第2話 フォルツ王国
時は暫し遡り4か月前、王都ブルーセウムは謁見の間にて。
現在のベルゲン州ルクサンプロヴェンス。この当時は王国領の西寄りに存在した、神聖フォルツ王国の王都であるブルーセウム。その中央に位置する白亜の王宮は今は昔、太祖タクジス王の御世にて建築され、建築王として名高い第5代国王クランス王の御代に再建されたものである。
従ってその建築様式はタクジス王の好んだ壮大な風潮を基礎にして、その上にクランス王の時分の流行りであった豪奢を排した質実剛健な風潮が折り重なって調和した荘厳な佇まい。それは、正に国王が住まうべきと言える建築物であり、堂々その威容を世に示していた。
その、数多の蛮族諸民族が謁見に訪れた宮殿は、大元が太祖に由るものでもあったからだろう。流石にあのゴケラウス王でも自分好みに改造出来なかったらしく、他の離宮などが扱いに困る艶めかしいセクシュアルな様式に改悪されているのを余所目にしながら、こうして昔日の姿のままに新たな主を迎え入れていた。
「・・・ふむ」
そして、その新しい主であるカクケラウス=フートゥルトン改め新王カクケラウス=ジマシュタッツ。昨日戴冠したばかりの彼はその据えられたばかりの玉座にて、上奏を受け目を通していた報告の冊子を渋い顔にてパタンと閉じた。
カクケラウス王、実年齢は50代前半なのだが、その狭隘な顔つきから年嵩に見られることが多く、現に彼を王宮に迎え入れた侍従の1人は彼を年甲斐も無く髪を染めた、60過ぎの老境とさえ見定めていた。猛禽のような鋭い相眼と、スッパリ削ぎ落したような頬の線を持つ男だ。良く評価する者には厳俊、悪く評価する者には酷薄と映る、少なくとも人好きはしない相貌である。
「ノイシュタイン侯、報告は確かに受け取った」
「は」
その、玉座にて発した国王としての第一声に対して。これも昨日内務尚書、即ち尚書台首座を拝命したアーノルド=ノイシュタイン侯爵は、恭しく首を垂れる。
「しかしな、侯よ。
そう言い、カクケラウス王は冊子を傍の侍従にへと下げ渡す。
「無論、理解出来るように成らねばならぬ、というのは重々承知しておる。が、今は火急の折、孤の自学自習を待ち呆けておる余裕は無かろう。説明を許す」
「承りましてございます」
そう発し、再び恭しく礼をしてから立ち上がると、アーノルドはカクケラウス王へと上奏した冊子の写しを手に取り頁を捲った。
「では、先ずは王国の情勢について。その報告書にも記載させておりますが現状、我が神聖フォルツ王国領の東半分は貴族連合に、南部地域は新王国を名乗る反乱軍に占拠されております。従って、実質的な我が国の領土としては東は中央山地、南はカンナー要塞まで縮小したとなりましょう」
「むう」
「また、多くの貴族が貴族連合に参画すると標榜して逃亡しております。逃亡した貴族連中、及び配下の武官を合わせますと・・・中央で役職に就いていた者の半数以上が、実質的に居なくなった計算となります」
そこまで一息にアーノルドが語り終わるのを待って、カクケラウス王は深く嘆息した。
「・・・酷いものだな、ノイシュタイン侯。それで、悪い知らせはそれだけか?」
「悪い知らせ?いえ、陛下。失礼ながら申し上げますが、領土については兎も角、貴族の逃走については『良い知らせ』というものです。奴ら、愚かしくも捕縛を恐れてか着の身着のままで逃亡しておりまして、家屋敷や財産、その殆どは放置したまま。既に、王家反逆罪を以てそ奴らの家屋敷財物は接収しております」
それらの金銭的な価値が現状、分かっているだけで国家予算の3倍程の額と聞かされた際にはカクケラウスのみならず、傍に控えていた侍従も思わず目を丸くした。それらを没収したとあれば即ち、それだけの財物が国庫に転がり込んだことになるからだ。
「それに、逃亡した連中にしてもその悉くが家柄に胡坐をかいた小物ばかりで、失くして惜しい者共ではありません。第一、王国の今日の衰退を招いたのは軍閥と貴族です。それら不良債権が自ら損切されてくれたのですから、王に致しましても望むところではありませんか?」
「そうは言うがな、侯よ。孤が考えるに、王国の豊かな農地は貴族連合に奪われ、精強な軍兵は反乱軍に奪われておる。これで、どうやれば叛徒どもに打ち勝ち、悠久の王国を取り戻せるのか・・・その展望が全くとして見えんのだ。そもそも、打ち勝つどころか、此方が真っ先に攻め滅ぼされるのではないのか?」
そのような悲観をカクケラウス王は流々と述べるが、その割には表情に悲壮感は無く、寧ろ面白がっているようにも見えた。
「いいえ、王よ。その危惧については、まったく問題ありません」
そして、その作麼生に応えるかのように、アーノルドも淡々と事実を述べるが如く、説破を唱える。
「何故かと申しますと、先ず貴族連合と反乱軍、その両者とも主張するところが同質どころか相反しておりますため、我々へ攻め込むより前に互いへと備えねばなりません。また、地理的趨勢としましても貴族連合は北方蛮族、反乱軍は南西の異教徒への備えを怠るわけにはいかず、全戦力を費やすことは適いません」
もっとも、分離独立を図る前に予め交渉でもしていれば話は別だろうが・・・とは、アーノルドは口にしなかった。不必要な危急を以て危機感を煽らなければならない程、彼の主君は愚鈍ではないからだ。
その代わりに、いけしゃあしゃあと自信満々に、自分たちの利点を論う。それは、王の傍らに控える侍従たちに言い含める意味もあった。
「それに対して、我が軍はと言えば東は山地が天然の防壁、南方はカンナー要塞にて兵を固めております。その為少なくとも、一朝一夕で攻め滅ぼされることはまず、ありえません」
「ふむ。敵情は良く分かった。では逆に、我が方が敵に勝りたるような点、と呼べるようなものはあるのか?」
「それでは。敢えて申し上げますと、国王陛下は叛徒共に比して、2つの絶対有利を握っておられます」
その自信満々な物言いに、カクケラウス王は思わず「2つもか」と漏らす。それをキッチリ聞いて頷くと、
「1つはこの王都、ブルーセウムです。幸いなことに、今年度分の各種租税は既に国庫に納められており、まだ配分されておりません。四半分の領地に対して、ほぼ全額の国家予算、即ち陛下は通常の4倍の、いえ金食い虫の貴族連中が居ない為、それ以上もの予算を投入することが出来るのです。反対に、叛徒どもは既に税を納めた民衆から更に収奪するか身銭を切るかとなりますので、この有利は得難い差を生むと思われます」
「・・・成程、な。彼奴らは少なくとも今後1年以内、軍を動かす場合は備蓄してある糧秣を使う他なく、必然的に動きにも制限が齎される、と」
「左様で御座います。そして2つめは、王都を占する我々が、対外的には飽く迄正統であるということです。既に、先々代より我が国と繋がりのある東方諸国よりは、我々とこれまで通りの通商を行う旨の確約を得ております。その為、交易による収入はこれまで通りとなるでしょう」
加えて、聖樹教の過激派集団である西方騎士団とやらも、一応はカクケラウス王の治めるフォルツ王国を正統と認める腹積もりらしい。100%の信頼を置ける存在ではないものの、それでも一先ず敵対的ではない存在として扱えるのは現状のアーノルドとしても有難かった。
「以上を以て、陛下の治世への現状と展望について述べさせて頂きました。では、その上で私よりお願いが御座います」
「ふむ、続けたまえ」
「有難く。では・・・つきましては、陛下におかれましては身分や出身に拘らず、これは、という有才の人員をお取り立て下さいませ。今までは家柄や異民族の血というだけで、才覚があるにも関わらず不当に取り扱われていた者が大勢おります。それらの者の内、見どころのある者をそれに相応しき役職や地位に登用するのです。さすれば登用された者は、それも今まで不当に扱われていた者程、陛下に絶対の忠誠を誓うでしょう」
「お主のようにか、ノイシュタイン侯?」
「私などは、とてもとても。非才の身なれど、陛下の御厚情下さいますこと、慚愧に堪えません」
そう言って恭しく礼をするアーノルドを、カクケラウス王は三文芝居を見るような目で見下しつつ問うた。
「それで、彼奴等に勝てるのか?」
「打ち勝てる、とは今は申せません。戦争と言うものは結局のところ数がものを言います故」
対して、阿諛追従なくハッキリとそう述べたアーノルドにはフッと目尻を和らげる。君臣の紐帯、ここに在りという奴であろうか。
「しかし、先にも申しました通り、反徒共は我が方を容易に討つことは出来ません。そうして時を稼ぐ間に陛下が人心を掌握し、軍は忠勇なる兵士や将校を揃え、臣民には善政を敷き国家を富ませれば。やがて万の軍勢にも等しき精鋭、キョウズイ
因みに、キョウズイ車騎将軍とは太祖の爪牙として戦場を駆けた武辺者、リュークン宰相とは太祖の治世を些かの乱れも無く導いた能臣である。つまりは王国における文武の英傑であり、そのことは彼らの没後以降、車騎将軍も宰相も礼儀として空位とされていることからも分かろう。
「対して、我らに対する叛徒どもは軍閥に貴族と王国の不良債権ばかり。数年、いや半年もたたずに馬脚を現すことでしょう。これを討ち、何事ぞ陛下には中興の祖と後世に呼ばれていただきますよう、重ねてお願い申し上げます」
「何とも豪儀な話だな。・・・まあよい、貴公が安直な謀りを述べるような人物でないことは、既に存じておる。その大言壮語、受け入れることとしよう。上奏、大義であった」
「有り難き幸せ。それでは失礼いたします」
そう述べると若き宰相府首座は足早に謁見の間を立ち去る。その去り行く線の細い背中を見送りつつ、カクケラウス王は小さく呟いた。
「しかしな、その大言。貴殿の双肩に託さねばならぬ物ではないのだぞ」
「・・・・・・ふう」
流石のアーノルドも廊下に出ると余程の緊張の現れか、安堵の息を吐いた。
と、そこに見計らったように1つの影が音も無く近づき、
「ほう。流石の鉄面皮も、陛下の前では緊張すると見えるな」
「うわっ!・・・と、おお、なんだ君か、コレム中佐。何故こんなところに」
「何故、と言われても、な。これでも俺は、軍務尚書の補佐武官だぞ。宮中にいてもおかしくはあるまい。まあ、肝心要のその軍務尚書殿も他の貴族同様、東方へ逃げ出してしまったがな」
微笑を浮かべてそう述べるアーノルドの友人コレム・アロランドは彼の記憶が確かなら、今年で三十歳になる計算だ。年の割に若く見える容貌と、それを飾る赤銅色の短髪、軍人らしく健康的に鍛えられた肢体といい世間的には中々の好男子だ、と言えるだろう。
それなのに。
「何故、女の影の一つも無いのだろうね」
などとボソっと呟いた台詞は、幸いにも聞かれなかったようだ。話を聞かせろとばかりに軍務尚書の執務室に連れ込むコレムの横顔に、文句の色は見受けられない。
「君の執務室、かい?」
「ああ、ここなら良いだろう。それで、陛下はなんと仰ったんだ?」
「・・・まあ、ここなら誰にも聞かれ無いだろうからね。それより、連れ込んだ客人相手に、茶の一杯も出ないのかな?」
「生憎と尚書殿が逃げ出して以降、事務官連中も碌に立ち寄らなくなってしまったからな、誰も居らんのだ。少し待っていろ、今淹れてくる」
と言うとコレムは面談用の机を指で指し、奥に消えて行ってしまった・・・かと思うと、
「待たせたな」
アーノルドが待つまでもなく、カップ一式をもってサッサと出てきた。さっき声をかけたタイミングからもどうやら準備万端、上奏が終わる彼を待ち構えていたらしい。
「で、どうだった?貴様の言に、陛下は納得されたのか?」
「ああ、なんとかね。いや、しかし・・・この紅茶は大層不味いね」
「そう言うな、朝方よりしっかり煮出しておいたんだぞ。しかし・・・そうか、それは良かった。」
「それは上奏が、かい?それとも、僕の反応が?」
「両方だ」
「やれやれ、しかし、陛下も聡明なお方であるし、何より僕の人品もよくご存じだ。こちらの腹に一物があることぐらいは、先刻承知だろうね」
「なら、其の上でやってみろ、と仰ったということだろう。いやはや、あのゴケラウス先王の弟君とは思えんな」
最後の台詞を掻き消えるように言って、代わりに大きく被りを振った。流石のコレムも、不敬罪で死にたくはないのだろう。
「まあ良い。それで、だ」
「それで、とは?」
「それで、実際のところどうなんだ。お前の見立てで、果たして王国の再統一は叶うのか?」
「無理だろう、少なくとも今後数十年はね。一応、新編の銃兵隊はこちらに残ってくれたのは明るいニュースだけど、それでも兵力の差自体は圧倒的だ。ただ・・・」
「ただ?」
「ただ、僕はそれで良いと思っているんだよ」
「ほう、それはどういう了見だ。再統一無くして国家の繁栄が望めると」
想定外の意見に、コレムはついと膝を出して問う。
「なら・・・逆に聞こうか、友よ。どうして我らが偉大なる王国は、かくも腐敗してしまったと思うね?ああ、『先王の不明』というのは無しだよ」
「分からん」
「早いね」
「俺が歴史学者に見えるか」
と言い「フン」と鼻を鳴らすコレムを見るに、割り切りも善し悪しであると感じられよう。
「・・・まあいいか。なら答えよう、それは外敵だよ」
「外敵?」
「そうだ。確かに、今の貴族連中が国家の癌であることは異論を待たない」
「貴様も含めて、か?」
その言葉に、アーノルドは曖昧に微笑むと、
「・・・が、そもそも貴族制度が確立したのは今から200年も前なんだ。でも、王国の資料をいくら漁っても、その時期から歳入が著しく悪化した、ということは見受けられない。それより寧ろ、今から70数年前に北方蛮族や西方の異教徒が内部分裂の末、弱体化して以降の方が王国の歳入は目に見えて悪化しているんだ。収穫量は増えているはずなのに、だよ」
そこまで一息に言うと、ぐいと不味い紅茶で喉を潤して続ける。
「勿論、ご存じの通り蛮族の侵入自体はある。けれど、あんなチョボチョボなんかで・・・」
「おい」
「済まない、言葉のアヤだ」
ペコリ、と頭を下げる。
「少なくない戦傷者が出てるのに、チョボチョボもないやね」
「気を付けろよ。我俺の仲でなければ、今頃大問題だ」
「舌禍は爺さんからの悪癖かね。まあ、善処するとして・・・話を戻そう。外敵が無くなること自体は良いことだ。だが、困ったことに我が王国は緊張の箍が外れてしまったんだ。今まで苦労した分、少しぐらいは良い目を見てもいいだろう、といった具合にね」
「ふむ・・・続けろ」
「また、逆に外敵に対抗する為に軍人に与えていた特権が既得権益化した、というのも財政悪化の原因の1つだ。分かり易くいえば外敵の脅威が薄れたとしても馘首するな、今まで通りに、いや、もっと沢山よこせと言ったところだね。つまりは・・・」
そう説明し、更に続けようとしたところ。
「失礼します」
コンコンとドアをノックする音が聞こえ、コレムが「良いぞ」断ると。開けられたドアからひょっこりと顔を出したのはお互いに既知の顔、アーノルドの補佐官を務めるアーガストだった。
アーガストは「見つけた!」とばかりに瞳を輝かせると、
「やはり、此処におられたのですね、ノイシュタイン候!お約束をしておられました、コントリー船長が応接間でお待ちですよ!」
そう言って眦を吊り上げる彼の言葉を受けて、アーノルドはワザとらしくブルリと身を震わせる。
「やれやれ、見つかってしまったようだね。すまないな、中佐。この続きはまた今度にしよう」
そう、言い終わるが早いか、アーノルドはアーガストに連れ出されるようにして、廊下の果てに消えて行ってしまった。
「ふん・・・・・・厄介な奴だ」
そうして残されたコレム中佐は誰もいなくなった一室で独り、残された紅茶を啜って「不味いな」と、独りごちるしかなかった。
そして、時間は再び4か月後。コレムはそんなアーノルドの描いた青写真の元で、運命の戦いへと進む訳である。
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