第2話 まだダメ
「今日会いに来たのは、私とデートして欲しいからなの」
純二さんの頭上に一瞬はてなマークが現れた。そしてパンッと消える。困惑した顔で私の顔を見た。
逸らしてたまるかと顔を合わせると、今度は恥ずかしいのか視線が合わなくなってしまう。
「何万円なら承諾してくださいますか?」
私がアバズレになったと困惑しているのか、状況を受け止める時間が必要なのか、純二さんは両手で顔を覆う。指の隙間から見える瞳がチラチラと動き始めた。
私を受け止めてよ純二さん。
頭をやや後ろにそらせて、両手でNOサインを出した彼の顔が赤くなっているのを見て、胸の奥がちくりとした。目尻が微妙に垂れ下がって、唇の端がいつもより持ち上がっている。否定ではないのだ。処理できない感情が渋滞している彼の表情。なんとも愛おしい。
「お金は受け取れないよ」
沈黙の後に口を開いた純二さんの声は思った以上に弱々しくて、私は反射的に顔が引きつってしまう。
「十五歳、職業は中学生兼人気上昇中のアイドル。まだ大人の保護下にあるべき存在だ。あの母親のことだから、男を頼って生きてくれと家を追い出された? もっとマシな生き方ができるはずだぞ」
母親を軽視されているのに、純二さんへ憎しみも苛立ちも湧いてこない。むしろ全身の緊張が一気にほぐれる。
「今日は久しぶりの一日オフなの。パパは荷物をまとめて家出て行っちゃったし、ママは新しい人探すのに忙しいから。それに私友達もいないし、メンバーとは最近距離ができちゃって。誰とでも遊ぶ尻軽女じゃないし、ロマンチストでもないから夢なんて見せなくていい」
純二さんは、私の言葉のひとつひとつをゆっくり咀嚼して、「そうか」と小さく頷いた。
「だから、今日だけ私とデートしてください。アイドルは一日で飽きるでょ?」
「トップアイドルはそんなこと口が滑っても言わないぞ」
「そんなの幻想。アイドルを神様だと思っているの? 私は純二さんとデートしたいんです」
「なんでまた俺なの? 神様の弟子をする気はないよ。もっと自由に生きていたい」
「純二さんがいいのです。付き合っている人いる?」
額をトンッと指で叩き、純二さんは苦笑いした。
「恋人はいませんけど」
返事に満足して、私は陽が差す床の上に自分の脚を投げ出して座った。スカートの中身が見えたって構わない。もう子どもじゃないのだから、それなりに羞恥心はあるつもり。でも、好きな人になら見られても構わないという気持ちもある。
きっと、純二さんは大人としてそういう配慮をしない人なんだろう。
「それならいいです」
私の声が弾むと、彼は小さく笑って本棚の方に視線を向けた。スケッチブックが一番上の段に積み上げられている。
「漫画家志望なんだ。でもそろそろタイムリミットが近づいていてね。ちゃんと教育学部の大学生にならなきゃいけない。なのに、昨日バイトをやめた。まだ血迷っている。サバイバルだよ。まだ教師か漫画家一本で生活していくのか決断できていない。安定した生き方をしたいのに。俺だって、藍沙ちゃんのこと、否定できないよな」
「純二さんの書いた漫画読みたいです」
「……成人向けだけどね」
その一言で、私は思わず吹き出してしまった。純二さんもつられて笑う。
「本当に俺でいいの? 年齢的には二十歳だけど、自分ではまだ未熟な大人だと思っているんだ」
「純二さんしかいないの。連絡先探すの苦労したのよ。お願い。私を神様にしないで」
まだ、機械人形にも神様にもなりたくない。私はまだ、人間でいたい。笑い転げたり、泣き喚いたり、怒鳴り散らかしたり。
私の大袈裟な喜怒哀楽、まだ消えちゃダメ。消えちゃダメだよ。
「分かった。じゃあ今日はデートしよう。どこに行きたい?」
純二さんの口から出た“デート”というワードに、私の心臓がまた大きく跳ねる。恐怖と歓喜が混ざり合ったような複雑な気持ちになった。
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