王国の分裂について

 王歴749年末、7世紀以上の永きにわたり大陸中央を統治していた神聖フォルツ王国と、それを治めるジマシュタッツ王朝は正に崩壊の危機に瀕していた。いや、嘗ては遥か東方より異民族の朝貢を受けたこともある老王国はその時分において、既に体制としては屋台骨から軋み半ば崩れかかっていたとすら、当時の文官の日記には記されているものもあったくらいである。

 しかしである。その僅か10年前の王歴739年において、当該王朝は西の異教徒の侵攻を防ぎきり、また北方異民族への征討作戦を決行し見事成功させてもいた。衰えたりとは言え、確かな国力と統治能力を有する国家ではあったのだ。

 それが、その10年後にはそのような体たらくへの滑落。歴史の経過としての、その事実を知る我々後世の人間でさえ、その急速な衰退はまったく解せない話であると言えよう。

 確かに、当時の王国に問題が無かったとは口が裂けても言えないのは事実だ。それは、王都より離れるを幸いに軍閥化した辺境軍団や、王娘を娶合わせた貴族連中による農地私有の拡大など今でも崩壊の原因として耳目を惹く。また、それら以外にも大小の政治的、倫理的な腐敗は確実に王国を蝕んでいた。それは間違いの無い事実ではある。

 しかし、だとしても繰り返しになるが、10年前には他勢力を押し返す程度の力はまだあったのだ。そこから考えれば、王国があそこまで見事に分裂するにはもう幾世紀が必要な筈であり、その間に名君が立てば中興を成し遂げることも不可能ではなかったであろう。

 にもかかわらず、王国にそのような未来は訪れず、四部五裂の憂き目を見る羽目になってしまった。その理由は何なのか。いくら体制的腐敗があろうと、たかが10年程度で急速に進行するようなものではない、緩やかに衰えゆく筈だった老大国の寿命を一気に削った存在は何だったのか。

 それを文章にして記すのは、帝室に仕える臣民として非情に心苦しいものがある。けれど、だからといって過去の教訓から目を背け、阿諛追従の美辞麗句を記すのみが忠臣でないことも事実である。

 だからこそ、私は記そう。王国の崩壊を早めた原因にして元凶、それは偏に我らが帝国太祖ガンコード帝、その曽祖父でもある第15代国王ゴケラウス=ジマシュタッツ、その人にあると。

 この15代目は、当時の資料によればとんだ凡愚であったらしい。虚弱体質にもかかわらず政務勉学を厭い遊興にのみ耽り、それを咎めたスコウ王太子を南方僻地へ将軍待遇として放逐し、容姿端麗の末子シーデを偏愛して長幼の序を乱した。

 また、その奔放な生活の結果としての子沢山、にもかかわらず虚弱は遺伝するのか10歳を越えた子女は十数名、男系王族は未認知の妾腹含めて数人しか存命し得なかったという。正に暗君の見本のような人物であり、当家の先代にも「あの王がもう少し分別を弁えておれば王国にあのような混乱は無く、王朝はあと幾世紀は無事に存続出来たであろう、その是非は兎も角として」とまで評される愚物であった、とされている。

 無論、王朝交代期の人物、それもキーパーソンであるからには悪し様に評され『なければならな』かった面は多分にあろうし、幼少の砌に父を失い、18の砌に兄王を失うことで急遽王位を継ぐことになってしまったことには同情の余地はある。しかし、ある程度の噂は差っ引いたとしても。少なくともその子沢山と子孫の短命は王統の系譜に記されていることであるし、碌に政務に携わらなかったことも、これまた当時の議録を見れば明らかである。根拠なき悪口の弁は慎むとしても凡そ、他人の上に立つべき人物ではなかったとは言えようか。

 さてその愚物の王である。そこまで好き勝手をした挙句その最期が近づくにつれ、偏愛する可愛いシーデの未来が不安になったらしい。輾転反側、苦悩をしたかどうかは兎も角、とうとうスコウに対して謀反の疑いで剣を授ける勅を下してしまったのだ。

 まったく、愚かなことをしたものであるが、スコウはこんな父に似ず、気骨はともあれ性質は善良な人間であったとされる。自ら率いる南方軍の戦力を以ち、実際に謀反を起こすことも可能であったであろうに素直にも、王勅を素直に受け入れ自刎して果てたのだ。その面で言えばこのスコウもまた、王たる器では無かったと言えるのかもしれない。生き汚さは悪徳であるが、生に淡泊過ぎるのも又、政策的継続を是とする政治の世界においては美徳とは言い切れまい。

 しかし、勅を受け入れて自刎したスコウはそれで禊が済んだのかもしれないが、それでは収まらないのは彼の配下として附けられていた、南方軍の将兵である。

 何せ、謀反の疑いとあらばその首謀者であった王太子の配下であった諸将も死を賜るは必定、情状酌量を認めれれば良くて未開拓地域での強制労働の憂き目と相成るのだ。生憎とその当時に南方軍を率いていたランゴルド・ロートフォルケン准将はそんな、まったく身に覚えの無い処罰を受け入れるようなお人好しの殉職者では無かった。

 彼、そしてその直隷の軍団である紅隼隊は直ちに行動を起こした。自らを代将軍と僭称すると勅使を討ち、その首を王都ブルーセウムに送り付けて王太子の嫡子タシンを担ぎ上げ、新生王国の建国を宣言したのだ。彼は言いがかりのような謀反疑いを発端として、本物の反乱を起こしたのである。

 まったくこれは『藪をつついて蛇を出す』の故事そのものな出来であったが、さりとてこのような出来事が無かったとしても、果たして彼の御仁が大人しく臣下のイチ軍人で収まったかどうかについては、これまた議論の分かれるところであるが。

 そんな時、正に悪魔が見計らったかのようなタイミングで、王国に更なる凶報が齎された。

 渦中の王、即ちゴケラウス王の崩御である。

 しかもよりにもよって、その遠行なされた場所が悪かった。王都ブルーセウムでなし、王娘を賜っていた高等貴族のショーン=ガンブル公爵領内にあったリンハイム離宮で崩御されたのだ。反乱騒ぎを巻き起こしている時分に王都から離れていたことについては彼の王の意図としては・・・等と仰々しく言い募る必要は皆無であろう。世俗の喧騒や堅苦しい文官から逃避して享楽に耽るのに、娘の嫁ぎ先に設けた離宮が好ましかっただけの話である。

 しかし、その報せを受けてガンブル公は唖然としてその杖を落とした、とされている。それが事実かどうかは彼の自伝にしか記されていないので怪しくはあるが、少なくともこのような事態を好意的に受け止めていなかったであろうことは、恐らく正しかろう。

 何故なら、自身の領内にある離宮での、国王陛下の『死』である。それも先に述べたように、体こそ虚弱であったが歳はまだまだ若い国王が、である。畢竟、それを不審死と疑うに吝かでは無い状況であり、また王都の文官たちがその咎で追及し得るのに、何ら支障のない状況でもあった。ただでさえ王都の文官連中は、自分たち貴族が王の意向を盾に好き勝手振舞うのを苦々しく思っていたその首班の首を断つチャンスを逃す筈は無いに違いない。

 そして、ガンブル公もまた行動の人であった。その行動は早く、謀反の報せを幸いに王の死に呆然としていたリンハイム離宮にて随伴していた文官たちを私兵を以て抑留し、非常事態を宣言して本来は規則で王都にて開封されることとなっていた遺言を独断で発表したのだ。勿論、抑留した文官に対しては有形無形の圧力を以て自分たちの下に『自主的に』就くよう促したのは言うまでもない。

 そうして反対意見を述べる者を封殺した後、ガンブル公はゴケラウス王に同行していた末子シーデの16代王位戴冠と、ガンブル公の孫娘との婚約を王の遺言と称して発表する。無論、その『遺言』なる存在の実否については、非常に怪しいと言わざるを得ないだろう。

 だが、真偽の価値は時として剛腕に敗北する。このようにして先ず機先を制して、自身が手に命令権を握ることに成功したガンブル公は、更に続けざまに権勢掌握に向けて手を打つ。シーデはその時分僅か13歳、このように幼冲の王ではこの非常時に対応出来ぬとし、王が成人するまでは国体を貴族による連合合議制にて運用すると宣言したのである。勿論『合議制』とは云うものの、その実態として貴族の領袖であり当該地域の領主であるガンブル公が絶対の権勢を有していることは、誰の目に見ても明らかである。

 これら僭称王が林立するという非常事態に対し、王都ブルーセウムにて政務を担当していた行政官吏は、彼らのような強引な手を取ることなく明々たる法規に則って、宣言を行う。南方軍の反乱とタシン王の推戴は言うに及ばず、ガンブル公の宣言したシーデ王の即位と、その下で発表された貴族連合制への移行をも、王国への反乱であると断定したのだ。そして王国の法に基づきゴケラウス王の実弟であり王太弟でもあったカクケラウス=フートゥルトンをゴケラウスの養子とし、第16代国王として推戴したのである。これは当時、内務尚書として尚書台首座を務めていたアーノルド=ノイシュタイン侯爵の策謀だとされている。

 このようにしてゴケラウス王の崩御から僅か1月足らずのうちに、神聖フォルツ王国は3つに分裂し、後の現代において『三国時代』と称される時代の始まりとなった訳である。各勢力はそれぞれが王族を推戴していたこともあり、当然のようにそれぞれが自らを正統とし、認めぬは反逆者と断じた。即ちそれぞれにおいて相手へは懐柔も、統合も、合邦すら困難である。そんな状態においては王国を再び統一する、その為には自分たち以外を攻め滅ぼすしかなくなった。

 さて、これ以後の章では分裂した王国の歴史と、やがて太祖の手により王国の統一が叶うまで百年近くを扱っていく訳であるが、そこにおいて困るのが、これら各勢力の呼称である。言うまでもない話であるが、それぞれの勢力は当然のように自らが担ぐ王を第16代目として扱っている為、これまた当然の話として自勢力の名称は神聖フォルツ王国である。

 しかし、そうなれば内乱という点をさて置くとしても、どの勢力と、どの勢力の話をしているのかが大変に分かり辛いことになる。

 その為、名称の確実性を肝に銘じている歴史家としては、断腸の思いではあるものの、それぞれが王都と定めた都市にちなんで現代史学で通例的に呼称されているフォルツ王国=カクケラウス王勢力、新生リオン王国=タシン王勢力、リンツハイム貴族連合=シーデ王勢力という表現を使用することをお許し頂きたい。ただ、貴族連合や新王国といった呼び名は当時から使われており、また人口に膾炙した名称でもあるので、それほどの違和感を覚える事は少ないとは思うけれど。どうか読者の皆様方におかれては、寛恕頂ければ幸いである。

 ※ランブラント=クイティノイン著『王国の勃興』第3節1章より抜粋

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