姉は「宿題をやる」と言って先に帰ってしまっていた。

 少年が住む家と叔父の家へは一本道で行くことができ、二、三分あれば行き来できる距離にあった。

 少年は五歳。もう一人で帰れる年齢だ。

 大好きな家族に早く会いたいと願う少年は、時折スキップを交えながら帰宅した。

 

 家が見えてくると少年は駆け出した。

 玄関前に立つと、勢いよく扉を開けた。


「とーちゃーん!かーちゃ……」


 扉を開いて家の中の様子が見えた時、少年は自分の目を疑った。

 とてもこの世のものとは思えない光景だった。


 床が赤黒く染まっていた。

 ——血だ。

 周辺の家具にも飛び散っている。

 床の上には男女二人の人間が綺麗に並んで横たわっていた。

 二人は仰向けに寝ており、胸の前で手を組んでいる。

 男性は比較的綺麗だったが、女性の方は全身真っ赤だった。特に腹部のあたりが濃い色をしている。

 床の着色はその女性の血液と推定される。

 

 それよりも衝撃だったこと。

 横たわる二人の前に、子供が立っていた。

 腕が床と同じ色になっている。

 サッと、その人物は振り返った。

 背中を向いていた時は分からなかったが、腹側上半身は服が真っ赤になっていた。顔にも血が付着している。

 その瞬間、彼の時間が止まった。

 少年にとってその顔は深く馴染みあるものだった。


 悲惨な居間。

 受け入れられない現実いま

 少年は意識が遠のいてしまった。

 

 その日の少年の最後の記憶。


 ——倒れた二人の前で無気力に立つ少女。彼女の睨みを利かせた冷徹な視線だった。

 まるで修羅を前にしたかのような……

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