オムスビ・リカバリー

 四月十八日 午前八時三十八分


 激闘より一夜が明け、お米の炊ける良い香りで、イヌマキは目を覚ました。昨日の恐ろしく、そして素っ頓狂な夜を忘れるほどの、清々しい朝だった。家の外からは雀の鳴き声が聞こえてくる。そして家の中からは、何やらカチャカチャと、誰かが料理をする音が聞こえてくる。キッチンの方を見ると、ヨツツジがおむすびを大量に作っていた。


「あ、目が覚めた?イヌマキちゃんも早く席について」


 隣のテーブルには、すでに3人が座っていた。全員が揃うと、ヨツツジはテーブルにおむすびを並べる。


「初日にお米を準備されていたのは、このためだったのですね」


 イヌマキは感心したように言った。


「最後の仕上げだ。結局のところ、この現世では生者が最も強い、手作りの食事という、この世で最も生命力の高い行為が、この家を活気あふれるオーラにしてくれる。これがフェーズ3、『オムスビ・リカバリー』だ」


「おいしく食べること、これは生者の基礎的な愉しみ。この大団円で、この家は人が住めるくらいに回復するはずよ。さあ、いただきましょう」


「そうだ、もりもり食べんといかんぞ!」


 そう言って全員、早食い選手権かのようにガツガツとおむすびを食べ始めた。豪快に食べるのが掟らしい。イヌマキも大きく一口、おむすびを齧ると。思わず声をあげそうになった。味付けは塩のみであるのに、どうしてここまで美味しいのか。


「ヨツツジのおむすび、美味しいわよね」


「こいつは週末、お料理教室に通っているからな」


「うむ、感心感心」


手作りのおむすびに舌鼓を打っていると、その様子を見ていたヨツツジが、自分の持っていたおむすびを差し出してきた。あっけにとられているイヌマキをみて、彼は久方ぶりに口を開いた。


「良ければ食え。俺は食が細いから」


「ありがとうございます。あの、とってもおいしいです」


「……口に合ったなら良い」


   午前九時十二分


 オムスビ・リカバリーにて動けない程満腹になった一同は、血糖値が爆速に上昇したために襲ってくる強烈な睡魔に耐えながら、部屋の後片付けを始めた。日本酒で濡れた壁や床を消毒しながら雑巾で綺麗にし、ひっくり返された瓶や本棚を元に戻した。本棚をもとの形に戻している最中、ある児童漫画を見つけたミツメが騒ぎ出した。


「ちょっと待って、これ『銀篇の大門』じゃない? 懐かしいわあ」


「おお! 私も中学生の頃読んでいたぞ!この家に住んでいた者とは気が合うな。きっといい酒が飲める」


 ニノツキも興奮している様だった。イヌマキの世代からは少しずれていたため、その感動を分かち合うことはできなかった。


「はしゃぐのはいいが、持って帰るなよ。特にミツメ」


 騒ぎに気付いたリーダーが二人をたしなめる。


「分かってるってば。流石に私もそんなことしないわよ」


「そういいながらお前、これまでに何回も物件の物を鞄に入れて帰ったろう。その度に返しに行くことになるんだからな」


「あれはわざとじゃないっていつも言ってるじゃない。間違えて持って帰っちゃうのよ。嘘じゃないわ!」


 本当に、嘘ではないんだろうなと、イヌマキは心の中でつぶやいた。この人ならやりかねない。その後もぷつぷつと言い訳を続けるミツメに背を向けて、イチジョウは後かたずけに戻っていった。そのとき彼がぼそりと呟いたのを、イヌマキは聞き逃さなかった。


「帰りは書店にでも寄るか……」



   午前十一時八分



 すべての片づけを終えて、潜入前の物件の姿に戻した『奥の院』一同は、改めてその家の玄関の前に立っていた。


「それでは全員、黙祷」


 リーダーが目を閉じ、手を合わせると、他のメンバーも同じようにする。「黙祷の理由は、あえて設定していない。各々思うことは様々だろうからな」とイチジョウは言っていた。イヌマキも、彼らと同じように、目を閉じ、手を合わせる。暗転する視界の中で、イヌマキはこれまでに起こったことを振り返った。ここにいた霊は、どこに行ったのだろうか。なぜ、成仏できない霊になってしまったのだろうか。この世を去れない理由が、何かあるんだろうか。確かに、彼女がこの物件で行っていた悪行は許されることではない。その事実は変わらない。追い出されるのは当然である。ただしかし、この世に未練がなくなって、彼女が安らかに成仏できる日が来ることを、イヌマキは祈った。『脅かすなら、本当に、痴漢するおっさんとかにしてくださいね』とも付け加えて。


「一分経ったな。よし、帰ろう」


 イチジョウが言うと、一同は目を開けて、両腕を降ろす。心なしか全員、黙祷する前よりも清々しく、優しい顔をしているように見えた。皆も同じことを祈ったのかもしれない。とイヌマキは思った。名目上は撃退であるから、表立っては言えない。ただ個人的には、あの霊に同情心があったのかもしれない。それはイヌマキには分からない。人の心は誰も知りえない。でもこの人たちはきっと、優しい心であの一分を過ごしたはずだ。それだけはイヌマキにも分かる。



  四月二十一日



「不思議なことって、あるんですね」


「私も最初は信じられなかった。でも、なぜか毎回こうなるのよ」


 作戦終了から三日が経った。不動産業者からいきなり買い手が決まったと連絡がきたらしく、そのことを伝えるためにミツメが、作戦前に話した喫茶店に呼んでくれた。


「しかし『奥の院』の皆さん、素敵な人たちですね」


「イヌマキちゃんもそう思ってくれたみたいで良かったわ」


「でも、私があの場にいて、役に立てるかどうか……」


「大丈夫よ、なんてったってあなたは、『ホラー映画で絶対に最後まで生き残るタイプ』なんだから」


「でも今のところ、あれらの知識が役に立ちそうと思ったことは無いんですけど……」


 イヌマキがそう言うと、ミツメは「わかってないわね、イヌマキちゃん」と笑った。


「あれはね、半ばおまじないみたいなもの。自分はどんな霊障があっても生き残るっていう認識は、無意識のうちに自身の行動に出るわ。生き残るように、霊の一枚上手を行けるように、脳が最善の行動を選択してくれるの。それは奴らと戦うときの最も強力な主力武器でもある……。結局、生きてる人間が最強なんだから! 一回死んだ奴に負けるなんてありえない話だとおもってればいいのよ」


 そう言ってコップに残ったアップルジュースを、ストローで頬がすぼまる程の勢いで一気に飲み干した彼女を見て、イヌマキは苦笑した。確かに作戦中のミツメの行動は、その思考を具現化したようであった。生きている人間が最強であり、最恐でもあると、イヌマキは思った。


「とにかく、生きてるって素晴らしいことなんだって、よく思うようになったわ、このサークルに入ってから」


「私も本当に、それは思いました」


「そう思ってくれれば、初陣は百点満点よ。あと、早寝早起き朝ごはん! これ次までの宿題ね。生命力の高い行為が、霊障への防御力となってくれるからね。それじゃ、私この後授業があるから、そろそろ行かなきゃ。次の作戦で会いましょう」


 またね、と手を振り、ミツメは喫茶店を後にする。彼女の後姿を見送りながら、イヌマキもほぼ手に付けていなかった紅茶をものの二秒ほどで飲み干し、ぽつりと呟いた。


「今日もミツメさん、お会計忘れていったな……」


 そう言って笑うイヌマキに、もう彼女を咎めようと思う気持ちは無かった。


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