漆喰の記憶

きつねを見失ったつゆ。


「なんだったんだ?」


そう思ったが、突然現れたのなら突然消えるのは道理…そう思う事にした。


「さてと、どうやって家まで帰ろうか…」


そう小さく呟いて、大通りにある地図を見に行く。


「へぇ…ここ温泉あるんだ…」とか思いながら帰り方を考えていると後ろから声をかけたれた。


「あら?吉岡さん?」

この集落全体でつゆの事を知っているのはご近所の加藤さんと、

あと一人だけ…不動産屋の明智だ…オフの日なのか、何故か和装で。


「あ、明智さん!おはようございます。」


「早いですね、どうしたんですか?」


「いや、朝の散歩に…」そういって誤魔化した。



明智は一緒に朝ごはんでも食べようとつゆを誘う。

つゆはそんな気分ではなかったけれど、周辺情報の収集も兼ねて一緒に行くことに。



「付近3村含めて喫茶店はここだけですけど、まま美味しいコーヒー出してくれましてね…」


「コーヒー大好きなんです。それに今の私には必要…」


「はて?何かありましたか?」


「いいえ、別に…特に‥なにも…」


「ふーん」と納得してない生返事をする明智。

そのまま2人は喫茶店に入り、モーニングセット注文した。


「で、なにかありました?」どこかニヤニヤしながら聞く。

「特に…あ、そうだ。今日大阪に帰ろうと思ってまして。」


昨日の事実を消化するには、ここにいないほうがいいと思ったつゆは

この短時間で“とりあえず今日は大阪に帰ろう”と決めていた。


しかしそれを聞いた明智は手に持ったコーヒーをひっくり返す勢いで大声で

「ええええええ!!なんでええええええ!!」予想以上に驚く。



「え、そんなにびっくりする事ですか?…」


「すみません…(コホン…)なにか…嫌な事でもありましたか?」


「嫌な事はないですよ…ただ…まあ」


つゆは恋に落ちた…気がした…。

しかし、あれは夢だったのかもしれないと一瞬自分を疑った。

でも体に微かに残る天護の匂いでやはりあれは夢ではなかったと確信していた。

では…なぜ朝、隣にいてくれなかったのか、何故1行の手紙だけなのか、なんでそもそもあんな事してしまったのか、そしてこの鈴はなんなのか…そんな思考が頭を独占する。


「まあ色々あって。」

そういってまた誤魔化して、コーヒーをすする。


「さ、お家まで送りましょうか?」

「いいんですか?」

「あっちの村に用事が出来まして、なに…ついでですから。」



明智に三角屋根の家まで送ってもらう。

その間もその二人に特に会話らしい会話はなく、明智はしずかに車を走らせる。

つゆはお礼を言って家の前で別れる。



◇◇◇◇


その頃、天護の社では橙と蒼がお膳をそれぞれ持って天護の部屋に向かっていた。




橙「朝ごはんをお持ちしました」

蒼「天護様、開けてくださいー」


天護は襖を開け、一言…「膳はひとつでえぇぞ…」


橙「え」

蒼「なんで」


部屋の中を覗くふたり、橙と蒼はその時に初めて、昨日の来客がもうここを去ったと知った。


橙「…お嬢さんはどちらに?」


天護「云壇の神社へ飛ばしておいた…寝ている間に。布団ごと…。」


橙「は?」

蒼「なんで?」


天護「あいつは…起きたらきっと…した事を後悔するだろうから。」


橙「…したことってなんです?」


話す事を躊躇したが使役二人に詰められて、昨夜その部屋で起こった事を話す天護。

そして当然のように沈黙が流れる、なんと美しい秋の朝なんだろうか…。


一瞬気が遠くなっていたが、

状況を把握した橙は「…はああああああ?!」と叫びながら我に返る。


橙「何やってるんですかあああああ、初めて会って…そんな!」


天護「でかい声出すな…儂だってそんなつもりは…!!」


橙「じゃあ…なんで…お嬢さんが寝てる間に何も言わずに飛ばしちゃったんですか?!」


天護「あのおなごは…きっと…」


橙「天護様…まず“あのおなご”なんて呼ぶのはやめてください。失礼ですよ?名前で呼んでください!」



…何か重大な事に気付いた天護。


天護「あ…」


橙「…は?」

蒼「まさか?」


天護「…名前聞くの、忘れておった…」




「あーーーーーーーー!!!!なにやってるんですかぁぁぁぁ!」

頭を抱える橙。

蒼は天を仰いで笑っている、気が触れたようだ。



橙「天護様は…一晩にいくつ地雷を踏む気なんですか…」

蒼「初めて会ってそんな事しちゃった、寝てる間に隣の隣の村に飛ばした、名前を聞くのすら忘れてる…今んとこ3つですね。今のところですけどね。」


天護「気が急っておったんじゃ!儂を嗅いで“いい匂い”とか言ってて…あ、で、でも云壇に鈴を託したぞ…?」


橙「鈴…あの鈴をですか?」

天護「そうじゃ、あれじゃ。」


蒼「まさかその鈴だけでお気持ちが伝わると?」


天護「ちゃんと手紙もつけた。」何故か誇らしげな天護。


橙「…手紙は悪くないですね、なんと書いたのですか。」


やっと状況を好転させらそうな点を見つけた橙。



天護「…“会いたくなったら参道に入り、鈴を鳴らせ”と。」


橙「え?…それだけ?」


天護「それだけ。」


橙「もーーー無理だあああ、今から巻き返しなんてできない!!」


いつも冷静沈着な橙が、かつてないほど取り乱している。

蒼はまた膝から崩れ落ち…まだ天を仰ぎ笑っている。



その時、ドタドタと怒りの足音がして、バンっと襖を開ける云壇。


云壇「天ちゃん!!!!!しくじったな!!!」


天護「でかい声だすな…」


云壇「あの子に何したのさ!?夜中に布団と荷物ごと飛ばしてきたから何かと思えば!!…あの子、手紙も読んでたけど、泣きそうな顔して…今日大阪に帰るって言ってたよ!!」



三人の時が止まる。



蒼「これは…」

橙「ひどい…」


天護「…儂のせいか…?」


云壇「他に誰のせいだっつんだ。」



またしばらくの沈黙のあと…橙が云壇に簡潔に説明をする。



云壇「いくら童貞神でもそれはないわ、天ちゃん。ひどすぎる。」


天護「おまん…何故大阪行きを止めんかった!」


云壇「なんて言って止めるのさ!」


橙「まだ間に合うかもしれません、私が事情の説明に…」


云壇「いや、もう行かせてやりな…」


橙「でも…」


云壇「彼女は自分で選べる、自分の未来を。そういう子だと思うよ。」


天護「儂…もう淫獣か淫魔と思われてるんかもしれん…」


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