第31話 夏コミ~Side黒~(前編)

日曜日の朝。


目覚ましが鳴る。7時。


……今日は佐々木に教えてもらった夏コミの最終日だ。


支度をして、リビングに向かう。


母さんがいた。


「おはよう、蓮」


「……おはよう」


「今日は?」


「……ちょっと出てくる」


「そう。気をつけてね」


「……ああ」


朝食を済ませて、部屋に戻る。


リュックにメモ帳とペンを入れる。ポップ、配置、値段、SNS。全部メモしてくる。


スマホで白石にメッセージ。


『今から出る』


すぐ返信。


『あたしも』


『10時、ビッグサイト集合な。一般入場だから並ぶと思う』


『わかった』


……白石と、夏コミ。


市場調査。


なのに、こころなしかドキドキする。


気がする。


……なんでだ。




りんかい線、国際展示場駅。


改札の前で白石を待つ。


人の波。すごい数。見渡す限りの人、人、人。


この暴力的な人の海。圧巻だ。


……これが、コミケか。


白石が来た。


「……おはよう」


「おはよう」


白石、私服。


ノースリーブのワンピース。肩が出てる。


……暑いから、薄着なのは当然だ。


でも、なんか目のやり場に困る。


「すごい人ね」


「……ああ」


ビッグサイトに向かう。


人の流れに乗って歩く。


入場列に並ぶ。


圧倒的な人の数。数千人?数万人?列がどこまでも続いてる。


「……これが、コミケ」


「……コミティアとは、スケールが全然違うわね」


佐々木が言ってた通りだ。


10時、開場のアナウンス。


歓声が上がる。


列が少しずつ動き始める。


……でも、なかなか進まない。


10分経っても、まだほとんど動いてない。


「……暑いわね」


白石が呟く。8月の日差しが容赦ない。


周りを見る。折りたたみの椅子に座ってる人。日傘を差してる人。凍らせたペットボトルを首に当ててる人。コスプレしてる人。台車を引いてる人。業者みたいな装備のグループ。


……準備が違う。


「……あたしたち、なめてたわね」


「……ああ」


「あの人たち、何冊買うつもりなんだろ」


「……俺たちも同じこと思われてるかもな」


「あたしたちはまだ手ぶらよ」


「……帰りはどうなるかわからないけど」


「あんた、買う気満々じゃない」


「市場調査だ」


「……あたしも」


お互い、目を逸らす。


「……初参加丸出しで恥ずかしいわね」


「……まあ、だから勉強しに来たんだろ」


「……そうね。来年は、ちゃんと準備しよう」


……来年も来る前提で話してる。白石と。


しばらく無言。列は相変わらず進まない。


「……ねえ」


白石が言う。


「こんなにたくさんの人が、同人誌を買いに来てる」


「……ああ」


「いつか、コミケも出してみたいわね」


コミケ。


この規模。この熱気。この人の数。


ここに、サークルとして参加する。


俺たちの本を、この何万人の中から見つけてもらう。


……途方もない話だ。


でも。


「いつか」じゃなくて、「次」でもいいんじゃないか。


冬コミ。12月。まだ4ヶ月ある。


コミティアで結果出せたら……いけるかもしれない。


「……そうだな」


白石の目が輝いてる。


……悪くない。


10時半。まだビッグサイトの建物すら見えない。


11時を過ぎた頃、ようやく入場ゲートが見えてきた。


11時半。やっとホールに入れた。


冷房が効いてる。生き返る。


人の波。押される。


白石が人混みに押されてる。


迷子になりそうだ。


俺は白石の手を引いた。


「……離れるな」


「……!」


白石の手。


小さい。温かい。


……なんだ、これ。


ドキドキする。


でも、離すわけにはいかない。この人混みで離れたら、合流できなくなる。


そう。実用的な判断だ。


……多分。


ホールに入る。


サークルスペースがずらり。机が何百、何千。その上に本が並んでる。


「……すごい」


「……ああ」


こんなに、サークルがあるんだ。




まず二次創作エリアを見て回る。


「あたしたちはオリジナルだけど、売れてるサークルの見せ方は参考になるだろ」


「……そうね」


メジャー漫画の二次創作コーナー。


すごい盛り上がり。人気漫画のキャラクターが、いろんなサークルの表紙を飾ってる。


「あ、この漫画、あたしも読んでる」


「……俺も」


ふと、一つのサークルの前で白石が足を止めた。


表紙。あの漫画の、あのキャラクター。


R18。


そのキャラクターが、すごくエロい構図で描かれてる。


白石の顔が赤くなる。


目が合った。


「っ……!」


白石が思わず本で顔を隠す。


「……行きましょう」


白石が早足でその場を離れる。


俺も黙ってついていく。


……なんで隠すんだ。


俺たち、一緒にエロ漫画描いてる仲だろ。今さら何を恥ずかしがってるんだ。


よくわからない。

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