第07話 どうしてこうなった~Side 白~

その日の夜。


あたしは自分の部屋で、ベッドに座っていた。


スマホを見る。


Pixivのアカウント。


Schwarzのコメントが並ぶ。


「ユリアの表情がとても繊細で素敵です」

「光の使い方も綺麗ですね」

「いつも楽しみにしています」


……黒澤蓮が、これを書いてたのか。


あたしの秘密を知った時、Schwarzだってバレた。


あたしは、思わず笑いものにしてしまった。


「PV一桁、笑っちゃうわね」


あの言葉。


(……プライドからだった)


でも、黒澤は。


悔しそうにしてたけど、あたしを笑ったりはしなかった。


皮肉は少しあったけど。


(……あたしはいつもそう)


黒澤のことになると、すぐ感情的になってしまう。


どうしていつもこうなんだろう。


自己嫌悪になる。


あたしの絵を応援してくれてたSchwarz。


彼の書く物語は、どんななのだろう。


スマホで『小説家になろう』を開く。


Schwarzのアカウント。


作品一覧。


異世界転生ファンタジー。

学園もの。

純文学風の短編。


そして――


エロ短編『女騎士がエロスライムに凌辱された件について』。


(……これか)


PV 23。


他の作品より少しだけ高い。


読み始める。


……文章は綺麗だ。成績優秀なだけあって、表現もうまい。キャラクターの心理描写も丁寧。


でも――


(……説明不足なところがある)


展開が唐突だったり、シーンの繋ぎがわかりにくい。特に、女性心理のところが苦手そうだ。ヒロインの感情の動きが、いまいち伝わってこない。


(……あいつらしい)


理屈では完璧。でも、感情の部分が弱い。


それでも――


(……あたしがやったら、このレベルにだって到達できそうにない)


物語の構成力。


キャラクターの背景設定。


文章のリズム感。


これは、あたしには書けない。


(……あたしは、あいつを笑うべきじゃなかった)


謝ろう。


そう思った。


そして――


あたしは気づいた。


黒澤が苦手としている点。

集客。

文章の課題。

女性心理の描写。

エロシーンの女性側の感情。


あたしが苦手としている点。

キャラクターの背景。

物語描写。

構成力。


(……二人でお互いの苦手を補完し合ったら大きく変わるんじゃないか)


あたしの絵。


黒澤の物語。


この二つを組み合わせれば――


(……バズるかもしれない)


どうせエロしか読まれないなら。


どうせエロしか評価されないなら。


最強のエロを作ってやろう。


ムカつくけど黒澤と一緒に。



数日後。


あたしの部屋。


タブレットに向かう。


(……さて、まずは何から始めよう)


エロ漫画を描く。


そう決めたけど――


(……そもそも、エロいってなんだろう)


あたしはエロ絵を描いてきた。


でも、それは「見た目」だけ。


裸体、ポーズ、表情。


でも、本当に「エロい」って、なんだ?


ドキドキするって、なに?


資料は見た。


TLも、BLも、エロ漫画も。


でも――


(……わからない)


絵として描くとき、何を表現すればいいの?


スマホを取る。


黒澤にメッセージを送る。


『ねえ、エロいってなんだと思う?』


しばらく待つ。


返信が来る。


『は?急になんだよ』


あたしは続ける。


『あたし、エロ絵は描いてきたけど、本当にエロいってなんだかわからないの。ドキドキするって、なに?』


少し間が空く。


『……距離感、じゃないか』


『距離感?』


『普段は近づけない距離に、近づく』


『触れるか触れないか、のギリギリ』


『それが、ドキドキを生む』


(……なるほど)


でも、それを絵にするには――


『実際に試してみないとわからないわね』


あたしはそう送る。


『試す?』


『明日、放課後』


『試すっつったって、学校でやるわけにはいかんだろう』


どこで?


提案したのはあたしだ。


ちょっと逡巡するが覚悟を決めて、送信ボタンを送る。


『あたしの部屋に来て。エロいと思うシチュエーションを試すわよ』


少し間が空く。


『本気か?』


『つべこべ言わず来なさい』


『わかった』


決まった。


明日、黒澤が部屋に来る。


(……男子を部屋に入れるなんて、初めてだわ)


ドキドキする。


でも、これが必要。


プロになるための第一歩。



翌日の放課後。あたしの部屋。


タブレットを準備した。


ラフ画も描いておいた。


男女が抱き合うシーン。


でも――


(……恥ずかしい)


こんなの、黒澤に見せるの?


でも、見せなきゃ始まらない。


(……プロよ、あたし。プロ志望だけど)


ドアベルが鳴る。


「はい」


玄関へ向かう。


ドアを開ける。


「……来たわね」


黒澤が立っている。


いつもの無表情。


「……ああ」


「入って」


黒澤が部屋に入る。


(……本当に男子を部屋に入れた)


緊張する。


「で、何を試すんだ?」


黒澤が聞く。


「……これ」


あたしはタブレットを見せる。


男女が抱き合うシーン。


黒澤が見る。


「……これを?」


「そう。この絵、腕の位置がおかしくない?」


「……ああ、確かに」


「試してみましょう」


あたしは立ち上がる。


「え?」


黒澤が驚く。


「リアリティが大事でしょ?」


あたしは黒澤の腕を取る。


「ほら、立って」


「お、おい……」


「何よ、さっきやるって言ったでしょ」


黒澤が立ち上がる。


あたしは黒澤の腕を取って、自分の腰に当てる。


「ほら、こう腕を回して……」


(……近い)


黒澤の体温が伝わってくる。


制服越しでも、はっきりとわかる。


(……なんで、こんなことに)


相手は黒澤蓮よ。


大嫌いな、黒澤蓮。


いつも1位。

いつも無表情。

いつもあたしより上。


そんな奴の腕を、あたしの腰に。


……信じられない。


でも、資料のため。

漫画のため。


仕方ない。


本当に、仕方ない。


「……」


黒澤が黙ってる。


あ。……これ、腰じゃない。下すぎる。


「ちょっと!お尻触らないでよ!」


「お前が当てたんだろ」


「腰って言ったでしょ!腰!」


「腰がどこかわからないんだよ!」


あたしは顔を真っ赤に染めて黒澤の手を少し上にずらす。


(……恥ずかしい)


でも、確かに――


腕の位置、これで合ってる。


黒澤の体温が、手のひらを通して伝わってくる。


制服越しでも、はっきりとわかる。


……近い。


……近すぎる。


黒澤の吐息がかかる距離。


黒澤の髪から、黒澤の香りがする。


……いや、そんなこと考えてる場合じゃない。


こいつは敵よ。

ライバルでも何でもない。

ただの、面倒な男。


いつもあたしより上。

いつも無表情で何考えてるかわからない。

感情がない機械みたい。


そんな奴と、こんな距離に。


「……近すぎる」


黒澤が言う。


「何よ!あんたが逃げるからでしょ!」


「逃げてない」


「逃げてるわよ!ほら、ちゃんとして!」


あたしは頬を紅潮させて睨む。


いつもの、あの目。

黒澤を敵視する、あの目。


でも、手は離さない。


(……こいつ、わかってるのかしら)


いつもの勝気な態度。


でも、顔が熱い。


耳の先まで。


(……あいつも、意識してるのかしら?)


まさか。

あの黒澤蓮が。

いつも無表情のあいつが。


「で、こっちの手はこう……」


あたしは黒澤のもう片方の手を取って、自分の肩に乗せる。


密着。


完全に、密着。


黒澤の髪があたしの顎に触れる。


柔らかくて、さらさらしている。


こんなに近くで男の子の髪に触れるなんて、初めてだ。


……いや、そもそも男の子と、こんなに接近したこと自体が初めてだ。


そして――


(……え)


胸が、当たってしまった。


黒澤の胸に、あたしの胸が。


制服越しでも、はっきりとわかる。


(……まずい)


これは、まずい。


心臓の音が、うるさすぎる。


「……ん」


あたしは、小さく息を呑む。


「……あ」


黒澤も気づいたのか、固まっている。


顔が、さらに赤くなる。


(……こいつも、わかってるのね)


この状況が、どれだけヤバいか。


でも、離れない。


あたしも、動けない。


いや、動きたくない……わけじゃない。

動くべきだ。

こんな奴と、こんな距離にいるべきじゃない。


でも。


「……あんた」


「……何だ」


「……近い」


「お前がそうしろって言ったんだろ」


「そ、そうだけど……」


でも、離れない。


あたしも、動けない。


心臓の鼓動が、やけに大きく聞こえる。


黒澤にも聞こえてないだろうか。


「……」


「……」


二人とも、固まる。


黒澤の呼吸が聞こえる。


少し早い。


あたしと同じだ。


時間が止まったような感覚。


(……これ、本当に参考になるの?)


こんな状況で、冷静に「参考」なんて言葉が出てくるの。


「……お前」


「な、何よ」


あたしの声が、いつもより高い。

いつもの強気な口調じゃない。


「これ、本当に参考になってるのか?」


あたしは顔を上げる。


――距離、10cm。


黒澤の顔が、すぐそこに。


大きな目が、あたしを見つめている。


瞳の中に、あたしが映っている。


(……やばい)


いつも敵意に満ちたこの目が。

今は、ただあたしを見つめている。


「……なってるわよ」


あたしの声が小さい。


いつもの強気な口調じゃない。


「……そうか」


でも、黒澤の顔は紅く染まっている。


あたしも、顔が熱い。


視線が合う。


逸らせない。


いや、逸らすべきだ。

こいつは敵だ。

関わるべきじゃない。


でも。


視界の端に、黒澤の唇が見える。


……待って、何を見てる。


「……離れろ」


「あ、あんたが離れなさいよ!」


あたしは黒澤の手を払いのける。


黒澤も慌てて一歩下がる。


気まずい沈黙。空気が重い。


さっきまでの体温が、手のひらに残っている。


あたしはタブレットを覗き込む。


黒澤から目を逸らす。


(……こいつも、気まずいのかしら)


いつもは堂々としてるくせに。


「……次、このキスシーンなんだけど」


え、待って。


何を言ってるの、あたし。


「はぁ?」


黒澤が驚く。



「このキスシーン、首の角度おかしくないか」


「どこが?」


「こんなに曲がるか?」


黒澤がタブレットを覗き込む。


画面には、男女がキスをしているイラストの下書き。


かなり、際どい角度だ。


「……実際にやってみればわかるでしょ」


あたしは、さらっと言った。


……こいつ、マジで言ってるの、あたし。


「は?」


「ほら、あんたがこっち向いて」


あたしが顔を近づける。


「おい、待て」


「何よ!さっきやるって言ったじゃない!」


……確かに、言った。

「参考にする」って。


でも、キスなんて聞いてない。

しかも、相手は黒澤蓮よ。


大嫌いな、黒澤蓮。


いつも無表情。

いつもあたしより上。

感情がない機械みたい。


そんな奴と、キス……?


でも。


黒澤も顔を近づける。


黒澤の顔が、目の前に。


吐息が触れ合うほど、近い。


黒澤の唇。


……待って、何を考えてる。


「……」


「……」


二人とも、固まる。


黒澤の息遣いが聞こえる。


近すぎて、黒澤の目しか見えない。


大きな目。


今、あたしを見ている。


長い睫毛。


瞳に映るあたしの顔。


……どうして、こんなに近くで見つめ合ってるの。


こいつは敵なのに。

関わりたくないはずなのに。


心臓が、うるさい。


ドクドクと、鼓動が響く。


黒澤の吐息が、あたしの顔に触れる。


温かい。


このまま、あと少し顔を近づけたら……


キス、できる。


黒澤蓮と。

大嫌いな、黒澤蓮と。


「……ん」


黒澤が、小さく声を漏らす。


その声が、あたしの理性を溶かしそうになる。


……待って、これ、もしかして……あたし、今……


「や、やっぱりいいわ!」


あたしは顔を背ける。


顔を真っ赤にして。


耳の先まで、赤く染まっている。


(……顔が熱い)


というか、全身が熱い。


「……お前」


「何よ!」


あたしは睨む。


いつもの、あの目。

敵意に満ちた、あの目。


でも、目が泳いでいる。


「今のは……」


「な、何でもないわよ!次行くわよ!」


あたしはタブレットをスクロールする。


手が震えている。


「……次は、えっと……」


声も震えている。


(……あたし)


完全に、意識してる。


大嫌いなはずのこいつを。


「……お前」


「な、何よ!」


「無理しなくていいぞ」


「無理なんてしてないわよ!」


強がる。


でも、黒澤と目が合わない。


……あたしも、してる。


こいつのことを。

大嫌いなはずの、こいつのことを。


どうして、こうなった。



タブレットの画面。


そこに映るのは――かなり際どいシーン。


男女が、ベッドの上で……


……これ、描くの。


「……これ、リアリティあるのか?」


黒澤が聞く。


「……」


あたしは真っ赤になって、画面から目を逸らす。


「……知らないわよ。経験ないし」


小さな声。


いつもの強気なあたしじゃない。


「……俺もない」


沈黙。


重い、沈黙。


さっきまでの、あの距離感が頭をよぎる。


黒澤の体温。


シャンプーの匂い。


吐息。


……やばい。


気まずい。


すごく、気まずい。


「……もういい!今日はここまで!」


あたしはタブレットを閉じる。


「……そうだな」


あたしはタブレットをしまって立ち上がる。


黒澤も立ち上がる。


「……明日も、また打ち合わせ。よろしく」


あたしは言う。


黒澤を見ないで。


いつもなら、堂々と黒澤を睨みつけてるのに。


「……おう」


あたしも、黒澤を見られない。


あたしは部屋を出る。


早足で。


黒澤が一人、残される。



自分の部屋に戻る。


ベッドに倒れ込む。


……どうしてこうなった。


大嫌いな黒澤蓮と、かなり際どいことをしている。


しかも、あんなに密着して……。


顔が熱い。


全身が熱い。


手のひらに、まだ黒澤の体温が残っている気がする。


黒澤の髪の柔らかさ。

黒澤の吐息。

黒澤の声。


全部、生々しく記憶に焼きついている。


あの距離感。


あの、10cm。


……キス、できる距離だった。


いや、待って。


何を考えてるの。


相手は黒澤蓮よ。


大嫌いな、黒澤蓮。


いつもあたしより上。

いつも無表情。

いつも冷静で、感情が読めない。


あたしに突っかかられても、冷たく流す。

あたしの成績を見ても、何も言わない。

あたしを敵とも思ってない。


そんな奴だ。


関わりたくもない。

話したくもない。

顔も見たくない。


そんな奴のはずだった。


でも……


……でも、今日の黒澤は、いつもと違った。


真っ赤な顔。


固まった様子。


小さく漏れた声。


あたしを見つめる、あの瞳。


あの距離で。

あの温もりで。


……ああ、もう!


あたしは枕に顔を埋めた。


――どうして、こうなった。

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