第16話 柳沢吉行

 此のシェアハウスで山上にとって最初の休日と言っても、土曜日は学生も北原も出て彼は美紗和さんとみんなが出払ったダイニングでパンとハムエッグでのんびりと朝食を取っていた。同じ休みの柳沢は、昨夜のビールが効きすぎたのか中々起きてこない。

「吉行君、昨日は二缶も空けたんだって」

「厳密には美紗和さんが残したロング缶も呑んでました」

 彼が酒が強くなったも、伯父がタクシー代換わりにもらったウイスキーの影響らしい。同じ一階に居る祥吾君も、補充されて中々減らないウイスキーの手助けで、彼もここに来てから酒が強くなった。二階の学生たちは吉行君からロング缶のお裾分けしてもらって彼には愛想がいい。そんな訳で此処では一番融通性のある吉行君と昨日呑み明かしたのは大成功だと美紗和さんに言われた。

「でもそれは美紗和さんが柳沢君の前で、ぼくを盛り立ててくれたお陰ですよ。それもお父さんの意向なんですか」

「変なこと言わないでよ」

 彼女は何処が気に食わないのか少々お冠だ。この辺がどう解釈して良いか判断に迷う、いや、苦しむ。

「それにしても冴木さんも起きて来ない、みんな出てしまって、柳沢君も今日は仕事だと思っているのだろうか」

「伯父はもうとっくに起きてるはず。出てこないのは土曜と言っても各週じゃないから、吉行君の休みを覚えてないのよ」

 ますます冴木永一の行動が把握できない。これでは観察のしょうがない。こうなるとこうすればいいうと謂う論理で心理を読み解くのに、要するに気まぐれな相手では困るのだ。

「しかし、お父さんは伯父さんの精神状態を調べてどうするつもりなんだ」

「それは越権行為で、それにその先は山上さんの手に負えるもんではないから……」

「それは昨日、冴木さんをお父さんの会社に送ったあとで随分待たされて、大変なんだと解っても、なんで辞めた会社に何の用があるんだ」

「仕事じゃないわよ。兄弟として亡くなった祖父、父からすればお父さんか。その祖父がやり残した話だと伯父は言っていたでしょう」

「なんで知ってるの」

「一応親戚ですもの。しかも身内はあたしのお父さんだけ、伯父様には血を分けた人はお父さんだけなのよ。そしてそれを受け継ぐのはお母さんとあたしを入れた三人の子供だけ。あたしに甥や姪が居たとしても相続権はまだそこまで及ばないから」

「何の話だ」

「伯父様を取りまく環境を説明しただけ。だから大切に事故のないように伯父様に頼まれて運転するときの心構えを言ったまでです」

 それは冴木さんの人格が否定されれば、泣く人よりも笑う人が多いのか。とふと頭によぎったが屈託のない美紗和さんの顔を見ると霧散した。

「美紗和さんの兄弟は何人です」

「さっきの説明で気になったの?」

「いえべつに。ただ末っ子だとは思ってみても、上には堅苦しいお兄さんかお姉さんでもいるような気がしたもんですから」

「そう、いるわよ。兄と姉が、でも姉と兄はひとつ違いでもあたしとは五つ近く開いて、小学生の以外は中学、高校、大学と兄と姉が卒業した後に入学して、考えや勉強に協調感覚がないのよね」

「それで今回の冴木さんのお世話には、身内としての責任感だけで引き受けていると思っていいんですね」

「当たり前でしょう」

「でもあさってから家政婦のおばさんが来るでしょう」

「ああそのこと。あさってから来る人は前島美樹まえじまみきさんという五十代の賄いのおばさんで、此の部屋と食事以外は一切タッチしませんから、しかも平日の午後からの半日だけです」

「じゃあ休みの日の冴木さんは外食になるのか」

「そうね、近くの北山通まで行けばお店は色々とあります。今日はともかく明日は食事に伯父を誘ってみてはどうかしら」

「それより、今日は冴木さんは何処にも行かないのなら柳沢君と出かけてもいいか」

「いいわよ、二人が居なければ伯父が出るのならタクシーにするから」

「決まった。さっそく柳沢君を誘い出してくる、でも来るかなあ。本当は冴木さんの方がいいが予定が解らなければ待っていても時間がもったいない」

「多分、彼はあたしの前宣伝が効いてるから行くと思う。伯父様にはそのように言っとくわよ」

 山上は一階の彼の部屋をノックして朝食に誘った。彼も起きていて丁度出て来る処なのか、昨日のビールに恩義を感じたのか直ぐに出てくれた。

 ダイニングテーブルで彼も朝食を取った。

「山上さんがあなたに用が有るようよ」

「昨日の話ではビリヤードによく行くそうで。よかったら今からやりませんか」

「あらビリヤード、いいわねぇ」

「美紗和さんはやったことあるんですか」

「大学生の時にアルバイト先のおじさんに教えてもらったの」

「それはいい、出来るんでしたらよかったら一緒に行きませんか」

 そうねと彼女は二階の奥の部屋に目をやった。

「冴木さんが気になりますか」

 山上が訊ねても美紗和さんは動きそうにない。今日のところは仕方なく二人で出掛けた。

 柳沢が行きつけのビリヤード店は、此処から二キロほど先にある植物園で店まで歩く事にした。 

 十月も半ばなのにまだ日中は汗ばむが吹く風は肌に心地良い。柳沢にしても別に冴木さんのために待期する必要もないのに、なぜか気になって休日は出掛けるのを手控えていた。その反動か今朝一緒に歩いていると今までの緊張感が抜けて、社会人なのになんか二階の学生たちと変わらない。やはり冴木さんを口では言わないが相当気にしている。柳沢があのシェアハウスの面々の中では、一番真面に見えていたのが嘘のようだ。それほど彼は冴木の何処に神経を尖らせているのか。ビリヤード店では、これは面白いゲームが出来そうだ。

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