第16話 ご褒美

 生徒会室では、ルルさんが一人で黙々と仕事をしていた。

 差し入れはあるけれど、仕事の邪魔をしたくない。

 チャイムが鳴るまで、静かに待とう。

 ……けれど、その静寂は思いのほか早く破られた。


「おかえり、真宵。生徒からの依頼は上手くいったか。」


 椅子に座ろうとした瞬間、目の前の書類に集中していたはずのルルさんが、声をかけてくれた。

 いつの間にか仕事を切りあげていたようで、頬杖をついてこちらを眺めていた。


「仕事は、いいのですか。」

「ああ、ちょうどキリの良いタイミングだった。それに、お前の話を聞きたいからな。」

「ありがとうございます。今日は初めてお手伝いが出来ましたよ。」


 ルルさんに交流の成果を話した。

 私の拙い説明にも、ルルさんは時折相槌をしてくれたりと、楽しそうに聞いてくれた。

 ちゃんと彼の息抜きとして役に立っていることに安堵する。


「……そうか。お前も生徒の感情が少しずつ読み取れるようになってきたか。大きな進歩だ。」

「そういえば、ルルさん。家庭科部から差し入れをいただきました。ぜひ召し上がってください。」


 私は家庭科部の部長からいただいたいちごとチョコのカップケーキを2つ、ルルさんの前に差し出した。


「これは家庭科部の試作品か?」

「いえ、家庭科部から個人でいただいたものです。ルルさんは、イチゴが好きだと聞きましたので。」

「くく、まさか生徒から俺様の好物を教わるとは。……そこまで仲良くなったか。安心した。」

 私からカップケーキを受け取ったルルさんは、頬杖をつきながら嬉しそうに観察している。


「ルルさんの好きな物がイチゴとは、少し意外でした。好きな理由はなんですか?」

「……イチゴが大好物の人がいてな。そいつにイチゴが美味しいということを教えてもらったんだ。」

「そうだったんですね。なら、ぜひ自分へのご褒美として食べてください。」

「ああ、感謝する。…………そうだ。」


 何かを思いついたのか、不敵に笑うルルさん。

 おもむろに、私へカップケーキを差し出した。


「真宵、自分へのご褒美として食べろといったな。」

「はい。食べないのですか?」

「――なら、ご褒美として俺様に食べさせてくれ。」

「なっ?!」


 低く艶を帯びた声が、空気を震わせた。

 呼吸が一瞬止まる。

 思わず声が上擦ってしまった。

 そんな私を、ルルさんは意地の悪い笑顔を浮かべている。


「急に何を言い出すんですか?!」

「俺様は、自分の仕事をしている中でお前の業務を間接的に手伝った。なら、ご褒美があってもよいだろう。……例えば、今、俺様は疲労から手を動かせない。真宵、お前が俺様の手となり、その洋菓子を食べさせてくれ。」


 さっきまで動かせないはずの手で書類整理をしていた上に、カップケーキを受け取っていたじゃないか!

 ……喉まで出かかった言葉を辛うじて留める。

 そうだ。

 文句を言いそうになったが、私の相談を受けてくれたことは事実。

 ルルさんのアドバイスがあったから、初めての生徒会業務はうまくいった。

 …………何も言い返せないじゃないか。


「さぁ、真宵。」


 覚悟を決め、ルルさんからカップケーキを受け取った。

 封を開ける。

 いちごとチョコレートの甘酸っぱい香りが私たちを包んだ。


「良い香りだな。味が楽しみだ。」


 くっ!

 ルルさんが、自身の口元に触れる。

 私の羞恥心なんて知らんと言わんばかりの態度だ。

 自然と口元へ視線を向ければ、彼と目が合う。

 二人の間に流れる空気が、急に甘く重くなった。

 彼の瞳に映る自分の姿が、息苦しいほど近い。


「ほら、真宵。……あーんだ。」


 ぞくっとするような蠱惑的な表情と声だった。

 ずるい。

 抗えない。

 カップケーキを一口サイズに分け、手元が狂わないようにルルさんの唇へゆっくりと近づける。

 ええいままよ!

 口に入れさせる間、ルルさんは瞬きもせず、こちらを凝視していた。

 その余裕な態度が悔しい。


「……相変わらず美味いな。さすが、我が校の家庭科部だ。」


 ルルさんのお気に召したようで何よりです。


「真宵、ご褒美だ。お前も食べてみろ。」

「えっ。」


 ルルさんは私の唇へ、一口サイズに分けたカップケーキを近づけた。

 反射的に背を向ける。

 ――が、それよりも早く後頭部をルルさんの手が支えた。


「……無駄だぞ?」


 低く、落ち着いた声。

 ぞくりと背筋が震える。

 せめてもの抵抗として、力いっぱい後ろへ離れようとしたが、ビクともしない。


「くく、遠慮するな真宵。」


 だんだん、お互いの距離が縮まっていく。

 もう少しで、唇が触れてしまうのではないかという距離。

 その中で、ルルさんは――まるで、この状況をずっと期待していたかのように目を細め、ふわりとほほ笑んでいた。


「ほら、あーんだ。」


 これ以上の恥ずかしさに耐えきれず、目を閉じた。

 ゆっくりと私の口へカップケーキが入れられる。

 口の中でいちごの爽やかな風味とチョコレートの苦みが広がった。


「……くくっ。どうだ、真宵。少し苦みのあるカップケーキだったがうまかったか?」


 美味しかったが、それどころではない。


「ん?味がわからなかったのか。では、もう一度食べさせてやろう。次も手で食べたいか?それとも……」


 ルルさんは私の下唇を指で軽く撫でる。

 小さく笑い、ほんの一瞬だけ、私の耳元に近づいた。


「――口がよいか、真宵?」

「?!」

「なんて、冗談だ。……くくっ、そんな顔を真っ赤にして慌てるな。見ていて飽きないな、真宵。」


 ルルさんは軽く笑い、私の頭を撫でた。

 優しい手のひらの温度が、いつまでも消えなかった。

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